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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

地囚星
ちしゅうせい
朱貴
しゅき
梁山泊での順位 92位
持ち場 南山酒店
特技 なし
あだ名 旱地忽律(かんちこつりつ)
出身地・前歴 沂州(ぎしゅう)沂水県出身・初期梁山泊の見張り役
あだ名の由来
旱地忽律の旱地は日照り、忽律はワニのような悪獣の名。日照りやワニのように恐ろしい印象を持っていたので旱地忽律と呼ばれた。
小者だが人扱いのうまいしゃれた好漢
 朱貴は地煞星のひとつ地囚星が生まれ変わった好漢である。
 王倫が頭領をしていた初期の梁山泊時代からのメンバーで、当時から梁山泊の対岸に酒店を出し、金を持っていそうな旅人の物色や梁山泊を訪ねてきた好漢たちの接待をしていた。いろいろな人間とうまくやらなければならない仕事をしていたので、ほかの梁山泊の頭領たちにあるようなかたくなな個性がなく、素直な常識人といった印象がある。背が高く、鼻の下と顎に三叉の赤ヒゲを生やし、ひさしの深い冬帽子、貂の毛皮の上着、鹿皮のブーツを履いたりしたこともあるので、盗賊としてはかなりおしゃれな方だろう。初期の梁山泊には次々と大物がやってきたので朱貴の出番も多かったが、戦闘要員ではないので、戦争が多くなるにつれて影が薄くなってしまった。
朱貴の物語
◆居酒屋に潜んで好漢たちを出迎えた見張り役

 朱貴は王倫が頭領をしていた初期の時代からの梁山泊のメンバー。当時から梁山泊の 金沙灘の対岸付近で居酒屋を営業しながら、付近を通る旅人を物色し、金のありそうな奴がいれば山寨に知らせるという仕事をしていた。もともと沂州沂水県の生まれで旅商人をしていたが、そのうち元手を失ってしまい梁山泊の山賊になったのである(第43回)。
 ある大雪の夜、顔に罪人の刺青のある一人の大男がその居酒屋にやって来た(第11回)。豹子頭の林冲だった。林冲は高俅に陥れられて滄州の牢城に流され、さらに自分を殺しに来た高俅の手下を殺して逃亡したが、偶然に小旋風の柴進に出会い、梁山泊入りを勧められたのである。男は酒を飲みながら給仕に「梁山泊に行くにはどうしたらいいか」などとはなしかけたうえ、給仕から筆と硯を借りると白壁の上に八句の詩を書いた。その第一句目に『義に仗(よ)るは是れ林冲』とあった。これを見た朱貴は男にいった。「ふん、いい度胸をしているな。滄州で大罪を犯し、いまじゃあ三千貫の賞金をかけられているというのに。おまえ、豹子頭の林冲だろう」。そして、それが確かに林冲だと確認すると朱貴は林冲を店の奥に誘い、「梁山泊は山賊の巣窟です。そこへ行ってどうしようというんですか」とあらためて丁寧な言葉で話しかけた。話すうちに林冲が柴進からの推薦の手紙を持って尋ねてきたことを知った朱貴は、それなら王倫も入山を認めるだろうと保証し、夜中まで林冲をもてなした。
 翌朝、朱貴は林冲を起こしてから、水亭の窓を開け、鳴り鏑矢を弓につがえ、枯れ葦におおわれた対岸に打ち込んだ。その様子を見ていた林冲に、「これが梁山泊の合図の矢です。こうすると船が迎えに来るのです」と説明した。そして、合図を受けてやってきた船に乗り込むと、湖をわたり金沙灘に乗り付け、岸へ上がっていくつかの関門を超え、林冲を梁山泊の 聚義庁へ案内した。そこで、朱貴は三人の頭領王倫、杜遷、宋万に林冲を紹介した。このとき、王倫は林冲のために酒宴を開いたが、林冲の実力を恐れるあまり、この山寨はあなたにとって小さすぎるからなどと言い訳をし、金と贈り物をやって林冲を体よく追い払おうとした。これを見た朱貴はさすがに百八星の生まれ変わりだったので、「せっかく柴大官人どのが推薦してくれた人を、よそへいけというのはどんなものでしょうか」と諌めた。続いて、杜遷も宋万も同じことをいった。このことがあって、王倫も考えを変え、三日以内に人一人殺してくるという条件付きながら、林冲の梁山泊入りが認められた。
 それから半年ほどして、今度は生辰綱を奪ったために役人から追われていた晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七の七人が朱貴の居酒屋を訪ねてきた(第19回)。朱貴は大いに喜んで七人をもてなし、翌日の早朝、大型の船で金沙灘へわたり、聚義庁へ案内した。ところが、頭領の王倫は自分の地位が危なくなるのを恐れ、林冲のときと同じように体よく七人を追い払おうとした。これに林冲が腹を立てて怒鳴りつけた。「きさまというやつはいつもいつも同じことの繰り返しだ。いったいどういうつもりだ」。朱貴は杜遷、宋万とともに林冲をなだめようとしたが、すでに林冲とぐるになっていた晁蓋たちに邪魔されてどうすることもできなかった。そのうちに林冲が刀を抜いて、王倫を殺してしまった。こうなると自分たちの実力ではもはやどうすることもできない朱貴は杜遷、宋万と一緒に平伏すると、「どうかご配下に加えてください」と懇願した。
 その後、晁蓋が梁山泊の新頭領に決まり、朱貴は杜遷、宋万に続く第十一位の頭領となり、これまでどおりの仕事を続けることになった(第20回)。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に杭州城で病死する
政和7年 ◎6月、宋江が江州で謀反の罪で逮捕されたとの情報をつかむ。
 ある日、朱貴の店に飛脚駕篭をかついだ役人風の男がやってきた(第39回)。この男が実は神行太保の戴宗で、江州長官・蔡九知府の命令で東京にいる宰相・蔡京太師に宛てた手紙を運ぶ途中だった。何も知らない居酒屋の給仕が戴宗にしびれ薬を飲ませたことから、朱貴はその手紙を手に入れた。その手紙は、江州で捕らえられている宋江をどう処分すべきかという指示を仰ぐ内容のものだった。しかも、男の持っていた漆塗りの札に「江州両院押牢節級(牢役人)戴宗」と書かれていた。朱貴は呉用の知り合いに戴宗という男がいることを知っていたので、すぐにも男に覚まし薬を飲ませ、事情を聞きだした。その男はやはり呉用の知り合いの戴宗で、宋江が江州で謀反の罪を着せられて捕らえられていると話した。朱貴は戴宗を連れて急いで聚義庁に行き、晁蓋や呉用に事態を説明した。そこで、梁山泊では蔡京からの返書を偽造し、それを戴宗が蔡九に届けさせることにした。ところがこの結果、梁山泊に加担したということで戴宗までが捕らえられ、宋江と一緒に江州で処刑されることになった。

7月、処刑場から宋江と戴宗を救出する。朱貴は荷かつぎ人足に変装して江州城にもぐり込み、処刑場の前で大暴れした(第40回)。

沂水県で逮捕された李逵を救出する。
 江州の処刑場から救出された宋江はこの事件を機に梁山泊に入山し、間もなくその弟の宋清と老父・宋太公を梁山泊に招いた。すると、それを見た李逵が自分も田舎にいる老母を梁山泊で面倒を見たいと言い出した。そこで宋江は李逵を一人で旅立たせたが、李逵が問題を起こしはしないかと心配になったので、すぐにも李逵と同郷の朱貴を呼び、李逵の様子を見に行くように命じた(第43回)。朱貴は店のことは石勇と侯健に替わってもらい、沂州沂水県に旅立った。故郷に着いた朱貴は弟・朱富が営業する居酒屋にやっかいになり、李逵を捜した。翌日、沂水県西門外で高札の前の人だかりにまじっている李逵を見つけた。朱貴はびっくりして駆け寄り、「張の兄貴、どうしたんだい」とわざと名前を変えて声をかけ、さっさと李逵を朱富の店に連れ帰った。というのも、李逵は字が読めないので、人だかりの中で人の声を聞いていたのだが、その高札には、江州で人殺しをした罪で李逵の首に三千文の賞金がかけられていることが記されていたからだ。そのことを李逵に説明し、十分に気をつけるように注意してから、朱貴は母親を迎えに行くという李逵を送りだした。
 ところが、それからしばらくして、心配していたとおり、李逵が捕らえられて警察隊長の李都頭が引き取りに行くという噂が聞こえてきた。朱貴はどうすべきか悩んだが、このとき朱富がある索を持ちかけてきた。李都頭は姓は李、名は雲といい、すばらしく腕の達人物だが、普段から朱富に目をかけてくれて、槍棒の稽古も付けてくれている親しい人だった。そこで、李都頭が李逵を護送する途中でしびれ薬を混ぜた酒や料理を用意して待ち受け、護送兵たちにそれを食べさせておいて李逵を救出しようというのだ。ただし、こんなことをしたら朱富もこの町にいられなくなってしまうので、朱貴は朱富とその家族を梁山泊に連れていくと約束した。朱貴と朱富はすぐにも準備に取りかかり、護送当日の朝早くから護送隊の通り道で待ち受けた。やがて、李都頭が護送隊を率いてやってきたので、朱富が話しかけて、どうにか少しだけ食べさせた。護送兵たちは遠慮のない連中なので、大いに飲み食いした。すぐに、李都頭も護送兵たちもしびれて動けなくなったので、朱貴は李逵を救出した。この後、朱富が説得したことで李雲も梁山泊入りすることになり、朱貴は4人連れで梁山泊に帰り、仲間に李雲と朱富を紹介した(第44回)。
宣和2年 4月、梁山泊に百八星が揃い、最終的な職務分担が決まる。朱貴は南山酒店を任された(第71回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。梁山泊の好漢たちが東京に滞在中、朱貴は宋江、呉用らとともに一万の兵を率いて梁山泊に戻り、山寨の解体作業を行った(第83回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、朱貴は宋軍の副将として出征した。

檀州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、朱貴は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、朱貴は宋江麾下の軍に加わった(第93回)。

襄垣県境の戦い。魯智深が行方不明になり、朱貴ら4人の将が捜索隊に選ばれた(第89回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、朱貴は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、朱貴は盧俊義指揮下に独松関を攻めった(第375)。

杭州城で病死する。宋軍が杭州城を攻略したあと、杭州城内に疫病が流行した。朱貴はこれに冒されて戦線を離脱し、杭州城に残って養生した(第116回)。しかし、病がいえないまま杭州城で病死した(第119回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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