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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地損星
ちそんせい
蔡慶
さいけい
梁山泊での順位 95位
持ち場 死刑執行首斬人
特技 斬首
あだ名 一枝花(いっしか)
出身地・前歴 北京・牢役人兼首斬り役人
あだ名の由来
首斬り役人のくせにおしゃれで、鬢に花をさすのが好きだったのでみなから一枝花と呼ばれた。
盧俊義を助けるために働いた首斬り役人兄弟の弟
 蔡慶は地煞星のひとつ地損星が生まれ変わった好漢である。
 兄・蔡福ととも北京で牢役人をしていたときに、死刑囚となった盧俊義を助けるために梁山泊に協力し、そのまま兄弟で梁山泊入りした。大した働きはしていないが、兄に比べるとてきぱきと問題を処理する能力があった。梁山泊でも兄弟そろって首斬り処刑人となったが、誰かの首を斬ったという話はない。同じ北京出身の盧俊義を助けたものの、積極的にそうしたというわけではなく、燕青のように盧俊義に尽くそうという気があったわけではなかった。
蔡慶の物語
◆盧俊義のために積極的に賄賂を使う

 蔡慶は兄の蔡福とともに北京で牢役人兼首斬り役人をしていた。ある年の7月ころ、蔡福のいる大牢に北京の大金持ちとして有名だった盧俊義が死刑囚として送られてきた(第62回)。蔡慶は蔡福から命じられ、盧俊義を死刑囚の牢に入れた。ところが、それから間もなくちょっとばかり外に出かけていた蔡福が牢に戻ってきて、家に訪ねてきた梁山泊の柴進に一千両の金を渡され、盧俊義の命を助けてくれるように頼まれたと告げた。しかも、その前には盧俊義の家の大番頭の李固が五百両の金で明日までに盧俊義を殺すように頼んできたという。いったいどうしたらいいかという蔡福に蔡慶ははっきりといった。「とにかく一千両の金を役人たちにばらまくのです。そうすれば盧俊義は死刑にならず、流罪ということに落ち着くでしょう。それから先は梁山泊にまかせればいいじゃないですか」そこで二人はすぐにも大勢の役人たちに賄賂を配り、盧俊義が助かるように頼み込んでおいた。
 この作戦はうまくいき、盧俊義は遠隔地への流罪と決まった。ところが、護送されたはずの盧俊義は再び捕らえられ北京に連れ戻されてしまった。盧俊義の護送を担当した役人が李固から賄賂をもらい、護送途中で盧俊義を殺そうとし、この役人を盧俊義の腹心・燕青が殺したことから、盧俊義に護送役人殺しの罪が着せられたのである。処刑の日、十字路の仕置場に出された盧俊義に蔡慶は、「わたしたちはできるだけのことをしたんですよ」とわびをいった。それから、蔡福が刀を構え盧俊義の首を斬ろうとした。と、このとき料理屋の二階から刀を持った大男が、「梁山泊の好漢、ここにあり」と叫んで飛び降りてきた。その大男は梁山泊の石秀で、逃げ遅れた者数十人を切り倒し、盧俊義を連れて逃げ出した。蔡慶と蔡福は仕事を放り出して真っ先に逃げ出したので命拾いした。
 盧俊義も石秀も結局は逃げ切れずに間もなく捕まってしまうが、梁山泊に二人を処刑すれば北京を火の海にすると脅された北京当局は二人をすぐには処刑できず、死刑囚の牢に閉じ込めた。この後、二人を救出するために梁山泊軍が一度は北京を包囲したが、大雪の季節になると戦いは中断した。そして翌年正月十五日元宵節の夜に梁山泊による二度目の北京攻撃が行われることになった(第66回)。
 その夜、蔡慶が牢にいると、蔡福が役人に変装した梁山泊の柴進と楽和を連れてきた。この夜の北京攻撃にあわせて盧俊義と石秀を救出するため、柴進と楽和が蔡福を訪ねてきたので、蔡福が二人を牢に案内してきたのである。やがて、梁山泊の攻撃が始まると北京のあちこちに火の手が上がり、城内が混乱する様子が牢の中にも伝わってきた。柴進と楽和は、「蔡福さん、蔡慶さん、いまさらぐずぐずすることはないでしょう」といった。このとき、孔明と孔亮が牢に侵入し、盧俊義と石秀を自由にした。これを見た蔡京と蔡福はついに腹を決め、柴進と一緒に自分の家族を守りにいき、そのまま梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆梁山泊ではほとんど働かなかった蔡京
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、蔡京は中央の陣の鉄面孔目の裴宣の後ろに位置した(第76回)。
宣和4年 3月、梁山泊は正式に朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、蔡京は宋軍の副将として遼国戦争に出征した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、蔡京は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県境での最終決戦。蔡慶は遼国の右軍の太陰の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、蔡京は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

称徳城攻略後、梁山泊へ寝返った田虎軍の女将軍・瓊英に率いられ、敵の本拠地・威勝城を攻める。瓊英隊が敵将・田豹(でんひょう)と田彪(でんひゅう)を捕らえると、蔡京は蔡福、王定六、郁保四とともに二人を襄垣城へ押送した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

南豊州での最終決戦。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、蔡慶は中央の陣に位置した(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装い、蔡慶は第三団の船に護衛として乗り込んだ(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は兵を三隊に分け、蔡慶は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

杭州攻略後、蔡慶は再度宋江麾下の軍に編入され、睦州へ向かった(第116回)。

方臘討伐戦に勝利し東渓に凱旋する。蔡慶は官爵を授けられたが、役人にはならず、その後は北京に帰って庶民として暮らした(第120回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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