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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地速星
ちそくせい
丁得孫
ていとくそん
梁山泊での順位 79位
持ち場 歩兵軍将校
特技 飛叉(投げさすまた)
あだ名 中箭虎(ちゅうせんこ)
出身地・前歴 東昌府軍の副将
あだ名の由来
顔から首まであばただらけなので中箭虎(矢にあたった虎)と呼ばれていた。
いつも龔旺とともに戦った東昌府の副将
 丁得孫は地煞星のひとつ地速星が生まれ変わった好漢である。
 石つぶての名手だった東昌府の猛将・張清の副将で、龔旺とともに戦場では張清の左右に控え、張清が危地に陥れば助けに出るのが仕事だった。梁山泊軍に破れ、張清、龔旺とともに梁山泊入りし、入山後もともに副将だった龔旺と二人一組のような関係で、必ず一緒に行動した。丁得孫と龔旺は百八星の中でも最も遅い時期に梁山泊入りした軍人で、何となく人数合わせで入山したという印象が強い。もと軍人だというだけでもかなり地味なのに、地煞星で、しかも梁山泊の歩兵軍に配属されてしまったのでなおさら目立たなくなってしまった。
丁得孫の物語
◆張清の後ろから龔旺と一緒に梁山泊入りする

 丁得孫は龔旺とともに東昌府の将軍・張清の副将をつとめていた。宣和2年3月、梁山泊の盧俊義が兵を率いて東昌府に攻め寄せてきた。これより以前、梁山泊では宋江と盧俊義のどちらが山寨の主となるかという議論があり、宋江と盧俊義のそれぞれが兵を率い、梁山泊に近い東平府と東昌府を攻め、先に城を落とした方が主になるという約束が交わされていた。盧俊義が東昌府を攻めたのはこのためだった。この戦いの二日目、盧俊義軍から樊瑞、項充、李袞が戦いに出てくると、東昌府軍からは丁得孫が出て、投げ叉(さすまた)を投げ、項充に負傷を追わせて敵を撃退した(第70回)。三日目の戦いでは東平府を落とした宋江の軍が敵の援軍に駆けつけた。この援軍の中にもと東平府の将軍で、つい最近梁山泊入りしたばかりの董平がおり、張清と互角の戦いをした。と、宋江の陣地から急先鋒の索超が大斧を振り回しながら董平を援護するために馬を走らせてきた。これを見た丁得孫は龔旺とともに馬を走らせ、索超をくい止めた。ここへ、敵陣から林冲、花栄、呂方、郭盛が救援に駆けつけてきて、呂方と郭盛が丁得孫の前に、林冲と花栄が龔旺の前に立ちはだかった。丁得孫は投げ叉を振り回して、懸命に呂方、郭盛と戦った。が、敵陣にいた燕青がこのとき弓を射るとそれが丁得孫の乗馬の蹄にあたり、馬が転倒してしまった。落馬した丁得孫は呂方、郭盛に捕らえられて敵陣に連行された。ほとんど同じとき花栄と林冲に捕らえられた龔旺も梁山泊へ送られた。しばらくして東昌府将軍の張清も梁山泊に捕らえられたが、このとき張清が梁山泊に投降し、梁山泊の仲間となったことから、丁得孫と龔旺もそれに従って梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆いつも一緒に戦場に出た丁得孫と龔旺
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣で敵を迎え撃ち、龔旺と丁得孫は張清に従って童貫軍を探る偵察隊となった(第76回)。また、童貫軍が背走すると、龔旺と丁得孫らは済州までこれを追い、張清が石つぶてで敵将・周信を落馬させたところを、龔旺と丁得孫が叉(さすまた)でとどめを刺した。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、龔旺は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後に宋軍は進軍する兵を二隊に分け、龔旺と丁得孫は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県境での最終決戦。龔旺と丁得孫は副将として敵の金星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 宋軍は蓋州攻略後に兵を二隊に分け、龔旺と丁得孫は盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

汾陽府城攻略後、城を取り返しに来た敵将・馬霊の妖術に苦しめられる。この戦いで龔旺、丁得孫ら数名の将が負傷した(第99回)。

威勝城攻略戦。龔旺と丁得孫は城の後宮を襲い何人も斬り殺した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。宋軍は兵士を潜ませた味方の兵糧船をわざと敵に略奪させる作戦を採り、龔旺と丁得孫は魯智深、武松らとこの船に身を潜ませ、敵城の近くで突然暴れだし、城内を大いに混乱させた(第106回)。

荊南州紀山攻略戦。龔旺と丁得孫は魯智深らとともに伏兵となって紀山にある敵の要塞の背後に回り、敵が本隊との戦いに全力を傾けている隙に不意打ちし、要塞を奪った(第107回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の兵糧船を装って潤州城に近づく作戦を採り、龔旺と丁得孫は第二船団の張横の船に護衛として乗船した(第111回)。

潤州攻略後に宋軍は兵を三隊に分け、龔旺と丁得孫は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後に盧俊義軍は兵を二隊に分け、龔旺と丁得孫は呼延灼の指揮下に徳清県へ向かった(第114回)。

杭州城攻略後、丁得孫は再度盧俊義麾下の軍に編入され、歙州へ向かった(第116回)。

歙州城攻略戦中に丁得孫は毒蛇に脚を咬まれて戦死した(第118回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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