小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
90位 |
持ち場 |
歩兵軍将校 |
特技 |
大斧 |
あだ名 |
出林竜(しゅつりんりゅう) |
出身地・前歴 |
登州・山賊 |
あだ名の由来 |
人柄は純真で、武芸の腕もなかなかだったが、気性が激しく、人に譲ることがなかったので出林竜(林から出てきた竜)と呼ばれた。 |
頼まれて牢破りに協力した性格のいい山賊 |
鄒淵は地煞星のひとつ地短星が生まれ変わった好漢である。
登州登雲山で甥の鄒潤と一緒に手下を率いて山賊をしていたが、山賊のわりには性格がいいのか、友人の孫新から牢破りを頼まれると喜んで協力した。鄒淵は梁山泊の楊林、鄧飛、石勇とも知り合いで、牢破りの後で孫新らが梁山泊を頼ることができたのも鄒淵のおかげだった。山賊のせいか、大々的な戦争よりは小競り合いのような小さな戦いに向いていた。このため、梁山泊で派手な活躍をすることはなかったが、臨機応変に戦わなければならない小さな作戦ではよい働きを見せた。 |
鄒淵の物語 |
◆解珍・解宝を救出し梁山泊へ導く
鄒淵は登州の登雲山で甥の鄒潤とともに手下を率いて山賊をしていた。あるとき、登州城外で居酒屋をしていた孫新がわざわざ鄒淵と鄒潤を迎えに来た(第49回)。そこで二人して居酒屋まで出かけていくと孫新の妻の顧大嫂から、解珍と解宝の牢破りに協力してくれるよう頼まれた。解珍と解宝は孫新夫婦の親戚だったが、土地の金持ちの毛太公の罠にはまり、牢に捕らえられていまにも殺されそうなのだという。鄒淵は断る気はなかったが、後々のことまで考えていった。「そんな事件を起こしてしまえばこの土地には住めなくなります。ところで、梁山泊では宋公明が有能な者たちを招いているといいますが、わたしの知り合いの楊林、鄧飛、石勇という者もその仲間になっています。どうでしょう、これをすませたらみんなで梁山泊へ行きませんか」
このとき、鄒潤が登州の追手をどうするかも考えなければいけないというので、その翌日に、孫新の兄の孫立を仲間に引き入れた。孫立は登州軍の提轄(指揮官)で、武芸の腕で知られている男だった。こうしてメンバーが決まると、鄒淵は鄒潤と山に戻り、金銀をとりまとめ、信頼できる手下20人だけをつれて、翌日になって孫新の居酒屋にやってきた。それからみなは作戦どおりに行動し、顧大嫂、孫新、孫立が牢を襲っている間に、鄒淵と鄒潤は毛太公に協力した裁判所の王孔目を殺しに役所へ向かった。鄒淵と鄒潤が王孔目の首を取って役所から出てくると、牢破りも成功しており、孫立らが解珍、解宝、楽和を連れて逃げてくるところだった。八名の好漢が城外へ逃げ出すと役所の取り手たちが追ってきたが、やはり孫立がいたおかげでだれも邪魔しようとしなかった。それから、鄒淵と鄒潤は孫立らに従って毛太公の屋敷も襲い、その一家を皆殺しにし、梁山泊へ向かった。
やがて梁山泊の入口にあたる居酒屋に着くとそこに石勇がおり、鄒淵は友人の楊林とトウ飛が祝家荘に捕らえられていることを聞かされた。石勇によれば、祝家荘の三人息子がなかなかの豪傑で、武芸師範の欒廷玉も強かったので、梁山泊は攻めあぐねているのだという。ところが、この欒廷玉というのが孫立と同じ師匠から武芸を習い、孫立とは親しい友人だったことから、鄒淵らはすぐにもひと働きすることになった。鄒淵、鄒潤、解珍、解宝、孫新、顧大嫂、楽和は孫立に率いられて宋江と呉用に会い、呉用から細かな作戦を授けられ、祝家荘に向かった(第50回)。祝家荘に着くと、孫立は近頃ウン州に配置替えになり、梁山泊退治の手伝いに来たと嘘をつき、八名は祝家荘に招き入れられた。やがて戦争が激しくなり、祝家荘の兵たちがみな戦いに出てしまうと、孫立が屋敷の吊り橋の前に立ちふさがった。このとき、孫新が門の上に梁山泊の旗印を掲げ、楽和が合図の歌を歌った。これを聞いた鄒淵と鄒潤は大斧を持って暴れ出し、数十人の兵士を切り倒し、祝家荘の捕虜となっていた梁山泊の好漢たちを救出した。こうして、梁山泊のために手柄を立てた後、鄒淵たち8人は梁山泊入りした。
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梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に清渓県で戦死する |
政和8年 |
春、梁山泊で第二回目の職務分担が決まる。鄒淵は鄒潤とともに鴨嘴灘の小寨の守備を任された(第51回)。
冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。第二回目の戦いに、鄒淵は鄒潤とともに歩兵として加わった(第57回)。 |
宣和2年 |
正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。鄒淵は鄒潤らとともにあらかじめ北京に侵入し、城外の梁山泊軍の攻撃にあわせて家々に火をつけて回った(第66回)。
春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。鄒淵は鄒潤、雷横らとともに敵の西の陣を攻めた(第68回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、鄒淵は宋軍の副将として出征する。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、鄒淵と鄒潤は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。
幽州での戦い。鄒淵ら十二名の将は盧俊義に率いられて後方で戦っていたが、戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められ、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。
昌平県境での最終決戦。鄒淵は鄒潤とともに敵の火星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。
田虎討伐戦始まる。 |
(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、鄒淵は盧俊義麾下の軍に加わった(第93回)。
汾陽州城攻略戦。妖術を使う敵将・馬霊が率いる敵の援軍に盧俊義軍は苦戦し、鄒淵は手傷を負った(第99回)。
威勝城攻略戦。鄒淵は鄒潤らとともに歩兵を率いて王宮に攻め込み、多数を斬り殺した(第100回)。
王慶討伐戦始まる。
山南州城攻略戦。鄒淵、鄒潤ら二十名の頭領が千の兵を率いて宋軍の糧秣船に潜み、これを奪い取ろうとする敵に突然襲いかかって城を取るのに貢献した(第106回)。
山南州攻略後、鄒淵は盧俊義に率いられて西京城攻撃に向かった(第106回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を取る。鄒淵は鄒潤とともに穆弘率いる第一団の船に乗り込み、敵城を襲った(第111回)。
潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、鄒淵は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。
湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、鄒淵は盧俊義の指揮下に入り、独松関へ向かった(第114回)。
杭州城攻略戦。宋軍は敵城に租税の糧秣を納入する船団を装う作戦を取り、鄒淵は鄒潤、王英らとともに船頭に変装して杭州城を襲った(第115回)。
杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、鄒淵は盧俊義軍に加わり、歙州を攻めた(第116回)。
清渓県で戦死する。歙州城攻略後、盧俊義軍は宋江軍と合流し清渓県を攻め落としたが、この戦いのとき鄒淵は敵の騎兵に踏みつぶされて戦死した(第118回)。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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