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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地角星
ちかくせい
鄒潤
すうじゅん
梁山泊での順位 91位
持ち場 歩兵軍将校
特技 頭突き・大斧
あだ名 独角竜(どくかくりゅう)
出身地・前歴 登州・山賊
あだ名の由来
生まれつき顔つきが異様で、背が高く、後頭部に瘤があった。しかもケンカ好きで、頭突き一発で松の木をへし折ることもできたので独角竜と呼ばれた。
叔父の鄒淵に黙って従う物静かな怪人
 鄒潤は地煞星のひとつ地角星が生まれ変わった好漢である。
 鄒淵の甥に当たるが年齢はあまり違わず、二人とも登雲山で手下を率いて山賊をしていた。二人にとって友人だった孫新の頼みで牢破りに協力し、解珍と解宝を救出して梁山泊入りすることになった。しかし、何事についても鄒淵がリーダーだったようで、鄒潤にはほとんど積極性というものが感じられない。牢破りの計画を立てたときにぼそりと一言しゃべった以外は、いつも黙って鄒淵と行動をともにしている。梁山泊に入ってからもその行動パターンは同じで、鄒淵がいるところには必ず鄒潤もいる。最後は鄒潤だけが生き残ってしまうが、かなり寂しい思いをしたかもしれない。
鄒潤の物語
◆鄒淵とともに牢破りに協力して梁山泊へ

 鄒潤は登州の登雲山で叔父の鄒淵とともに手下を率いて山賊をしていた。あるとき、鄒潤と鄒淵は友人の孫新が経営する登州城外の居酒屋で、孫新の妻の顧大嫂から、解珍と解宝を助けるための牢破りについて相談された(第49回)。これを聞いた鄒淵は、「そんな事件を起こしてしまえばこの土地には住めなくなります。やる以上は後々のことまで考えなければいけません。どうでしょう、この事件をすませたらみんなで梁山泊へ行きませんか」といった。顧大嫂は大いに喜んだが、このとき鄒潤は、「登州の追手をどうするかも考えなければいけないぞ」と注意した。そこで、牢破りの仲間に孫新の兄で登州軍の提轄をしていた孫立も引き入れることにした。翌日になって孫立の仲間入りが決まると、鄒潤と鄒淵は一度山に戻って逃げ出す準備を整えた。そしてその翌日、信頼できる手下を引き連れて居酒屋に戻った鄒潤と鄒淵は仲間とともに計画通りに行動を開始した。鄒潤と鄒淵は、孫立、孫新、顧大嫂が牢を襲っている間に、役所に向かい、解珍と解宝を牢に入れるのに協力した裁判所の書記・王孔目を殺した。それから、牢破りを成功させた孫立らと合流し、無事に城外へ逃げ出した。そして、解珍と解宝を陥れた土地の金持ちの毛太公の屋敷へ向かい、家族を皆殺してから仲間と梁山泊へ向かった。
 やがて梁山泊の入口にあたる居酒屋に着くとそこに石勇がおり、鄒潤らは鄒淵の友人の楊林と鄧飛が祝家荘に捕らえられていることを聞かされた。石勇によれば、祝家荘の三人息子がなかなかの豪傑で、武芸師範の欒廷玉も強かったので、梁山泊は攻めあぐねているのだという。ところが、この欒廷玉というのが孫立と同じ師匠から武芸を習い、孫立とは親しい友人だったことから、鄒潤らはすぐにもひと働きすることになった。鄒潤、鄒淵、解珍、解宝、孫新、顧大嫂、楽和は孫立に率いられて宋江と呉用に会い、呉用から細かな作戦を授けられ、祝家荘に向かった(第50回)。祝家荘に着くと、孫立は近頃鄆州に配置替えになり、梁山泊退治の手伝いに来たと嘘をつき、八名は祝家荘に招き入れられた。やがて戦争が激しくなり、祝家荘の兵たちがみな戦いに出てしまうと、孫立が屋敷の吊り橋の前に立ちふさがった。このとき、孫新が門の上に梁山泊の旗印を掲げ、楽和が合図の歌を歌った。これを聞いた鄒潤は鄒淵とともに大斧を持って暴れ出し、数十人の兵士を切り倒し、祝家荘の捕虜となっていた梁山泊の好漢たちを救出した。こうして、梁山泊のために手柄を立てた後、鄒潤たち8人は梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆いつも鄒淵とともに行動した鄒潤
政和8年 春、梁山泊で第二回目の職務分担が決まる。鄒潤は鄒淵とともに鴨嘴灘の小寨の守備を任された(第51回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。第二回目の戦いに、鄒潤は鄒淵とともに歩兵として加わった(第57回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。鄒潤は鄒淵らとともにあらかじめ北京に侵入し、城外の梁山泊軍の攻撃にあわせて家々に火をつけて回った(第66回)。

春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。鄒潤は鄒淵、雷横らとともに敵の西の陣を攻めた(第68回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、鄒潤は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、鄒潤と鄒淵は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

幽州での戦い。鄒淵ら十二名の将は盧俊義に率いられて後方で戦っていたが、戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められ、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。

昌平県境での最終決戦。鄒潤は鄒淵とともに敵の火星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、鄒潤は盧俊義麾下の軍に加わった(第93回)。

汾陽州城攻略戦。妖術を使う敵将・馬霊が率いる敵の援軍に盧俊義軍は苦戦し、鄒潤は手傷を負った(第99回)。

威勝城攻略戦。鄒潤は鄒淵らとともに歩兵を率いて王宮に攻め込み、多数を斬り殺した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南州城攻略戦。鄒淵、鄒潤ら二十名の頭領が千の兵を率いて宋軍の糧秣船に潜み、これを奪い取ろうとする敵に突然襲いかかって城を取るのに貢献した(第106回)。

山南州攻略後、鄒潤は盧俊義に率いられて西京城攻撃に向かった(第106回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を取る。鄒潤は鄒淵とともに穆弘率いる第一団の船に乗り込み、敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、鄒潤は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、鄒潤は盧俊義の指揮下に入り、独松関へ向かった(第114回)。

杭州城攻略戦。宋軍は敵城に租税の糧秣を納入する船団を装う作戦を取り、鄒潤は鄒淵、王英らとともに船頭に変装して杭州城を襲った(第115回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、鄒潤は盧俊義軍に加わり、歙州を攻めた(第116回)。

方臘討伐戦に勝利し、東京に凱旋する。鄒潤は朝廷から官爵を授けられたが、役人になりたくなかったので再び登雲山に戻り、以降はそこで暮らした(第120回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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