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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地魔星
ちませい
宋万
そうまん
梁山泊での順位 82位
持ち場 歩兵軍将校
特技 槍棒
あだ名 雲裏金剛(うんりこんごう)
出身地・前歴 梁山泊の第三の頭領
あだ名の由来
雲裏金剛の金剛は仁王さまのことで、寺の門の両脇に立っている恐ろしげな像のモデルである。雲裏は雲をつくように巨大だということ。自分の実力を誇示するために自分で付けたあだ名だが、みなからもそう呼ばれた。
梁山泊の古顔だが新人の力に押されて窓際へ
 宋万は地煞星のひとつ地魔星が生まれ変わった好漢である。
 朱貴、杜遷とともに最初から梁山泊のメンバーだった1人で、当初は第三の頭領だった。それが、林冲、晁蓋、呉用、公孫勝など次々と実力者が入山したことで、最後は82位まで地位が落ちてしまった。それだけ実力がなかったわけだが、自分の実力のなさをちゃんと心得ているという取り柄はあった。梁山泊の最初の第一の頭領だった王倫が実力者たちの入山を断ろうとしたのを諌めたこともあるし、王倫が林冲に殺され、梁山泊が晁蓋たちに乗っ取られたときは、無理して逆らおうとせず、自分から頭を下げて仲間に加えてくださいなどといっている。情けないといえば情けないが、これも好漢たちのルールなのである。
宋万の物語
◆一度は梁山泊で第三の頭領だった男

 宋万は最初は梁山泊の第三の頭領で、梁山泊にいる七八百人の山賊たちを率いてそれなりに恐れられていた。ある冬のこと、もと八十万禁軍の槍棒の武芸師範だった林冲という好漢が梁山泊に入りたいと行って訪ねてきた(第11回)。第一の頭領だった王倫は林冲の実力を恐れ、大豪傑の林冲さんには梁山泊は小さすぎるなどといってやんわりと入山を断ろうとしたが、宋万は朱貴たちとともにそれを諌めた。宋万は林冲が柴進の紹介でやってきたことをあげて、「これを断ったら、われわれは天下の好漢たちに笑われますよ」といった。
 それから一年数カ月がたった6月、北京の梁中書が東京の蔡京に贈った生辰綱を盗んで役人に追われることになった晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七の7人が大挙して梁山泊を頼ってきた。今回も王倫が7人の入山を断ろうとすると、以前から不満を持っていた林冲が酒宴の席で殺してしまった。このとき、宋万は朱貴らと一緒にその場にいたが、どうすることもできなかったばかりか、すぐにも林冲や晁蓋らに頭を下げて、「どうか配下に加えてください」と懇願した(第19回)。その後、晁蓋が梁山泊の第一の頭領になると、その他の好漢たちの順位が決められた。このとき、宋万は第6位の座を勧められたが、こいつらにはとてもかなわんと思い、それを辞退し、新加入のメンバーすべてを自分の上位に起き、宋万自身は第10位の座についた。
梁山泊入山後の活躍
◆何一つ手柄を立てずに潤州で戦死する
政和5年 晁蓋たちの入山直後、済州府から千を超える兵士が梁山泊に攻め寄せる。宋万は杜遷とともに東の入江を守って戦った(第20回)。
政和7年 6月、杜遷たちとともに蕭譲と金大堅を誘拐同然の仕方で梁山泊に連れてくる。(第39回)。

7月、好漢たちが江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を救出する。宋万は杜遷、燕順たちとともに槍棒使いに変装して江州に入り込み、処刑場の前で大暴れした(第40回)。

宋江救出後、好漢たちは宋江を謀反の罪に陥れた退職役人・黄文炳への復讐戦に出かけたが、宋万は朱貴とともに穆弘の屋敷で留守番をした。(第41回)。
政和8年 春、祝家荘との戦争が起こる。宋万は鄭天寿とともに梁山泊の出入口である金沙灘(きんさたん)と鴨嘴灘(おうしたん)の小寨の守備および糧秣の輸送を担当した(第47回)。
宣和元年 3月ころ、曽頭市との最初の戦争が起こる。晁蓋が二十人の頭領を選んで軍を編成して曽頭市を攻め、宋万もこれに加わった。梁山泊軍は大敗し、宋万はやっとの事で水中に逃れて命拾いした(第60回)。
宣和2年 1月、北京に捕らえられていた盧俊義と石秀の救出作戦に加わる。北京城内部を混乱させる部隊に加わった宋万は杜遷とともに米商人に変装して北京に侵入し、合図と同時に北京城東門を奪った(第66回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣で敵を迎え討ち、宋万は中央の陣の南門の位置についた(第76回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順。

3月ころ、宋万ら11名の頭領は宋江とともに兵を率いて梁山泊に戻り、梁山泊の寨の解体作業などにあたった(第83回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、宋万は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後に宋軍は兵を二隊に分け、宋万は宋江麾下の軍に加わった(第84回)。

昌平県境での最初の戦い。宋軍は破れ、宋万は重傷を負った(第88回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後に宋軍は兵を二隊に分け、宋万は盧俊義麾下の軍に編入され、西まわりで敵の本拠地威勝城を目指した(第93回)。

威勝城攻略戦。宋万は秦明らと一緒に東門を奪うのに貢献した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

荊南州紀山攻略戦。宋万、魯智深、武松ら十四名の頭領が兵を率いて密かに紀山にある敵基地の後ろへ回り込み、敵の隙をついて攻撃し、敵基地を奪った(第107回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷し、宋万は中央の陣の南門に位置した(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵の潤州城を取るために敵に糧秣を納入する船団を装う。宋万は穆弘が率いる船に護衛兵を装って乗り込んだが、敵城での乱戦中に矢にあたり、宋万は焦挺、陶宗旺とともに、梁山泊頭領たちの中で最初の戦死者となった(第111回)。
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イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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