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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地醜星
ちしゅうせい
石勇
せきゆう
梁山泊での順位 99位
持ち場 歩兵軍将校
特技 短棒
あだ名 石将軍(せきしょうぐん)
出身地・前歴 大名府・ばくち打ち
あだ名の由来
石将軍とは民間信仰で恐れられた悪神のこと。身長が八尺(約240cm)を超える大男で、どうしようもない暴れん坊だったので石将軍と呼ばれた。
不器用そうだが忠実に働いた肉体労働派の好漢
 石勇は地煞星のひとつ地醜星が生まれ変わった好漢である。
 石勇は、花栄、秦明、燕順ら八名の好漢を引き連れ、清風山から梁山泊へ逃げる途中の宋江に偶然出会い、大量の新規入山者たちのおまけのように梁山泊に入った。そのせいか、梁山泊での活動もおまけのようなものが多かった。もともとばくち打ちなので何の取り柄もないが、身体は頑丈だったようで、肉体派の仕事に人手不足が出ればすぐにその穴埋めとなった。ただ、何かにすぐれているという点もないので、ほかに人材があればすぐに別な仕事に回された。それもこれもまわりにすごい奴がいっぱいいすぎたせいなので、石勇としては致し方ないところだろう。
石勇の物語
◆まったく偶然に父の訃報を宋江に届ける

 石勇は大名府のばくち打ちだったが、ばくちのことで人を殴り殺して逃げ出し、天下往来の好漢の面倒を見ていたことで有名だった小旋風の柴進の屋敷に身を寄せた。そのとき、その屋敷を訪れる好漢たちがたびたび宋江のうわさをするのを聞いたことから、ある年の一月ころ是非宋江に会いたいと思い宋家村にある宋江の実家を訪れた。宋江は実家にはいなかったが、石勇は弟の宋清と会い、宋江はいま白虎山の孔太公の屋敷にいると教えられ、さらに宋江宛の手紙を渡され、もし出会うようなことがあったらすぐ帰ってくるように伝言してくれと頼まれた。宋江の実家に一晩だけ泊まった石勇は、翌日には白虎山を目指して旅立った。
 その途中、石勇がある居酒屋で休んでいると供の者をつれた二人の男がやってきた(第35回)。間もなく給仕がやってきて、「あそこの男の人が供の人たちのために大きなテーブルを譲ってやってくれといっているんですが」と石勇に話しかけてきた。「俺が先に来てるのに何をいいやがる。相手が天子さまでもゆずるもんか」と石勇は怒った。と、二人のうちの一人が、給仕を脅すなと注意してきたので、石勇は短棒を取って立ち上がった。「うるさいぞ。俺さまが頭を下げるのは広い天下に二人だけ。それ以外は何でもないんだ」このとき、もう一人の男が、その二人は誰だというので石勇はいった。「小旋風の柴進さまと及時雨の宋公明さまよ」。するとその男が自分がその宋公明だというので石勇はびっくりした。宋江と一緒にいたのは清風山の山賊・燕順で、二人とも梁山泊に向かっていて、あとからは花栄、秦明らもやってくる予定だった。
 石勇はすぐにも宋江に挨拶し、それなら自分も梁山泊入りしたいと申し出た。それから石勇は宋江の実家を訪れたいきさつを述べ、宋清から預かってきた手紙を渡した。宋江はこれを読むなりあっと叫び、父が亡くなったのですぐに実家に帰らなければといって号泣し始めた。石勇も燕順も故郷に帰るという宋江を引き止めきれなかった。宋江は燕順や石勇らのために梁山泊宛の手紙を書くと石勇からもらった麻の靴をはき、石勇の短棒を持って故郷に向けて駆け出していってしまった。石勇も燕順ももはやどうすることもできないので、その居酒屋で後からやってくる花栄や秦明らを待ち受け、ともに出発して梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に歙州の戦いで戦死
政和7年 7月、江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を救出する。石勇は荷かつぎ人足に変装して江州城に侵入し、処刑場の前で大暴れした(第40回)。

宋江救出後、宋江を謀反の罪に陥れた黄文炳の屋敷を襲う。石勇は杜遷とともに黄文炳の住む町・無為軍に侵入し、城門警備の兵士たちを殺した(第41回)。

宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。宋江の身を心配した呉用らの命令で、石勇はほかの仲間たちとともに宋江のあとを追い、宋江の故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。

8月ころ、朱貴が故郷の母を迎えに帰った李逵の様子を探るために梁山泊の見張りの居酒屋を留守にする。石勇と侯健が朱貴の代わりに店番となった(第43回)。

梁山泊で第一回職務分担が決まる。梁山泊に新しく三店の居酒屋が設けられ、石勇は北山酒店を任された(第44回)。
政和8年 冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍が攻め寄せる。最初の戦いで北山酒店は壊され(第55回)、呼延灼との二度目の戦いに勝ったときに再建された(第57回)。
宣和元年 4月ころ、梁山泊で第四回目の職務分担が決まる。石勇は北方へ馬を買いに行く任をまかされた(第60回)。
宣和2年 3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。石勇は宋江麾下のの軍に編入され、東平府を攻めた(第69回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、石勇は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、石勇は盧俊義麾下の軍に加わった(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊軍を招安したいという申し出があり、宋江が一部の将兵を引き連れて敵に寝返ったように見せる作戦が取られる。石勇は魯智深らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けてこれを奪い取った(第85回)。

昌平県境での最初の戦い。宋軍は大いに苦戦し、石勇も敵の槍を受けて負傷した(第88回)。

田虎討伐戦始まる。

盧俊義軍が陵川城を攻略する。石勇は李逵らとともに歩兵を率いて戦う(第91回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、石勇は盧俊義麾下の軍に加わった(第93回)。

汾陽州城攻略戦。妖術を使う敵将・馬霊が率いる敵の援軍に盧俊義軍は苦戦し、石勇は手傷をった(第99回)。

威勝城攻略戦。石勇は龔旺らとともに後宮を襲い何人も斬り殺した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。宋軍は兵士を潜ませた味方の兵糧船をわざと敵に略奪させる作戦を取り、石勇は魯智深、武松らとこの船に身を潜ませ、敵城の近くで突然暴れだし、城内を大いに混乱させた(第106回)。

荊南州紀山での戦い。石勇は焦挺らとともに決戦に備えて地の利をよくするために付近の木立を切り払った。さらに、魯智深らとともに伏兵となって紀山にある敵の要塞の背後に回り、敵が本隊との戦いに全力を傾けている隙に不意打ちし、要塞を奪った(第107回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の兵糧船を装う作戦を取り、石勇は穆弘の船に乗り込んで敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、石勇は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州と湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、石勇は呼延灼指揮下に徳清県へ向かった(第114回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、石勇は盧俊義軍に加わり歙州へ向かった。

歙州で戦死する。盧俊義軍が歙州城を攻めると、馬で逃げてきた敵将・王尚書が前に立ちふさがった李雲を踏み殺した。石勇は李雲を助けようと王尚書に立ち向かったが、敵はあまりに強く、槍の一突きで戦死した(第118回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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