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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地好星
ちこうせい
孔明
こうめい
梁山泊での順位 62位
持ち場 中軍司令部護衛の騎兵軍驍将
特技 槍棒
あだ名 毛頭星(もうとうせい)
出身地・前歴 青州白虎山・白虎山の山賊の第一の頭領
あだ名の由来
毛頭星とは不吉な星“すばる”のこと。村では知られた乱暴者の大男で、すぐに問題を起こすことから毛頭星と呼ばれた。
白虎山の山賊を率いた金持ちのドラ息子
 孔明は地煞星のひとつ地好星が生まれ変わった好漢である。
 白虎山に住む金持ち孔太公の息子で、弟の独火星の孔亮と同様に地元では暴れ者で通っていた。とはいえこのころの手下というのは、家の小作人とか村の与太公ばかりだったので、その親分といってもどれほど強かったのか疑わしいところがある。兄弟そろって宋江から槍棒を学んだこともあるが、弟の孔亮が武松にあっさりやられてしまったように、孔明の実力もその程度だったと推測できる。その後、ひょんなことから人を殺したために白虎山にこもって山賊の頭領になったものの、もともと金持ちの息子なので山賊らしい感じはあまりなかった。必死になって呼延灼と戦いながら簡単に捕らえられてしまうところなど、ちょっとかわいそうな感じさえする。
孔明の物語
◆呼延灼に捕らえられ梁山泊に救出される

 孔明がまだ山賊になる前のある年の11月、弟の孔亮が白虎山の居酒屋でとある行者風の大男にこっぴどくなぐられたあげくに谷川に落とされ、びしょぬれになって逃げ帰るということがあった(第32章)。弟の孔亮は着物を着替えるとすぐに大勢の手下を引き連れて仕返しに出かけたが、孔明も間もなく手下から事情を聞かされ、十数人を引き連れて後を追った。しばらくして、孔明は行者風の大男が谷川につんのめっているのを見つけた。ぐでんぐでんに酔っていて、谷川からはい出せないのである。と、そこへ孔亮もやってきて、男を見るなり、「あいつが俺を殴りやがったんだ」と訴えた。「屋敷でたっぷり痛めつけてやろう」と孔明がいうと、孔亮はすぐにも手下に命じてその男を捕まえさせた。
 屋敷に戻った兄弟はその男を柳の大木に縛り付け、藤の鞭で数度叩いた。このとき、屋敷の中から宋江が出てきた。閻婆惜を殺した宋江は最初は柴進の屋敷に滞在していたが、古い知り合いの孔太公から誘いの手紙をもらい、ここ半年ばかりはこの屋敷に世話になっていたのである。そこで、孔明と孔亮も宋江から槍棒の稽古を受けたりしていた。
 この宋江が男を見るや、「なんと、武松さんではないか」と驚いた。それから縄を解かせ、武松というのは自分の弟分で、景陽岡で虎退治をした武松だということを説明した。びっくりした孔明と孔亮はすぐにも謝罪し、武松を温かくもてなした。そして数日後、二竜山へ行くという武松と青州の地方軍事基地清風鎮へ行くという宋江を送りだした。
 それからしばらくして、孔明と孔亮は土地の金持ちといさかいを起こし、その一家を残らず殺してしまった。そこで、孔明と孔亮は六七百人の手下を集め、家族とともに白虎山に立てこもり、強盗を働くようになった。
 数年後、青州城内に住んでいた叔父の孔賓が山賊の親戚だというので青州長官に捕まって牢屋に入れられるということが起こった。それを救うために孔明と孔亮は一緒に手下を引き連れ青州城に出かけた(第57回)。ところが、このころ青州では呼延灼が青州長官に雇われて山賊退治をしているところだった。呼延灼はすぐにも兵を引き連れ、孔明たちの前に現れた。孔明は槍を構え馬を走らせ、呼延灼と一騎打ちをした。が、腕が違いすぎ、孔明は呼延灼の双鞭を受けとめるのが精一杯で、すぐにも生け捕られてしまった。それから、孔明は城内に引き入れられ、大枷をはめられ、孔賓と同じ牢に監禁された。
 孔明が捕まってしまうと弟の孔亮が二竜山の武松や梁山泊の宋江に救いを求め、三山と梁山泊共同の青州攻撃軍が編成された。おかげで、孔明と孔賓は救出され、孔明は孔亮や武松らと一緒に梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に杭州城で疫病に冒されて戦死
宣和元年 秋、盧俊義と石秀を救出するため北京攻撃軍に加わる。孔明は孔亮と一緒に苦戦する李逵の援軍として敵将・索超の軍の前に飛び出し、索超を追い払った(第63回)。
宣和2年 1月、再び北京攻撃軍が編成される。孔明は孔亮や数多くの仲間と一緒にあらかじめ変装して北京城内に侵入し、正月十五日の夜に仲間たちがあちこちで同時に攻撃を開始したときに孔亮、柴進と一緒に牢屋に入り込み、見事に石秀と盧俊義を救出した(第66回)。

春、曽頭市攻撃軍に加わる(第68回)。

3月、東平府・東昌府攻撃。孔明は宋江麾下の軍に編入され東平府を攻め、東平府軍総指揮官董平を生け捕る作戦に参加した(第69回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣で敵を迎えうち、孔明は中央の陣で元帥旗を守る将の一人となった(第76回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、孔明は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後に宋軍は軍を二隊に分け、孔明は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊を招安したいという申し出があり、宋江が遼国に寝返ったと見せる作戦が採られる。孔明たち十数名の将が宋江とともに遼国の文安県城に赴き、城を落とすのに成功する(第85回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後に宋軍は兵を二隊に分け、孔明は盧俊義軍に編入され、西回りの経路で敵の本拠威勝城を目指した(第93回)。

盧俊義軍が平遥県を取り、太原県へ向かうときに、孔明は孔亮とともに平遥県城の守備についた。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦で、宋軍が敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を採る。孔明は李俊の船に乗り込んだ(第111回)。

潤州攻略後に宋軍は陸路の兵を二隊に分け、孔明は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州方面に向かった(第112回)。

常州攻略後、孔明は孔亮、李応らと一緒に水軍の援助を命じられ、揚子江下流の町・常熟、昆山を攻め、本隊が蘇州を攻略したときに帰隊した(第113回)。

杭州城入城後に疫病が流行り、孔明はこれに冒されたために軍から離脱して杭州城に留まった(第116回)。しかし、病気は回復せず、当地で病死した(第119回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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