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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

地捷星
ちしょうせい
龔旺
きょうおう
梁山泊での順位 78位
持ち場 歩兵軍将校
特技 飛鎗(投げ槍)
あだ名 花項虎(かこうこ)
出身地・前歴 東昌府軍副将
あだ名の由来
全身に虎の班紋の刺青、首には虎の頭の刺青があったので花項虎と呼ばれた。
張清の副将として盧俊義を苦しめた東昌府の軍人
 龔旺は地煞星のひとつ地捷星が生まれ変わった好漢である。
 石つぶての名手だった東昌府の猛将・張清の副将で、丁得孫とともに盧俊義率いる梁山泊軍を苦しめた。最後には梁山泊軍に生け捕りにされて梁山泊の仲間に加わったが、張清、龔旺、丁得孫の後には獣医の皇甫端が加わるだけなので、百八星の中でも最後の最後になって梁山泊入りした軍人である。百八星がそろった梁山泊軍は朝廷軍との数度の戦いを経て朝廷に帰順し、その後は宋軍として討伐戦争に出ることになるので、龔旺は純粋に戦争のために必要とされた軍人といっていい。とはいえ、龔旺と丁得孫は軍人出身者のなかでは梁山泊での順位が最も低いので、まったく目立たなかった。
龔旺の物語
◆盧俊義軍には勝ったが宋江軍に敗れて梁山泊入り

 龔旺は丁得孫とともに東昌府の将軍・張清の副将をつとめていた。宣和2年3月、梁山泊の盧俊義が兵を率いて東昌府に攻め寄せてきた。これより以前、梁山泊では宋江と盧俊義のどちらが山寨の主となるかという議論があり、宋江と盧俊義のそれぞれが兵を率い、梁山泊に近い東平府と東昌府を攻め、先に城を落とした方が主になるという約束が交わされていた。盧俊義が東昌府を攻めたのはこのためだった。龔旺は丁得孫とともに張清の副将としてこれを迎え打ち、一日目と二日目の二度の戦いに勝利を収めた。三日目の戦いでは東平府を落とした宋江の軍が敵の援軍に駆けつけたが、張清の活躍で戦いは東昌府に有利に進んでいた。東平府の将軍で、つい最近梁山泊入りしたばかりの董平が張清と互角の戦いをしているとき、宋江の陣地から索超が大斧を振り回しながら董平を援護するために馬を走らせてきた。これを見た龔旺と丁得孫はすぐにも馬を走らせ、索超をくい止めた。ところが、敵陣から林冲、花栄、呂方、郭盛が救援に駆けつけてきて、林冲と花栄が龔旺の前に、呂方と郭盛が丁得孫の前に立ちはだかった。この二人を相手にすると龔旺は浮き足立ち、得意の投げ槍を投げたが、林冲にも花栄にもあたらなかった。これで武器を失ってしまった龔旺はすぐにも林冲と花栄に生け捕りにされてしまった。次いで丁得孫も生け捕りにされ、二人は梁山泊へ護送された。その後、張清も生け捕りにされて梁山泊入りすると龔旺と丁得孫も張清に従って梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆いつも一緒に戦場に出た龔旺と丁得孫
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣で敵を迎え撃ち、龔旺と丁得孫は張清に従って童貫軍を探る偵察隊となった(第76回)。また、童貫軍が背走すると、龔旺と丁得孫らは済州までこれを追い、張清が石つぶてで敵将・周信を落馬させたところを、龔旺と丁得孫が叉(さすまた)でとどめを刺した。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、龔旺は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後に宋軍は進軍する兵を二隊に分け、龔旺と丁得孫は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県境での最終決戦。龔旺と丁得孫は副将として敵の金星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 宋軍は蓋州攻略後に兵を二隊に分け、龔旺と丁得孫は盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

汾陽府城攻略後、城を取り返しに来た敵将・馬霊の妖術に苦しめられる。この戦いで龔旺、丁得孫ら数名の将が負傷した(第99回)。

威勝城攻略戦。龔旺と丁得孫は城の後宮を襲い何人も斬り殺した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。宋軍は兵士を潜ませた味方の兵糧船をわざと敵に略奪させる作戦を採り、龔旺と丁得孫は魯智深、武松らとこの船に身を潜ませ、敵城の近くで突然暴れだし、城内を大いに混乱させた(第106回)。

荊南州紀山攻略戦。龔旺と丁得孫は魯智深らとともに伏兵となって紀山にある敵の要塞の背後に回り、敵が本隊との戦いに全力を傾けている隙に不意打ちし、要塞を奪った(第107回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の兵糧船を装って潤州城に近づく作戦を採り、龔旺と丁得孫は第二船団の張横の船に護衛として乗船した(第111回)。

潤州攻略後に宋軍は兵を三隊に分け、龔旺と丁得孫は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後に盧俊義軍は兵を二隊に分け、龔旺と丁得孫は呼延灼の指揮下に徳清県へ向かった(第114回)。

徳清県での戦い。龔旺は敵将・黄愛を追いかけていたが、この途中で谷川に落ちたところを敵の槍に突き刺されて戦死した(第115回)。
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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