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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。


天損星
てんそんせい
張順
ちょうじゅん
梁山泊での順位 30位
持ち場 四方の寨を守る水軍頭領
特技 水泳、操船術
あだ名 浪裏白跳(ろうりはくちょう)
出身地・前歴 江州の魚問屋
あだ名の由来
潜水泳法の天才で、四五十里も泳ぎ、七日七晩ももぐることができ、まるで一匹のハヤのように水の中を進むことができた。普通に泳ぐときも、まるで陸路を進むような見事さで、水が胸まで浸すことはなかったので、浪裏白跳(浪くぐりのハヤ)と呼ばれた。
浪裏白跳と呼ばれた潜水泳法の天才
 張順は天罡星のひとつ天損星が生まれ変わった好漢である。
 身の丈六尺五六寸、三十二三才の、真っ白な大きな体をした男で、実兄の張横とともに潯陽江の闇商売を取り仕切る親分だった。最初は兄と一緒に揚子江で闇の渡し船をやり、利用客の金を巻き上げるというあくどい商売をしていたが、やがて江州で魚問屋を始めた。向こう意気が強く、李逵が相手でも一歩も引かず、実際に李逵とケンカしたこともある。さすがに陸上では李逵にはかなわなかったが、水の中に誘い込んでさんざんに痛めつけた。掲陽嶺の親分だった李俊や掲陽鎮の親分だった穆弘、穆春たちとは兄弟分で、宋江が江州で処刑されそうになったのを皆で救出に出かけ、それを機に梁山泊入りした。梁山泊では水軍の頭領となり、泳ぎの腕を活かして活躍した。
張順の物語
◆水の中なら人殺しの李逵さえ圧倒する

 張順は張横の実弟で、江州で魚問屋をし、漁師たちを取り仕切っていた。5月なかばのある日の夕暮れ、張順が商売のために90艘もの漁船の並んだ川べりまで行ってみると、そこで漁師たちが大騒ぎしていた。何かと思うと漁師のひとりが、「親方さん、色の黒い大男が魚を横取りしようとして、漁船をみんな追い払ってしまいました」という(第38回)。張順が驚き、「そいつはどこにいる」というと、漁師は「あそこです」と指さす。見れば、ひとりの男が周りにいる連中を誰彼かまわず殴り回していた。
 この男というのは実は李逵だった。閻婆惜殺しの罪で逮捕され、江州へ流された宋江はこの地で江州牢役人の戴宗およびその弟分の李逵と知り合い、3人で琵琶亭という料亭で酒盛りを始めた。ここで宋江は魚料理を注文するが、給仕は今日取れたばかりの生きのいい魚は川べりの漁師の船の中にはあるが、問屋の親方が来ないのでまだ手に入らないという。これを聞いた李逵がすぐにも料亭を飛び出し、川べりに駆けていき、並んでいる船の漁師たちに生きた魚を分けてくれと声をかけた。ところが、漁師たちはみな、問屋の親方が来ないうちは売れないという。腹を立てた李逵は船に飛び乗ると魚を放し飼いにしてある船倉の竹の簀(す)を引き抜き、生きた魚を逃がしてしまった。こうして、李逵と漁師たちの間で大騒動になったのだ。
 そうとは知らない張順はすぐにもその男に近づくと、「この野郎、気でも狂ったか。おれの縄張りを荒らすとはただじゃすまさんぞ」と怒鳴りつけた。すると大男は振り返るなり、張順に打ちかかってきた。張順は応戦しようとしたが、相手の力がとんでもなく強かったので、李逵に頭を捕まれてすき放題に背中を殴られてしまった。このとき、李逵と知り合いらしい二人の男が、「やめろ、やめろ」といいながら駆けつけてきて李逵を止めた。おかげで張順は逃げ出すことができたが、どうにも腹の虫が治まらなかった。そこで、張順は船に飛び乗り、二人の男と一緒にその場を立ち去ろうとしていた李逵に向かって、「さあ、もう一度勝負だ」と怒鳴った。これを聞いた李逵が烈火のごとく怒り、岸辺から船に飛び移ったので、張順は待ってましたとばかり竹棹を使って川の真ん中まで船を進めた。泳ぎが得意でない李逵がこれにびっくりしていると、張順はわざと船をゆすって転覆させ、何度となく李逵を水中に引っぱり込んで好き勝手にいたぶった。
 このとき、この様子を見ていた李逵の知り合いが、「張順の兄貴、待ってくれ。おれたちは張横さんからの手紙を持ってるんだ」と岸から声をかけた。そこで張順が目を凝らしてみると、岸から声をかけているのは牢役人の戴宗だった。張順も戴宗の顔だけは知っていたのですぐに喧嘩をやめ、溺れかけていた大男を岸まで運んだ。そして、張順は戴宗からいまケンカしていた相手が町で有名な李逵だということをはじめて知らされた。さらに、そこにいたもうひとりが有名な宋江だと知らされ、張順は大いに感激した。こうして、張順は宋江、戴宗、李逵の3人と親しく付き合うようになった。
 ところが、それから二ヶ月ほどして、今度は宋江が謀反を企んだとして江州で処刑されるという情報が張順のもとに届いた。そこで張順は張横、李俊、穆弘たちの仲間に加わり、宋江を救出するために舟で江州へ向かった。このころ梁山泊の好漢たちも宋江救出作戦に乗り出しており、張順たちが江州に着くより前に処刑場から宋江を救出していた。張順たちが江州に近づいたとき、偶然にもこの梁山泊の一団が川岸に集まっていた。そこに宋江がいるのを知った張順たちは大いに喜び、好漢たち全員を舟に分乗させると掲陽鎮の穆弘の屋敷に向かった。穆弘の屋敷に着くと、宋江が自分に謀反の罪を着せた黄文炳に復讐したいと言い出した。そこで好漢たちはみなで無為軍の町にある黄文炳の屋敷を襲撃することになった。このとき、黄文炳は無為軍に近い江州に出かけているということがわかっていたので、張順と李俊が潯陽江に舟を浮かべて待ち伏せした。そして、自分の屋敷が襲われたことを知った黄文炳が江州から舟で無為軍に向かったところを襲い、黄文炳を生け捕りにする働きをした。間もなく生け捕られた黄文炳が李逵の手で殺され、見事に黄文炳への復讐が果たされ、これを機に張順は正式に梁山泊の一員となった(第41回)。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に杭州城の水門外で戦死する
政和7年 7月ころ、入山直後の宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。宋江の身を心配した呉用らの命令で、張順は李俊、李立たちとともに宋江のあとを追い、宋江の故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争に参加する(第47回)。また、張順は戦争終了後に李家荘の李応と杜興を梁山泊に引き入れるための作戦に加わった。張順は州の捕盗係の役人に変装し、蕭譲たちとともに李家荘を訪ね、難癖を付けて李応と杜興を逮捕するように見せかけると、二人を護送して梁山泊の仲間に渡した(第50回)。

秋、柴進を救出するため高唐州攻撃軍が編成される。張順は朱仝らとともに中軍に加わった(第52回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。最初の戦いで、張順は阮氏三兄弟らとともに水軍として陸軍の応援にあたり、砲撃の名手・凌振を生け捕りにした(第55回)。二度目の戦いでは、張順は水軍を率いて戦った(第57回)。
宣和元年 2月、華州に捕らえられた史進救出作戦が実行される。ちょうどこのころ朝廷の使節団が西嶽華山に参詣しに来ることがわかったので、呉用の作戦で張順は李俊らとともに実際の使節団を襲い、代表者の宿太尉を生け捕りにした(第59回)。この結果、梁山泊の好漢たちは使節団に成りすまし、華州長官・賀太守を華山に誘い出して殺すことができた。

5月ころ、盧俊義勧誘作戦が実行される。張順は阮氏三兄弟らと盧俊義を生け捕りにする作戦に加わる(第61回)。

秋、関勝率いる梁山泊討伐軍と戦う。張横が自分勝手に行動し、敵に捕らえられると、張順は阮氏三兄弟らとともに宋江からの命令を待たずに張横の救出に出かけたが、失敗し、阮小七も敵の捕虜になる。捕まった二人は間もなく李応によって救出された(第64回)。

冬、盧俊義と石秀を救出するため、梁山泊軍が二度目の北京包囲を行う。張順は李俊とともに敵将・索超を生け捕りにした(第64回)。

冬、宋江が病気になり、張順は名医・安道全を迎えに行く。
 宋江が重い病になり、その夢の中に死んだ晁蓋が現れた。夢の中の晁蓋は、宋江の病は揚子江より南にある建康府に住む地霊星の安道全という名医でなければ治せないと告げた(第65回)。張順はかつて潯陽江に住んでいたとき、母の病を安道全に治してもらったことがあったので、宋江に頼まれ、張順が金を持って安道全を迎えに行くことになった。この途中、揚子江まで来たときに、渡し船の船頭にだまされ、金を奪われた上に身体を綱で縛られて川に投げ込まれた。しかし、七日七晩も水に潜っていられるという張順は水の中で綱を噛みきった。岸に上がった張順は活閃婆の王定六と知り合い、その助けもあって、安道全を梁山泊に連れ帰った。建康府を出て安道全と一緒に揚子江を渡るときには、張順は顔を隠して自分を殺そうとした船頭の船に乗り、船頭の身体を縛って川の真ん中に投げ込み復讐を遂げた。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。張順はあらかじめ北京に侵入し、攻撃開始と同時に燕青とともに盧俊義の屋敷を襲い、李固と賈氏を生け捕りにした(第66回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。張順は当初は山寨の守備を担当したが、後に東昌府へ行き、ほかの水軍頭領とともに敵将・張清を生け捕りにした(第70回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。張順は梁山泊の湖に小舟を浮かべ、敵兵を水中に誘い込んで大勢を殺した(第77回)。

11月、高俅が大小の海鰍船三百隻で攻め寄せる。この戦いでは水軍のメンバーが主力となって戦い、張順は敵の大将・高俅を生け捕りにした(第80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、張順は宋軍の正将として出征する。

檀州城攻略戦。張順は阮氏三兄弟らとともに敵戦船を撃破し、城の水門を奪う(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は兵を二隊に分けて進軍するが、張順は柴進らとともに守備隊となり、檀州城に残った(第84回)。宋江軍の幽州城攻略後、本隊と合流する(第87回)。

昌平県境での最終決戦。張順ら水軍は主力軍の援護を担当した(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

宋軍が衛州から蓋州へ向かうときに、張順ら水軍は衛州城の守備を担当した(第91回)。
(宣和5年) 宋軍の一隊が潞城を落とすと、張順ら水軍は黄河から潞城県へ向かい、索超の軍と合流して楡社県、大谷県を落とした(第99回)。

大原県城攻略戦。大谷県城攻略後、張順は李俊らとともに大原県城へ向かい、盧俊義軍に協力して、太原県城を陥れた(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。張順ら水軍は山南城外の河川に兵糧船を浮かべ、わざと本隊から逃げ遅れたように見せかけた。この兵糧船を敵将・段二が奪おうとしたのに乗じて、船体内に隠れていた李逵、魯智深らと協力して山南城を奪った(第106回)。

朝廷の待遇が気に入らず、クーデターを画策する。宋軍は王慶討伐戦後に東京に凱旋するが、朝廷からは大した褒美が与えられなかった。これに腹を立てた張順たち水軍頭領は李俊に率いられて呉用に会い、反乱を起こして梁山泊へ帰ろうと訴えた(第110回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。張順は柴進とともに潤州城の偵察を命じられる(第111回)。張順は柴進とともに潤州城を臨む湖の対岸まで来ると、そこからはひとりで泳いで潤州城の偵察に出た。このとき張順は偶然にも付近の大商人・陳将士の手代が操る舟を捕らえ、この大商人が近いうちに潤州城に糧秣を納入する計画があることを聞き出した。この情報をもとに宋軍は敵城に糧秣を納入する兵糧船を装って潤州城に侵入する作戦をとり、張順は張横とともに第二団の船を率いて敵城を襲った。

潤州城攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分けるが、張順はこれには加わらず、ほかの水軍頭領たちとともに揚子江下流沿岸の都市の攻撃に向かった(第112回)。のちに蘇州城にいる宋江軍と合流した(第113回)。

杭州城の水門外で戦死する。
 梁山泊軍が杭州城攻めの陣を構えたとき、敵兵が杭州城にこもって戦況がこう着すると、張順は城に面した湖から水門を通って城内へ忍び込むことを水軍総帥の李俊に提案した。そして、たった1人で大丈夫かと心配する李俊をよそにさっさと出かけていった。夜、張順は服を脱ぎ、下半身には水股引をつけ、行動を開始した。彼は杭州城の水門のひとつである湧金門まで泳いでいき、様子をうかがった。そこで、彼は敵の見張りが寝静まるのを待って、明け方になってから城壁を登り始めた。ところが、これが敵の罠で、張順が半分あたりまでよじ登ったときに突然敵兵が一斉に出現し、弓や槍、落石で攻撃してきた。この攻撃で、張順は戦死した(第114回)。
 ところが、張順が死んだその夜に、宋江の夢に血塗れの張順が現れた。これで彼の死を知った宋江がその霊を祭った直後、梁山泊と杭州軍の間で決戦の火蓋が切られ、激戦の末に宋軍が勝利を収めた。敵の指揮官の方天定は数名の歩兵を従えて馬で逃げ出した。このとき、川の中から1人の男が現れ、方天定を襲って首を取ると、その首を持って杭州城へと馬を走らせた。その姿はどうみても張順の兄・張横だったが、杭州城で宋江と面会した張横はいった。「わたしは張横ではなく張順です。わたしは杭州城の水門外で敵の矢を受けて死にましたが、わたしの魂はずっと戦いの様子を見ていたのです。今回、宋江兄貴が杭州城を落とし、敵の大将・方天定が逃げ出したので、わたしはそれを追いかけました。すると、揚子江に兄の張横がいるのを見つけたので、兄の身体を借りて方天定の前に飛び出し、その首を取ってここに駆けつけたのです」。この報告が終わると張順の霊は消え、張横はばたりと気絶した。そこで宋江は、張順のために湧金門外の岸辺に廟宇を建て、神として彼を祭った(第116回)。
 小説
イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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