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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。


地陰星
ちいんせい
顧大嫂
こだいそう
梁山泊での順位 101位
持ち場 東山酒店
特技
あだ名 母大虫(ぼたいちゅう)
出身地・前歴 登州十里牌・居酒屋経営/
あだ名の由来
母大虫は牝虎のこと。居酒屋をやりながら牛の屠殺をしたり賭場を開いたりしていたやり手の女で、夫の孫新でも歯が立たないくらい強く、二三十人の者がかかってもかなわなかったのでそう呼ばれた。
男勝りで恐ろしいでっぷり肥えた女主人
 顧大嫂は地煞星のひとつ地陰星が生まれ変わった好漢である。
 解珍と解宝の親戚で、女だてらに気が強く、ケンカをしても男に負けず、とにかく恐ろしい。もともと居酒屋を経営していたので梁山泊でも居酒屋を任されたが、夫の孫新よりも腕っぷしが強く、戦場でも役に立った。そもそも梁山泊の一員になる女は、扈三娘も孫二娘も相当強いわけだが、顧大嫂はこの二人よりもさらに男勝りで荒々しい。言葉よりも先に手が出てしまうというタイプで、腹が立つと何も考えずに行動しようとする。しかし、この行動力のおかげで死刑囚の牢に入れられていた解珍と解宝は救われたので、二人にとっては顧大嫂はでっぷり太った自由の女神に見えたかもしれない。
顧大嫂の物語
◆親類縁者をリードして牢破りを成功させる

 顧大嫂は小尉遅の孫新の妻で、夫とともに登州城外にある十里牌という場所で居酒屋を経営していた。あるとき顧大嫂の店に親戚の楽和という男が訪ねてきた(第49回)。顧大嫂の夫・孫新には孫立という兄がいたが、この孫立の妻の弟が楽和だった。二人はこれが初対面だったが、やってくるなり楽和は解珍と解宝が死刑囚として牢につながれてしまったことを話した。解珍と解宝がしとめた虎を土地の里正(庄屋)をしている親戚の毛太公という金持ちが横取りし、さらに二人を賊に仕立て上げて役所につき出したのだという。
 解珍と解宝は顧大嫂の親戚で、姉弟のように親しくしていたので顧大嫂はびっくりして、すぐにも店の者に命じて出かけていた夫の孫新を捜してこさせ、事情を説明した。孫新は落ち着いた男で、「とにかく楽和さんには解珍と解宝の面倒を見てもらい、俺たちで作戦を立てよう」といった。顧大嫂は楽和をもてなしてから粒銀をわたし、「あの二人が困らないように牢の方々にくばってください」といって送り出した。それから、孫新と作戦を考えたが、孫新はとにかく牢破りしかないだろうという。「それじゃあ夜になったらすぐにも押し掛けましょう」と顧大嫂は応える。孫新は慌ててはいけないと注意し、牢破りに必要な助太刀として、自分の親しい友人で、登雲山で山賊をしている鄒淵と鄒潤を迎えにいき、その日のうちにつれてきた。この鄒淵が梁山泊の楊林、鄧飛、石勇を知っていたことから、顧大嫂らはことを成し遂げた後は梁山泊を頼ることが決まった。
 翌朝早く、これも孫新の作戦で、店の者数人を送り出し、顧大嫂が病気だからと嘘をつかせ、孫新の兄で州軍の提轄(指揮官)をしている孫立とその妻を呼びだした。居酒屋にやってきた孫立はぴんぴんしている顧大嫂を見るといったいどんな病気なんだと聞いたが、これに顧大嫂は、「弟を救い出したい病気なんですよ」と答えた。それから、解珍と解宝が死刑囚の牢につながれてしまったことを説明し、「わたしたちはこれから城内へ乗り込んで牢を破り、一緒に梁山泊へ行くことにしています。事件が起こればお兄さんたちにも迷惑がかかりますから、こうしてお呼び出ししたのです。もし、お兄さんが一緒にやらないといってもわたしたちはやります。そのときはお兄さんが牢につながれることになりますが、どうしますか」といった。「軍官の身でそんなことができるか」と孫立がいうと顧大嫂は「それならいまここでどちらかが死ぬまで戦いましょう」と二本の刀を抜いた。これを聞いた孫立は、「まあ待て。そこまでいうなら仕方がない。あとでとばっちりを受けるなんてまっぴらだからな。俺もやることにするよ」としぶしぶ承諾した。
 こうして、その翌日、顧大嫂、孫新、孫立、鄒淵、鄒潤はそれぞれが信頼できる配下を引き連れ、武器を隠し持ち、城内へ入った。牢に着くと、差し入れに来たという名目で楽和が顧大嫂を牢の中に招き入れた。楽和は受け取った弁当を渡すために解珍と解宝が入れられている牢の戸を開けた。このとき、牢の外で提轄の孫立が俺を中に入れろとわけもなくわめきだし、牢番頭が出ていこうとしたところに顧大嫂が匕首(あいくち)で襲いかかった。牢番頭は逃げ出したが、牢から出てきた解宝に捕まって殺された。顧大嫂は慌てふためいた牢役人たちをさらに四五人殺し、一同そろって牢から逃げ出した。すぐに役所の取り手たちが追ってきたが、一同の背後を守っているのが孫立だとわかるとあえて邪魔だてする者はいなかった。このあと、顧大嫂らは解珍、解宝とともに毛太公の屋敷を襲って家族を皆殺しにし、梁山泊へ向かった。
 顧大嫂、孫新、孫立、解珍、解宝、鄒淵、鄒潤、楽和の八名が供の者たちを引き連れて梁山泊の入口にあたる石勇の居酒屋に着いたとき、梁山泊は祝家荘との戦争で苦心していた。祝家荘の三人息子がかなりの豪傑で、しかも武芸教師の欒廷玉というのがとてつもなく強かったからだ。ところが、この欒廷玉が孫立と同じ師匠から武芸を学んだ仲だったので、顧大嫂たちは梁山泊に入山する前に大きな仕事をすることになった。顧大嫂らは宋江に面会したあと、孫立に率いられた役人とその家族に変装して祝家荘に向かった。孫立と知己だった欒廷玉は、近頃ウン州の警備を命じられて梁山泊の強盗を退治することになったという孫立の言葉を信用し、一同を祝家荘に迎え入れた。
 やがて梁山泊との戦いが激しくなり、欒廷玉や祝家荘の三人の息子たちが兵を率いて屋敷からうって出ると、楽和の歌を合図に顧大嫂らは屋敷の中で暴れ出し、顧大嫂は広間にいた女たちを皆殺しにした。この活躍で祝家荘を打ち破った後、顧大嫂は仲間とともに梁山泊入りした(第50回)。
梁山泊入山後の活躍
◆居酒屋担当ながら戦場でも活躍する
政和8年 春、梁山泊で第二回目の役職分担が決まる。もともと居酒屋だった顧大嫂は夫・孫新とともに西山酒店の担当者になった(第51回)。

冬、呼延灼率いる朝廷軍が梁山泊に攻め寄せる。最初の戦いで西山酒店は壊されてしまったが、呼延灼との二度目の戦いの後に再建された(第57回)。
宣和元年 秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。顧大嫂は孫新とともに灯篭見物に来た田舎者に変装し、あらかじめ城内に潜入し、城外からの攻撃にあわせて盧俊義の屋敷に火を放った(第66回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。
 顧大嫂は孫新とともに宋江の軍に編入され、東平府を攻めた。この戦いの初め、史進が敵情を探るために昔なじみの女がいる遊女屋に行き、東平府に捕らえられるということがあった。このとき顧大嫂は呉用の命令で乞食の身なりで東平府に侵入し、昔の主人に差し入れに来たと嘘をいって牢にいる史進に面会した。そして、みそかの夜に城を攻めるのでそのときになったら対処するようにと史進に伝えた(第69回)。

4月、梁山泊に百八星がそろい、最後の役職分担が決まる。顧大嫂は孫新とともに東山酒店を任された(第71回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、顧大嫂は扈三娘らとともに後陣の女兵の一隊に加わった(第76回)。

11月、高俅率いる朝廷軍が済州で大小の海鰍船数百隻を建造していることがわかる。顧大嫂は孫新らとともに城に侵入し、造船所に火を放ち、敵を混乱させた(題80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、顧大嫂は宋軍の副将として出征した。

檀州攻略後、顧大嫂は孫新らとともに守備隊として檀州城に残った(第84回)。宋江軍が幽州まで来たとき本隊と合流した(第87回)。

昌平県境の最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、顧大嫂は孫新とともに遼国の右軍の太陰に陣に討ち入る一隊を率い、敵の女兵たちを斬りまくった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、顧大嫂は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略戦。宋江が敵将・喬道清の魔法に苦しめられると、顧大嫂は孫新、王英らとともに兵一万を率いて援軍に出かけ、宋江を救出した(第95回)。

襄垣県での戦い。昭徳城攻略後、顧大嫂は孫新、王英らとともに本隊に先攻して敵情を探りに出かけ、襄垣県境で敵の女将軍・瓊英と出会った。この戦いで、王英が敵に捕らえられそうになると、顧大嫂は孫新とともに飛び出して救出した。さらに、顧大嫂は瓊英に苦戦する扈三娘に加勢し、二人がかりでどうにか瓊英を追い払った(第98回)。

王慶討伐戦始まる。

南豊州での最終決戦。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、顧大嫂は扈三娘らとともに後陣の女兵の一隊に加わった(第76回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、顧大嫂は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、顧大嫂は盧俊義の指揮下で独松関へ向かった(第114回)。

杭州攻略戦。杭州で合流した宋軍は、租税として糧秣を納入する船を装って杭州城を襲う。顧大嫂は孫新らとともに船頭とその女房に変装して城内に進入し、あちこちに火を放った(第115回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、顧大嫂は盧俊義麾下の軍に加わり、歙州で戦った(第118回)。

方臘討伐戦に勝利し、東京へ凱旋する。顧大嫂は孫新とともに、登州で任用された孫立に従い、故郷に戻って暮らした(第120回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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