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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 


天敗星
てんはいせい
阮小七
げんしょうしち
梁山泊での順位 31位
持ち場 四方の寨を守る水軍頭領
特技 操船術
あだ名 活閻羅(かつえんら)
出身地・前歴 済州石碣村・漁師
あだ名の由来
筋骨たくましく、顔にできものと異様な瘤があって生きた閻魔様のように性格・外見ともに恐ろしい男なので活閻羅と呼ばれた。
小回りの利くいたずら者の阮家の三男坊
 阮小七は天罡星のひとつ天敗星が生まれ変わった好漢である。
 阮氏三兄弟の三男で、兄たちと同様に梁山泊と水つづきの石碣湖のほとりにある石碣村(せきけつそん)で漁師をしていた。三男坊のせいかどこか子供っぽく、天衣無縫で、フットワークが軽やかだという印象があり、頭の回転が速く判断がてきぱきしている。三兄弟を生辰綱略奪計画の仲間に引き入れようと訪ねてきた呉用と酒を飲む場面でも、阮小二が無理にも呉用を主の席につかせようとするのを、「兄貴が主、呉用さんが客の席」というふうに、即座に現実的な意見を述べている。ただ、どうしようもないいたずら者という面もあり、このために朝廷から派遣された生真面目な大将の怒りを買うということもあった。
阮小七の物語
◆軽やかなフットワークで方臘討伐戦を生き延びる

 阮小七は梁山泊に近い石碣村で漁師をしていた。ある年の5月ころ、阮小七が石碣湖に小舟を浮かべて漁をしていると兄の阮小二が古い知り合いの呉用を船に乗せてやってきて、これから阮小五を誘ってみんなで酒を飲もうという(第15回)。阮小七はすぐにも仕事を切り上げて兄の船についていった。間もなく、阮小五の家で阮氏三兄弟がそろうと、4人は湖をわたって湖畔の料亭に入った。ここで、「さ、先生、上座の席に」と阮小二がいうと呉用は、「いや、それはいけない」と遠慮する。これを見た阮小七は、「兄貴が主人の席、先生が客の席にすればいいのさ。俺たちは先に腰かけちゃうよ」といってさっさと席に着いた。呉用は、「七さんは実にてきぱきしているよ」と感心した。
 それから4人は酒を飲み始めたが、このとき呉用が目方十四五斤の鯉を十匹ほど捕まえてほしいんだがと三兄弟に注文したことから、4人の話題は漁場である梁山泊の湖のことになり、最近そこで好き勝手に振る舞って漁の邪魔をしている梁山泊の山賊のことに移った。しかし、三兄弟は山賊たちを恨んでいるというより、むしろうらやましいと思っていた。「あいつらは金銀を秤で分け、いいものを着て、好きなものを飲み食いできるのだから、こんな楽しいことはないだろう。おれたち三人だって力はあるんだが、残念なことに腕をふるう場所がないときている。どうにかあんなふうになりたいんだがなあ」と阮小五がいうと阮小七も、「一日でもいいからあんな暮らしがしてみたいよ」と続けた。
 すると呉用が、「なるほど、そういうことならわたしも大事をうちあけることにしよう」といって、朝廷の蔡京太師の誕生日にその娘婿である北京大名府長官・梁中書から贈られる十万貫もの生辰綱(誕生祝いの財宝)を略奪してしまおうという計画があることをはじめて三兄弟に打ち明けた。この計画の首謀者である晁蓋が立派な好漢であることは三兄弟もうわさで聞いて知っていたので、その一味に加われると知ると大いに喜んだ。「それこそ願ったりかなったりというやつだ」といって阮小七も小踊りした。
 こうして、阮小七は兄弟とともに晁蓋一味に加わり、6月4日に晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、白勝と一緒に見事に生辰綱を略奪した。ところがその後、一味の犯行が露見して白勝が捕らえられたことから、残った七人は急遽梁山泊へ逃れた。このとき、梁山泊の頭領・王倫はなんとか七人を追い出そうとしたが、このことのために腹を立てた林冲に殺された。この結果、梁山泊は晁蓋のものとなり、阮小七は第八の地位についた。
梁山泊入山後の活躍
◆三兄弟の中でも一番問題児だった阮小七
政和5年 入山後間もなく晁蓋一味を捕らえるために済州の兵が四五百の船で梁山泊に攻め寄せる。阮氏三兄弟はそれぞれ船を操って敵船団を狭い入江に誘い込み、陸からの攻撃をしやすくする働きをした(第20回)。
政和7年 7月、江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を好漢たちが救出する。阮氏三兄弟は乞食の扮装をして江州にもぐり込み、処刑場のそばで大暴れした(第40回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争が起こる。阮氏三兄弟は呉用らとともに本寨の守備を担当した(第47回)。

春、梁山泊の第二回職務分担が決まり、阮氏三兄弟は山の南の水寨の守備を担当する(第51回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。最初の戦いで、阮氏三兄弟は李俊らとともに水軍として陸軍の応援にあたり、砲撃の名手・凌振を生け捕りにした(第55回)。二度目の戦いでは、阮氏三兄弟は水軍を率いて戦う(第57回)。
宣和元年 4月、曽頭市との第一回目の戦争が起こる。晁蓋が二十名の頭領を引き連れて曽頭市を攻め、そのうち十名の頭領が城内にまで攻め込んだが、阮氏三兄弟もこれに選ばれた(第60回)。

5月ころ、盧俊義勧誘作戦が実行される。阮氏三兄弟も盧俊義を生け捕りにする作戦に加わる(第61回)。

秋、関勝率いる梁山泊討伐軍と戦う。敵将・関勝を生け捕りにしようとして張横が自分勝手に行動し、敵に捕らえられる。張順から事態を聞かされた阮氏三兄弟は宋江からの命令を待たずに張順とともに張横の救出に出かけたが失敗し、阮小七も敵の捕虜になる。捕まった二人は間もなく李応によって救出された(第64回)。
宣和2年 3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成され、阮氏三兄弟は宋江麾下の軍に編入され、東平府を攻める(第69回)。

東平府攻略後、宋江軍は盧俊義軍の応援に東昌府へ向かい、阮氏三兄弟はほかの水軍たちと協力して敵将・張清を生け捕りにした(第70回)。
宣和3年 4月、朝廷から梁山泊の招安を求める最初の使者が派遣される。梁山泊の湖で使者を舟に乗せた阮小七は使者をだまして御酒を奪い、水夫たちと一緒に全部飲み尽くし、そのあとで瓶の中にどぶろくを入れておいた。梁山泊に到着した使者がこの瓶を朝廷から下賜された酒だといって好漢たちに提供したので、馬鹿にされたと思った魯智深や劉唐たちが使者に詰め寄る大騒ぎになった。

秋、高俅率いる朝廷軍の梁山泊攻撃が始まる。阮氏三兄弟は張横とともに敵水軍の将・党世雄を生け捕りにした(第78回)。

11月、高俅が大小の海鰍船三百隻で攻め寄せる。この戦いでは水軍のメンバーが主力となって戦い、阮氏三兄弟は敵将・李従吉を生け捕りにした(第80回)。
宣和4年 2月、梁山泊が正式に朝廷に帰順する。

3月、阮氏三兄弟は宋江、呉用らとともに梁山泊に戻り山寨の解体作業に従事する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、阮氏三兄弟は宋軍の正将として出征する。

檀州城攻略戦。阮氏三兄弟は李俊らとともに敵戦船を撃破し、城の水門を奪う(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は兵を二隊に分けて進軍するが、阮氏三兄弟は守備隊となり、檀州城に残った(第84回)。

宋江軍の幽州城攻略後、阮氏三兄弟は本隊と合流する(第87回)。

昌平県境での最終決戦。阮氏三兄弟ら水軍は主力軍の援護を担当した(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

宋軍が衛州から蓋州へ向かうときに、阮氏三兄弟ら水軍は衛州城の守備を担当した(第91回)。
(宣和5年) 宋軍の一隊が潞城を落とすと、阮氏三兄弟ら水軍は黄河から潞城県へ向かい、索超の軍と合流して楡社県、大谷県を落とした(第99回)。

大原県城攻略戦。阮氏三兄弟ら水軍は盧俊義軍の応援に大原県へ向かい、大雨で水量の増した河川を決壊させて大原県城を水攻めで落とす活躍をした(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。阮氏三兄弟ら水軍は山南城外の河川に兵糧船を浮かべ、わざと本隊から逃げ遅れたように見せかけた。この兵糧船を敵将・段二が奪おうとしたのに乗じて、船体内に隠れていた李逵、魯智深らと協力して山南城を奪った(第106回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略戦で、阮小七は石秀、柴進、張順とともに偵察隊となる(第111回)。

潤州城攻略後、阮小七と石秀は焦山で水軍と合流し、揚子江下流沿岸の都市の攻撃に向かう(第112回)。

宋江軍の蘇州攻略後、本隊と合流する(第113回)。

杭州城攻略戦。阮小七は張横らとともに杭州城南の揚子江に配備され、阮小二、阮小五らは西方の湖に配備された(第114回)。杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、阮氏三兄弟は宋江麾下の軍に加わり、睦州へ向かった(第116回)。

敵の本拠地清渓県の戦い。阮小七は阮小五、李俊らとともに糧秣船を率いて敵城に向かい、投降すると見せかけて城内に進入する。そして、城外からの攻撃に呼応して火を放ち、清渓県城を落とすのに貢献した(第118回)。

宋軍が方臘の逃げ込んだ幫源洞(ほうげんどう)を攻撃する。阮小七は洞内の宮居の奥まで斬り込み、そこで宝石で飾られた方臘の天子の衣服を見つけた。阮小七がふざけてそれを着ると梁山泊の頭領たちはおもしろがって笑ったが、朝廷から派遣された大将・王稟たちは大いに怒り、「方臘の真似なんかするんじゃない」と怒鳴りつけた。阮小七も腹を立て、「もしも宋公明がいなければおまえらの首なんかとっくにはねられていたんだ」と怒鳴り返し、あわや王稟と殺しあいをしそうになったところを、呼延灼に止められた(第119回)。

方臘討伐戦に勝利し、東京に凱旋する。阮小七は官爵を与えられ、蓋天軍都統制の任についた。ところが、方臘討伐戦中に阮小七に恨みを持っていた大将・王稟たちが裏から手を回したため、阮小七は間もなく任務を解かれて庶民の身分に戻された。阮小七はこれをむしろ嬉しく思い、老母とともに故郷の石碣村に戻ると、再び漁師として暮らし、60才で死んだ(第120回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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