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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地狗星
ちくせい
段景住
だんけいじゅう
梁山泊での順位 108位
持ち場 機密伝令担当の歩兵軍頭領
特技 早歩き
あだ名 金毛犬(きんもうけん)
出身地・前歴 涿州・馬泥棒
あだ名の由来
痩せた風変わりな大男で、粗野な身なりをしていたが、髪が赤く、鬚が黄色かったので金毛犬と呼ばれた。
中国北辺の地理に詳しい流れ者の馬泥棒
 段景住は地煞星のひとつ地狗星が生まれ変わった好漢である。
 梁山泊での順位からも想像できるように豪傑らしい活躍はまったくなく、梁山泊軍が芒碭山の山賊・樊瑞らを仲間に加えた直後に、突如として梁山泊の岸辺の街道に姿を現して梁山泊の仲間に加わった。金国に近い涿州の生まれで、もともと北辺の地で馬泥棒をしていたので、梁山泊入山後も当初は北辺の地に出かけて馬を買ってくる仕事を与えられた。北辺で暮らしていただけにそのあたりの地理には詳しく、その知識が遼国戦争の檀州攻略時に役に立った。どんな遠方までも相当な速力で歩く能力があったので、情報伝達や収集にはうってつけだったが、戴宗ほどは速くなかったので活躍の場は少なかった。段景住の手に入れた馬をめぐって二度も梁山泊と曽頭市との戦争が起こることになったので、曽頭市との戦争のきっかけを作るためだけに梁山泊入りしたような男だったといえるかもしれない。
段景住の物語
◆宋江に献納しようとした馬を曽頭市の賊に奪われる

 北辺の地で馬泥棒を家業にしていた段景住は梁山泊の頭領・宋江のうわさを聞くにつけ、何とか会ってみたいものだと思っていたがそのつてがなくて困っていた。そんなあるとき、段景住は雪のように真っ白で、頭から尾までの長さが一丈、蹄から背までの高さが八尺ある馬を盗んだ。これは 金国の皇子の乗馬で、照夜玉獅子という名の名馬だった。段景住はこれをみやげにして宋江に会おうと思い、すぐにも梁山泊を目指した。ところが、その途中で凌州の曽頭市まで来たとき、段景住は曽頭市を取り仕切る曽家の五虎という者に名馬を奪い取られてしまった。「これは梁山泊の宋公明さまのものだぞ」と段景住はいったが、五虎は気にせず、宋江を馬鹿にするような悪態をついた。段景住はその場は逃げ出すとこの事態を知らせに梁山泊へ向かった。このころ、宋江は芒トウ山の山賊たちとの戦いを終え、山賊の頭領・樊瑞、項充、李袞を仲間に加えて梁山泊へ戻ろうとしているところだった。段景住は梁山泊の岸辺の街道で、偶然にもその一行に出会った(第60回)。そこで、すぐにも駆け出すと宋江の前に平伏し、名を名乗った上でこれまでの経緯を詳しく説明した。宋江は段景住がいかにも好漢らしい風貌をしているのを喜び、それなら一緒に山寨で相談しようと段景住を誘った。こうして、段景住は梁山泊入りすることになり、同時に第一回目の曽頭市との戦争が起こることになった。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に銭塘江で戦死する
宣和元年 4月ころ、梁山泊で第四回目の職務分担が決まる。段景住は楊林、石勇とともに北辺の地に馬を買いに行く任をまかされた(第60回)。
宣和2年 年春、北辺の地に馬を買いに行った段景住は、曽頭市と手を結んだ郁保四に馬を奪われ、このために第二回目の曽頭市戦争が起こるた(第68回)。

3月頃、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。段景住は宋江麾下の軍に編入され、東平府を攻める(第69回)。

11月、高俅率いる朝廷の梁山泊討伐軍が済州で大小の海鰍船数百隻を建造していることがわかり、段景住は時遷、孫新、顧大嫂らとともに済州城に侵入し、あちこちに火を放って敵を混乱させた(題80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、段景住は宋軍の副将として出征した。

檀州城攻略戦。段景住は北辺の地理に詳しかったので、檀州城を攻めるには水軍を利用するのがいいと宋江に提案し、その作戦が成功した(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、段景住は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊を招安したいという申し出があり、宋江が遼国に寝返ったと見せる作戦が採られる。段景住は廬俊義らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けてこれを奪い取った(第85回)。

田虎討伐戦始まる。

蓋州城攻略戦。段景住は劉唐や郁保四とともにそれぞれ二百の兵を率いて城外に潜み、時遷と石秀が城内に火を放ったのに呼応して城に攻め込んだ(第92回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、段景住は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

襄垣県境での戦い。魯智深が行方不明になり、段景住は楽和らとともに捜索隊となった(第98回)。

威勝城攻略戦。田虎軍の女将軍・瓊英が宋軍に寝返ったので、段景住は瓊英に従って威勝城を攻め、楽和とともに城壁にかけ登って宋軍の旗印を立てた(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略戦。段景住は水軍の操る船に乗り込み、逃げ遅れた宋軍の兵糧船と見せかけてわざと敵に捕らえられ、一斉に暴れ出して敵城を奪った(第107回)。

荊南州での戦い。段景住は焦挺らとともに二千の歩兵を従えて周辺の木立を切り払い、味方のために道を広くした(第107回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略後、宋軍は兵を三隊に分け、段景住は宋江麾下の軍に編入された(第112回)。

杭州城攻略戦中に戦死する。段景住は侯健とともに水路から杭州城を攻めるため、水軍の船で銭塘江へ向かった(第114回)。しかし、銭塘江へ入ろうとしたときに強風のために船が転覆し、泳げなかった段景住は水に落ちて戦死した(第116回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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