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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。


天剣星
てんけんせい
阮小二
げんしょうじ
梁山泊での順位 27位
持ち場 四方の寨を守る水軍頭領
特技 操船術
あだ名 立地太歳(りっちたいさい)
出身地・前歴 済州石碣村・漁師
あだ名の由来
立地は即座にの意、太歳は災いを起こす凶星の名で、この男にちょっかいを出すと大変なことになるのでこう呼ばれた。
梁山泊のほとりのちんぴら漁師三兄弟の長男
 阮小二は天罡星のひとつ天剣星が生まれ変わった好漢である。
 阮氏三兄弟の長男で、他の兄弟と同様に梁山泊と水つづきの石碣湖のほとりにある石碣村(せきけつそん)で漁師をしていた。三人とも人殺しが好きで字の読み書きもできないちんぴらだが、長男のせいか阮小二には弟たちにはない思慮深さが感じられ、人間関係でも建て前を重んじるところがあった。生辰綱(誕生祝いの荷)略奪計画を持って訪ねてきた呉用が酒代を出そうといったときも、阮小二は即座にそれを拒否している。方臘戦争中に戦死したときも、敵に殺されたのではなく、捕らえられて辱めを受けるよりはと自ら首をはねている。三人兄弟は似たもの同士でいつも行動をともにしていたが、阮小二にだけは弟たちにはない風格があったようだ。
阮小二の物語
◆晁蓋一味に誘われて生辰綱略奪計画に参加する

 阮小二は梁山泊に近い石碣村で漁師をしていた。ある年の5月ころ、古い知り合いの呉用が阮小二の家を訪ねてきて兄弟三人と話がしたいという(第15回)。阮小二はすぐにも呉用を乗せて船を出し、湖の上で阮小七を見つけ、さらに阮小五の家を訪ねてから、4人で湖の畔の料亭に入った。
 ここで兄弟は呉用の頼み事を聞いたが、それは目方十四五斤の鯉を十匹ほど捕まえてほしいというものだった。実をいえばこのときの呉用には別の重要な頼み事があったが、そのことはまだ隠していた。そうとは知らない阮小二は、「最近では十斤くらいの魚さえ思うように手に入らないのです」と真面目に説明した。「大きな魚を捕るには梁山泊の方まで行かなければならないのですが、このごろは梁山泊の山寨に六七百人の山賊が巣くっているため、思うように漁ができないのです」。とはいえ、三兄弟は山賊たちを恨んでいるというよりはうらやましがっているというのが本音だった。やつらは自分勝手な贅沢な暮らしをしていてまったくうらやましい限りだと阮小五や阮小七がいうと阮小二も、「誰か俺たちを引っ張ってくれる豪傑がいれば、俺たちもその人についていきたいと思いますよ」と心の内を打ち明けた。
 これを聞いた呉用がここぞとばかり、「よろしい。そういうことなら本心をいおう。実をいえばわたしは東渓村に住む豪傑・晁蓋どのに頼まれてあなたたちを迎えに来たのです」といった。
 すぐにも阮小二は呉用の本当の頼み事に気づき、「晁蓋どのに何か大きなもうけ仕事があって、俺たちに加勢してほしいというなら、俺たち三人はけっして命を惜しみませんよ」と応えた。
 そこで呉用ははじめてその計画を三兄弟に打ち明けたが、それは朝廷の蔡京太師の誕生日に、その娘婿である北京大名府長官・梁中書から十万貫もの財宝が贈られるので、それを略奪してしまおうというものだった。大いに喜んだ三兄弟は翌日には呉用とともに晁蓋の屋敷を訪ね、晁蓋一味に加わった。

◆事件が発覚して晁蓋らと梁山泊へ逃れる

 6月4日、晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮氏三兄弟、白勝の一味は済州の黄泥岡で、白勝は酒売りに、残りの者たちは棗売り商人に変装して生辰綱運搬隊を待ち伏せた(第16回)。やがて楊志に率いられた生辰綱運搬隊がやってくると、棗売り商人になった阮小二らは白勝から酒を買って運搬隊の前でうまそうに飲んで見せた。これを見た運搬隊の兵士たちが売れ残った酒を飲みたがると、一味の者がとっさにしびれ薬を混ぜ、それを兵士たちに飲ませた。こうして生辰綱運搬隊の者たち全員が動けなくなったところで、晁蓋らは財宝を荷車に積み山を下りて逃げ出した。その後、晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐は晁蓋の屋敷に戻り、阮氏三兄弟と白勝は分け前をもらって自分の家に帰った。
 ところがそれからしばらくして、一味の犯行が露見してしまい、白勝が捕らえられ、晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐が役人に追われて石碣村へ逃げてきた(第19回)。そこで阮氏三兄弟と出会って梁山泊へ逃げるというのが呉用の考えだった。阮小二は家族や母親を船に乗せて先に出発させ、阮小五の家で仲間と一緒に梁山泊入りの相談をし、漁師仲間も引き連れて船に分乗して梁山泊を目指した。このときすでに追手が迫っていたので、阮小二は弟たちに敵を誘い込む計略を授けた。間もなく、石碣村で数百艘の船を集めた役人たちが湖の上を追ってくると、まず初めに阮小五が船を操って現れ、追手を入江の中に誘い込み、それから水に飛び込んで姿をくらました。次に阮小七が船を操って現れ、追手を入江のさらに奥深くの狭い水路まで誘い、姿をくらました。このとき公孫勝が魔法を使って風を送り、さらに岸辺の葦の茂みに火を放つと火は追手の船にまで燃え移り、追手は混乱に陥った。そこに晁蓋、公孫勝、阮氏三兄弟が手下の漁師を引き連れて現れ、追手のほとんどを殺してしまった。こうして晁蓋たちは追手から逃れ、間もなく梁山泊の入口にあたる朱貴の居酒屋にたどり着いた。
 その後、阮小二は晁蓋らと一緒に梁山泊の聚義庁に案内され、そこで大いにもてなされたが、晁蓋一味が実力者ぞろいであることを知った梁山泊の頭領・王倫は自分の立場が危うくなるのを恐れて、晁蓋らの入山を断ろうとした。しかし、そんな王倫の態度を気に入らなかった林冲が王倫を殺し、梁山泊にクーデターを起こした。この林冲の活躍で入山と同時に晁蓋が梁山泊の第一の頭領となり、阮小二も第六位の地位につくことになった(第20回)。
梁山泊入山後の活躍
◆水軍を率いて大暴れした阮小二
政和5年 入山後間もなく晁蓋一味を捕らえるために済州の兵が四五百の船で梁山泊に攻め寄せる。阮氏三兄弟はそれぞれ船を操って敵船団を狭い入江に誘い込み、陸からの攻撃をしやすくする働きをした(第20回)。
政和7年 7月、江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を好漢たちが救出する。阮氏三兄弟は乞食の扮装をして江州にもぐり込み、処刑場のそばで大暴れした(第40回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争が起こる。阮氏三兄弟は呉用らとともに本寨の守備を担当した(第47回)。

春、梁山泊の第二回職務分担が決まり、阮氏三兄弟は山の南の水寨の守備を担当する(第51回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。最初の戦いで、阮氏三兄弟は李俊らとともに水軍として陸軍の応援にあたり、砲撃の名手・凌振を生け捕りにした(第55回)。二度目の戦いでは、阮氏三兄弟は水軍を率いて戦う(第57回)。
宣和元年 4月、曽頭市との第一回目の戦争が起こる。晁蓋が二十名の頭領を引き連れて曽頭市を攻め、そのうち十名の頭領が城内にまで攻め込んだが、阮氏三兄弟もこれに選ばれた(第60回)。

5月ころ、盧俊義勧誘作戦が実行される。阮氏三兄弟も盧俊義を生け捕りにする作戦に加わる(第61回)。

秋、関勝率いる梁山泊討伐軍と戦う。敵将・関勝を生け捕りにしようとして張横が自分勝手に行動し、敵に捕らえられる。張順から事態を聞かされた阮氏三兄弟は宋江からの命令を待たずに張順とともに張横の救出に出かけたが失敗し、阮小七も敵の捕虜になる。捕まった二人は間もなく李応によって救出された(第64回)。
宣和2年 3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成され、阮氏三兄弟は宋江麾下の軍に編入され、東平府を攻める(第69回)。

東平府攻略後、宋江軍は盧俊義軍の応援に東昌府へ向かい、阮氏三兄弟はほかの水軍たちと協力して敵将・張清を生け捕りにした(第70回)。
宣和3年 秋、高俅率いる朝廷軍の梁山泊攻撃が始まる。阮氏三兄弟は張横とともに敵水軍の将・党世雄を生け捕りにした(第78回)。

11月、高俅が大小の海鰍船三百隻で攻め寄せる。この戦いでは水軍のメンバーが主力となって戦い、阮氏三兄弟は敵将・李従吉を生け捕りにした(第80回)。
宣和4年 2月、梁山泊が正式に朝廷に帰順する。

3月、阮氏三兄弟は宋江、呉用らとともに梁山泊に戻り山寨の解体作業に従事する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、阮氏三兄弟は宋軍の正将として出征する。

檀州城攻略戦。阮氏三兄弟は李俊らとともに敵戦船を撃破し、城の水門を奪う(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は兵を二隊に分けて進軍するが、阮氏三兄弟は守備隊となり、檀州城に残った(第84回)。

宋江軍の幽州城攻略後、阮氏三兄弟は本隊と合流する(第87回)。

昌平県境での最終決戦。阮氏三兄弟ら水軍は主力軍の援護を担当した(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

宋軍が衛州から蓋州へ向かうときに、阮氏三兄弟ら水軍は衛州城の守備を担当した(第91回)。
(宣和5年) 宋軍の一隊が潞城を落とすと、阮氏三兄弟ら水軍は黄河から潞城県へ向かい、索超の軍と合流して楡社県、大谷県を落とした(第99回)。

大原県城攻略戦。阮氏三兄弟ら水軍は盧俊義軍の応援に大原県へ向かい、大雨で水量の増した河川を決壊させて大原県城を水攻めで落とす活躍をした(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。阮氏三兄弟ら水軍は山南城外の河川に兵糧船を浮かべ、わざと本隊から逃げ遅れたように見せかけた。この兵糧船を敵将・段二が奪おうとしたのに乗じて、船体内に隠れていた李逵、魯智深らと協力して山南城を奪った(第106回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

杭州城攻略戦。阮小七は張横らとともに杭州城南の揚子江に配備され、阮小二、阮小五らは西方の湖に配備された(第114回)。杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、阮氏三兄弟は宋江麾下の軍に加わり、睦州へ向かった(第116回)。

睦州烏竜嶺の戦い。阮小二は童威、童猛らとともに千の水軍兵を率いて烏竜嶺の麓の水寨に向かったが、水寨の近くまで来たとき、敵が火筏(ひいかだ)を使った攻撃を始め、別な船に乗った敵兵たちが次々と撓鈎をのばしてきた。阮小二は慌てて水に飛び込んだが撓鈎の一本に引っかけられると捕らえられて辱めを受けるのに耐えられず、自ら首を切った(第116回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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