ようこそ。ここは草野巧のホームページです。
フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地悪星
ちあくせい
焦挺
しょうてい
梁山泊での順位 98位
持ち場 歩兵軍将校
特技 相撲
あだ名 没面目(ぼつめんもく)
出身地・前歴 中山府・相撲取り
あだ名の由来
いつもぶすっとしていて誰ともうまくやっていけない性格のために没面目と呼ばれた。
相撲を取れば李逵よりも強かったプロの相撲取り
 焦挺は地煞星のひとつ地悪星が生まれ変わった好漢である。
 祖父から三代にわたって相撲を家業にしていた大男の相撲取りで、偶然で出会った李逵と戦い、秘伝のわざで打ち負かしたほどの腕前だった。もともと梁山泊の噂は聞いていたが、手づるがなくて仲間入りできそうになかったので、枯樹山の山賊・鮑旭の仲間になろうとしていた。そんなときに李逵と出会ったのが縁で鮑旭も誘ってともに梁山泊に入ることになる。とはいえ相撲以外には取り立てて何もできない男なので、梁山泊入山直前に少しばかり活躍しただけで、梁山泊では大した活躍もできなかった。相撲取りをしているほどだったので、武器を持って戦うよりは、力仕事をする方が得意だったようだ。
焦挺の物語
◆李逵と一緒に凌州城に火を放って梁山泊入りする

 焦挺は中山府の相撲取りだったが、あるとき枯樹山の山賊・鮑旭の噂を聞き、仲間になるために旅に出た。その旅の途中の街道で向こうから大男が偉そうに歩いてくるのに出会った焦挺はいったい何者だろうとじろじろと見回した(第67回)。相手の男が、「この野郎、いったい何の用があるんだ」というと焦挺も負けずに、「ふん。何様のつもりだ」と言い返す。と、相手の男が突きかかってきたので、焦挺は父祖伝来の秘伝のわざで拳を出して男に尻もちをつかせた。再度男がかかってきたところを今度は脇腹を蹴って転がし、「この色黒野郎。おまえはいったいどこの誰だ」と怒鳴った。と、この相手の男というのが梁山泊の李逵だった。このころ、朝廷では凌州の将軍・単廷珪と魏定国を梁山泊討伐軍の司令官に任命したが、梁山泊ではこの二人を生け捕りにするために関勝、宣贊、郝思文を派遣した。自分も戦いに出たいと思っていた李逵はこれを不満に思い、勝手に梁山泊を飛び出し、単廷珪と魏定国を殺すために凌州へ向かっているのだという。そこで焦挺は自己紹介し、「俺も本当は梁山泊に入りたかったのだが、手づるがなかったので、いまは枯樹山の山賊・鮑旭の仲間になろうと思っていたところだ」といった。すると、李逵は自分と一緒に凌州へ行き、それから梁山泊へ行こうといいだした。これを聞いた焦挺は凌州には大軍がいて勝ち目がないから、鮑旭を誘って一度梁山泊へ戻った方がいいと提案したが李逵は聞かなかった。仕方なく、焦挺は李逵と一緒に枯樹山へ行き、そこで鮑旭を誘って凌州へ向かうことにした。
 焦挺、李逵が枯樹山の鮑旭を訪ねて話をしているとき、山の下の街道に護送車を率いた凌州の兵団がやってきた。李逵、焦挺、鮑旭たちは官軍が攻めてきたと勘違いしてこれを襲った。と、驚くことに護送車の中から宣贊と郝思文が現れた。宣贊と郝思文は凌州で単廷珪、魏定国と戦ったが、そこで生け捕りにされ、東京へ護送される途中だったという。これを聞いた焦挺たちはみなで話し合い、古樹山の山賊たちも率いてすぐにも凌州へ向かった。このころ凌州ではすでに単廷珪が梁山泊の仲間となり、残る魏定国が兵を率いて関勝軍と戦っていた。焦挺一行は魏定国が城外で戦っているときに凌州へ着くとさっそく城内へ討ち入り、あちこちに火を放ち、金銭糧食を略奪した。それから間もなく魏定国の梁山泊入りが決まって戦争が終わると、焦挺と鮑旭も李逵に従って梁山泊を訪ね、そこで正式に梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦で一番最初に戦死した焦挺
宣和3年 夏、童貫率いる梁山泊討伐軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、焦挺は中軍にある元帥旗を守る一隊に加わる(第76回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順。

4月ころ、遼国戦争が始まる。宋軍は檀州攻略後に進軍する兵を2隊に分け、焦挺は盧俊義麾下の軍に編入される(第84回)。

昌平県境の最終決戦。焦挺は敵の太陽の陣に討ち入る一隊に加わる(第89回)。
(宣和5年) 田虎討伐戦。宋軍は蓋州攻略後に兵を2隊に分け、焦挺は盧俊義麾下の軍に編入される(第93回)。

盧俊義軍が汾陽城に入城。城を奪い返しに来た敵の援軍にいた敵将・馬霊の妖術に苦しめられ、焦挺も手傷を負う(第99回)。

盧俊義軍が威勝城を攻撃。焦挺は歩兵を率いて王宮に攻め込み、多数を斬り殺す(第100回)。

王慶討伐戦。宋軍が荊南州に陣を敷いたとき、焦挺は郁保四らとともに歩兵二千を率いて木立を切り払い、味方の道を広く空ける作業をする(第107回)。

宋軍が荊南州紀山の敵基地を攻撃。焦挺は魯智深、李逵たちとともに敵基地を背後から不意打ちして攻略する。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、焦挺は魯智深、武松たちとともに歩兵を率い、別働隊として縦横無尽の働きをする(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装い、焦挺は第二船団の張順の船の護衛を担当する(第111回)。が、潤州城での乱戦で焦挺は敵の矢を浴び、宋万、陶宗旺とともに、梁山泊の好漢の中で一番最初に戦死した1人になった。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

Copyright(C) 草野巧 All Right Reserved