小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
107位 |
持ち場 |
機密伝令担当の歩兵軍頭領 |
特技 |
泥棒 |
あだ名 |
鼓上蚤(こじょうそう) |
出身地・前歴 |
高唐州・泥棒 |
あだ名の由来 |
蚤(のみ)のように敏捷身軽な天才的泥棒で、たとえ太鼓の上で跳ねても音を立てないほどだから鼓上蚤と呼ばれた。 |
盗みやスパイだけで活躍した梁山泊の鼠小僧 |
時遷は地煞星のひとつ地賊星が生まれ変わった好漢である。
もともと薊州で泥棒家業をしていたが、あだ名からもわかるように驚くほど身軽な男で、どんなところにでも侵入し、誰にも知られずに獲物を盗み出すことができた。病関索の楊雄とは古い知り合いで、たまたま楊雄と石秀が梁山泊に逃げるという話をしていたのを盗み聞きして、その仲間に加わった。梁山泊へ向かう途中で祝家荘戦争となるきっかけを作ってしまった張本人なので、梁山泊での地位は107位と低かった。しかし、低い地位のわりには役に立つ男で、適地に侵入したり、ものを盗んだりと、まるで鼠小僧のような活躍で梁山泊に貢献した。 |
時遷の物語 |
◆鶏を盗んだだけで祝家荘戦争のきっかけを作る
時遷は薊州で泥棒を家業にしていたが、いい獲物がなかったので、墓地のある翠屏山という寂しい山に登って、墓を荒らしていた
。そんなあるとき、時遷が仕事をしていた墓地に楊雄と石秀がやってきて、若い和尚と浮気をした楊雄の妻・潘巧雲とそれを手伝った女中を殺すのを目撃した。しかも、時遷が盗み聞きしていると石秀と楊雄はこれから梁山泊へ逃げようなどと話し合っていた。時遷はすぐにも飛び出し、「人殺しをして梁山泊へ逃げようとはまったく物騒な話だな」といった(第46回)。実は時遷は楊雄と知り合いで、もしもその二人が本当に梁山泊へ行くなら、うだつの上がらない泥棒などやめてしまって自分も一緒について行きたいと思ったのだ。「それなら一緒に行きましょう」と石秀がいうので、時遷は「わたしは人目に付かない道を知っています」といい、二人をつれて梁山泊を目指した。
数日後の日暮れ、三人は梁山泊に近い祝家荘という村で一件の宿屋に入った。三人は腹ごしらえをしたかったが、ついいましがた全部売れてしまったので、店には肉も菜もなく、米と酒だけがあると店の若い衆がいった。しかたがないので三人は米と酒だけもらって、後は自分たちでやるからといって若い衆を寝に行かせた。少しして時遷が裏庭に出てみると駕篭の中に一匹の鶏がいた。これを見た時遷はすぐにもこそ泥の本姓を表し、こっそり手に入れると羽をむしり、裏庭で煮てしまった。少しして部屋に戻った時遷は、「兄貴、肉を食いませんか」といってその鶏を持ち出し、どうやって手に入れたか説明した。「相変わらずだな」と楊雄はいったが、さして悪いこととも思わず、三人でそれを食ってしまった。ところが少しすると店の若い衆が起き出してきて、「あんたたちは夜明けを知らせる鶏を食ってしまったな」と大騒ぎを始め、店の奥からも四五人の大男が出てきた。石秀と楊雄は大暴れし、男たちを追い払うと、腹立ち紛れに宿屋に火をつけて逃げ出した。ところが、逃げた男たちはすぐにも二百人ほどの仲間を連れ、松明を持って追いかけてきた。三人は朴刀を手に戦い数十人をやっつけたが、この戦いの間に時遷は敵に生け捕りにされてしまった。間もなく、石秀と楊雄がこの事態を梁山泊に伝えたことから、梁山泊と祝家荘の間で戦争が起こるが、時遷はこの戦いの間ずっと敵地に捕らえられており、戦争が梁山泊の勝利に終わってはじめて解放され、梁山泊入りした(第50回)。
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梁山泊入山後の活躍
◆あらゆる場所で泥棒の腕前を発揮する |
政和8年 |
春、梁山泊で二回目の職務分担が決まる。時遷は北山酒店で石勇の手助けをして、情報収集を担当することになった(第51回)。
冬、呼延灼の朝廷軍との戦い。最初の戦いで呼延灼軍に西と東の居酒屋が壊されてしまい、時遷は山寨に逃げ帰った(第55回)。
徐寧の屋敷から家宝の鎧を盗み出す。第一回目の戦いで、連環馬を使った呼延灼軍に敗れた梁山泊軍は、是非とも東京に住む鈎鎌鎗法の名手・徐寧の助けが必要になり、徐寧を梁山泊の仲間に引き入れる作戦を実行した。このとき、時遷は真夜中に徐寧の家に忍び込み、鼠の鳴き声を真似したりしながら見事に先祖伝来の家宝の鎧を盗みだし、徐寧を城外におびき出すのに成功した(第56回)。 |
宣和2年 |
正月、北京に捕らえられた盧俊義と石秀を救出する作戦が実行される。時遷は密かに北京に侵入し、翠雲楼という巨大な楼閣に火を放った(第66回)。
北京陥落後、凌州の将軍・単廷珪と魏定国が梁山泊討伐軍を指揮することが決まると、李逵が勝手に行動を起こして行方不明になるという事件が起こり、時遷ら四名の頭領が捜索を命じられた。時遷は凌州へ向かう途中の李逵を見つけたが、李逵が寇州にいる鮑旭という好漢を連れてくると強く言い張るので、梁山泊へ連れ帰ることはできなかった(第67回)。
春、曽頭市との第二回目の戦争が起こる。時遷は攻撃の前に敵地に潜入し、曽頭市の寨の南北に落とし穴があることを報告した(第68回)。
3月ころ、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。時遷は盧俊義麾下の軍に編入され、東昌府を攻めた(第69回)。 |
宣和3年 |
11月、高俅率いる朝廷軍が梁山泊を攻撃するために済州の造船所で大小の海鰍船数百隻を建造していることがわかる。時遷は段景住らとともに適地に侵入し、まぐさ置き場や城壁の櫓に火をつけて敵を混乱させた(第80回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、時遷は宋軍の副将として出征した。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、時遷は宋江麾下の軍に編入された。
薊州城攻略戦。時遷は石秀とともに敵城に侵入し、城内に火を放って城を落とすのに貢献した(第84回)。
宋江軍が薊州を取ると遼国から梁山泊を招安したいという申し出があり、宋江が寝返ったように見せる作戦が採られる。時遷は魯智深らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けてこれを奪い取った(第85回)。
田虎討伐戦始まる。
蓋州城攻略戦。時遷は石秀とともに敵兵に変装して敵城に侵入し、あちこちに火を放って城内を混乱させた(第92回)。 |
(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、時遷は宋江麾下の軍に加わった(第93回)。
王慶討伐戦始まる。
山南城攻略戦。時遷は水軍の操る船に乗り込み、逃げ遅れた宋軍の兵糧船と見せかけてわざと敵に捕らえられ、一斉に暴れ出して敵城を奪った(第107回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、時遷は盧俊義麾下の軍に加わり、宣州、湖州へと向かった(第112回)。
湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、時遷は盧俊義が指揮する軍に加わって独松関へ向かった(第114回)。
杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、時遷は盧俊義麾下の軍となり、歙州へ向かった(第116回)。
歙州城の関所・昱嶺関の戦い。山の中の複雑な道筋を探るために時遷が偵察に派遣され、山の奥深くに住む老和尚から関所を超える裏道を聞きだした。さらに時遷は火砲を持ってたった一人で険しい道を通り、関所の裏へ抜けると、そこから関所に砲撃を加え、難攻不落の関所を落とすのに貢献した(第118回)。
杭州で病死する。時遷は方臘討伐直後まで生き延びたが、凱旋途中の杭州で日射病にかかって死亡した(第119回)。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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