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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地妖星
ちようせい
杜遷
とせん
梁山泊での順位 83位
持ち場 歩兵軍将校
特技 槍棒
あだ名 摸着天(もちゃくてん)
出身地・前歴 梁山泊第二の頭領
あだ名の由来
摸着天には天にも届きそうだという意味がある。背が高かったので摸着天と呼ばれた。
昔の仲間とも順位が入れ替わった悲しい頭領
 杜遷は地煞星のひとつ地妖星が生まれ変わった好漢である。
 宋万、朱貴と同じくはじめから梁山泊の頭領だったひとりで、当初は第二の頭領だった。梁山泊の頭領たちは、新しい実力者が入山して自分の上位になるたびに、順位がどんどん下がってしまうことがある。しかし、現在上位と下位にあるものの順位は、差が開いてしまうことはあっても入れ替わってしまうようなことはない。ところが、最初から梁山泊の頭領だった杜遷、宋万だけは別で、もともと第二の頭領だった杜遷はやがて宋万に抜かれ、ついに83位にまで落ちてしまった。王倫が頭領をしていた当初の梁山泊の順位はそれだけ不当なものだったということを意味しているのだろうか。杜遷に実力がないのは確かだが、何だか哀れな感じもする。
杜遷の物語
◆梁山泊で第二の頭領をしていた古くからのメンバー

 杜遷はもともと七八百人の山賊たちを率いる梁山泊の第二の頭領として名を知られていた。ある冬、もと八十万 禁軍の武芸師範だった林冲が梁山泊を訪ねてきた(第11回)。当時梁山泊の主だった王倫は林冲が実力者なので、別な山に行った方がいいでしょうなどといって入山を断ろうとしたが、杜遷は宋万、朱貴たちとともにそれを諌め、「この人一人くらい増えてもどうということもないさ。それより、昔恩になったことのある柴進さんが推薦してくれた人を断る方がおかしいぜ」といった。
 林冲が仲間に加わって一年数カ月後の6月、生辰綱略奪事件の犯人として追われていた晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七の七人が梁山泊を頼ってきた。またしても王倫は入山を断ろうとしたが、以前から王倫の器が小さいことに不満を持っていた林冲に酒宴の席で殺されてしまった。杜遷は宋万、朱貴らと一緒にその場にいたが、梁山泊が乗っ取られたことがわかるや、すぐにも林冲や晁蓋らに頭を下げて、「どうか配下に加えてください」と懇願した(第19回)。その後、晁蓋が梁山泊の第一の頭領となりほかの好漢たちの順位も決められると、杜遷は第5位の座を勧められたが、自分はそんな実力者ではないと思い、新加入のメンバーすべてを自分の上位に起き、杜遷自身は第9位の座についた。
梁山泊入山後の活躍
◆地位がどんなに下がっても不満をいわずに働き続ける
政和5年 晁蓋たちの入山直後、済州府から千を超える兵士が梁山泊に攻め寄せる。杜遷は宋万とともに東の入江を守って戦った(第20回)。
政和7年 6月、宋万たちとともに蕭譲と金大堅を誘拐同然の仕方で梁山泊に連れてくる。(第39回)。

7月、好漢たちが江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を救出する。杜遷は燕順、宋万たちとともに槍棒使いに変装して江州に入り込み、処刑場の前で大暴れした(第40回)。

宋江救出後、宋江を謀反の罪に陥れた退職役人・黄文炳へ復讐する。杜遷は石勇と一緒に黄文炳が住んでいた町・無為軍の城門のところで待ちかまえ、警備兵を殺して梁山泊軍の逃走を助けた(第41回)。
政和8年 冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍との二度目の戦いに参加する。杜遷は劉唐とともに歩兵の一隊を率いて戦い、敵将・韓滔を生け捕りにした(第57回)。
宣和元年 3月ころ、梁山泊と曽頭市の第一回目の戦争が起こる。晁蓋によって二十人の頭領が選ばれ、杜遷もこれに加わった。この戦いでは、頭領のうち十名だけが晁蓋とともに兵を率いて曽頭市の中に攻め込んだが、梁山泊軍は大敗を喫し、杜遷は水中に逃れて命拾いした(第60回)。
宣和2年 1月、北京に捕らえられていた盧俊義と石秀の救出作戦に加わる。北京城内部を混乱させる部隊に加わった杜遷は宋万とともに米商人に変装して北京に侵入し、合図と同時に北京城東門を奪った(第66回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順。

3月ころ、杜遷ら11名の頭領は宋江とともに兵を率いて梁山泊に戻り、梁山泊の寨の解体作業などにあたった(第83回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、杜遷は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後に宋軍は兵を二隊に分け、杜遷は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県境での最初の戦い。宋軍は破れ、杜遷は宋万とともに重傷を負った(第88回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後に宋軍は兵を二隊に分け、杜遷は盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

威勝城攻略戦。杜遷は宋万らととともに東門を奪うのに貢献した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

荊南州紀山攻略戦。杜遷、魯智深、武松ら十四名の頭領が兵を率いて密かに敵基地の後ろへ回り込み、敵の隙をついて攻撃し、敵基地を奪った(第107回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城を攻略するために、宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う。杜遷は穆弘が率いる船に乗り込み護衛の任についた(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は兵を二手に分け、杜遷は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州を攻めた(第112回)。

湖州城攻略後、盧俊義軍は兵を二手に分け、杜遷は呼延灼麾下の軍に編入され、徳清県を攻めた(第114回)。

杭州城攻略戦。宋軍は、敵の糧秣運搬船を装って攻撃する。このとき杜遷は李雲、石勇らとともに船頭に変装して杭州城に侵入し、松明を持ってあちこちに火をつけて回り、城内を混乱させた(第115回)。

その後、宋江軍と盧俊義軍は二手から進み、最後の決戦地となった清渓県城を攻め取るが、この戦いで杜遷は敵の騎馬に踏み殺されて戦死した(第118回)。
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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