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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 
地文星
ちぶんせい
蕭譲
しょうじょう
梁山泊での順位 46位
持ち場 文書作成・軍隊派遣の管理者
特技 書・文章
あだ名 聖手書生(せいしゅしょせい)
出身地・前歴 済州・書生
あだ名の由来
宋朝の四絶といわれた四家の書体である蘇東坡、黄魯直、米元章、蔡京の書体を真似て文字を書くのがうまかったので、聖手書生と呼ばれた。
穏やかな教養人に秘められた好漢魂
 蕭譲は地煞星のひとつ地文星が生まれ変わった好漢である。
 ごろつきや軍人が多い梁山泊の中では極めて少数の完全に文化人、教養人タイプの好漢で、もともと済州で書道の先生をしていた。強くはないが槍も剣も使えた。梁山泊では将兵派遣の文書だけでなく、儀式の時の祭文とか手紙などを書く仕事を担当した。人当たりがよく、礼儀作法を心得た人物なので、梁山泊が朝廷の役人と接触するような場合にもしばしば顔を出した。また、役人に変装するような場合にも蕭譲のようなタイプは必要不可欠だった。しかし、文化人だからといって、決して軟弱なタイプではなく、敵の捕虜となって降伏を勧められても、断固としてそれをはねつけるような強さを持っていた。
蕭譲の物語
◆宋江救出のために宰相・蔡京の手紙を偽造する

 蕭譲は済州で書道の先生をして生活していた。ある年の6月ころ、蕭譲の前に泰安州の山伏だと自称するものが現れ、金を出して、自分らの廟まで来てもらって碑に書く文章の製作をしてくれるよう依頼してきた(第39回)。蕭譲は文章を作ることに異存はなかったが、「碑を建てるなら、字をきざむ人物も必要ですよ」と注意した。すると山伏は、やはり済州に住んでいた彫刻の名人、玉臂匠の金大堅に頼むつもりだというので、蕭譲は引き受けることにした。蕭譲は金大堅を知っていたので、山伏と一緒に会いに行き、事情を説明して、翌朝には三人一緒に泰安州へ向かうことにした。
 その日、済州を出てしばらくすると、山伏は自分は先に行って迎えの準備をさせるからといってさっさと行ってしまった。そこで、蕭譲と金大堅だけでゆっくり旅を続けていくと、昼過ぎごろになって二人の前に四五十人の山賊が飛び出してきて、「酒の肴におまえら二人の肝をいただく」と脅した。蕭譲も金大堅も多少は武芸の心得があったので、棍棒を構えて立ち向かったが、すぐに取り押さえられてしまった。が、山賊たちは二人を殺そうとはせず、「二人とも安心しなさい。二人を仲間に加えるために梁山泊から迎えに来たのです」といった。
 それから、梁山泊の山寨に案内された蕭譲はそこで詳しい事情を知らされた。好漢たちに尊敬されている宋江が江州で謀反を企てたとして捕らえられ、江州長官の蔡九がその処分をどうすべきか東京にいる宰相蔡京に指示を求めているという。この手紙を託されたのが江州牢役人だった戴宗で、これを知った梁山泊ではすぐにも呉用が作戦を立て、呉用の知り合いだった蕭譲と金大堅に蔡京の手紙を偽造してもらうために二人を梁山泊まで連れてきたのだ。山伏だったのが実は戴宗で、山賊を率いていたのは王英、宋万、杜遷、鄭天寿だった。
 とはいえ蕭譲と金大堅は二人とも済州に残してきた家族のことが心配だった。と、「それなら心配ない」と呉用がいい、その言葉どおりすぐにも二人の家族の者たちが駕篭に乗って現れた。梁山泊の好漢たちが策略を使って家族の者たちまで連れてきたのである。これを見た蕭譲と金大堅はもはや断る理由もなかったので、そのまま梁山泊入りした。
 その後、蕭譲はすぐにも蔡京の書体を真似て、宋江は処刑せずに東京へ護送するようにという返書を偽造した。そして、金大堅が偽造した蔡京の印鑑を捺して、戴宗に持たせ蔡九のもとに運ばせた。
 ところが、その直後になって呉用が手紙の中に失敗があることに気づいた。
「わたしは蔡京の字をそっくりに真似ました。失敗はありません」と蕭譲は自信を持っていった。金大堅も自分の彫った印鑑は完全だと保証した。
 だが、呉用はいった。「蔡九長官は蔡京の息子です。父親が息子に手紙を出すのに、本名の印鑑は使いません」
 その言葉どおり、戴宗の運んだ手紙は偽造だと見破られてしまい、戴宗までが捕らえられ、宋江と一緒に処刑されることが決まってしまったのである。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦直前に請われて蔡京の右筆となる
政和7年 9月ころ、梁山泊で第一回目の職務分担が決まり、蕭譲は梁山泊の出入りに必要な通牒、出入り取り締まり規約、頭領たちの順位登録などを担当することになる(第44回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争起こり、蕭譲は戦争終了後に李家荘の李応と杜興を梁山泊に引き入れるための作戦に加わる。このとき蕭譲は州の長官に変装し、役人に変装した戴宗や金大堅らを引き連れて李家荘を訪ねた。そして、難癖を付けて李応と杜興を逮捕するように見せかけると、二人を護送して梁山泊の仲間に渡した(第50回)。

この直後に第二回目の役職分担が決まり、蕭譲は金大堅とともに来客・手紙・文書の処理を担当することになる(第51回)。
宣和元年 1月ころ、第三回職務分担があり、蕭譲は文書の担当者となる(第60回)。
宣和2年 3月、曽頭市との第二回目の戦争に勝利すると、第一回目の曽頭市戦争で戦死した晁蓋の霊を祭るため蕭譲が祭文を作る(第68回)。

4月、ついに百八星が勢揃いした梁山泊で、これまでに戦死した者たちのための七日七夜にわたる盛大な供養祭が営まれる。その七日目の夜、空から火の玉が落ちてきて地面にもぐり込んだと思うと、そこから古代文字で書かれた碑が出てきた。供養のために呼ばれていた道士の一人がこれを読んだので、蕭譲がその言葉を一言漏らさず書き写した。するとそこに天罡星、地煞星あわせて百八星の名が書かれていた(第71回)。
宣和3年 4月、朝廷から梁山泊の招安を求める第一回目の使者が来る。蕭譲は裴宣・呂方らを引き連れて使者を迎えに出た。山寨の忠義堂で使者が招安の詔書を差し出すと、蕭譲がこれを受け取り、頭領たちの前で読み上げた(第75回)。

夏、童貫率いる梁山泊討伐軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、蕭譲はあくまでも文書作成係として、黒い紗の帽子に白い絹の上着を着て、中央の陣に位置した(第76回)。

12月ころ、梁山泊軍に敗れた大臣・高俅が皇帝に申し出て梁山泊が朝廷に招安されるように取り計らうことを約束したので、梁山泊から蕭譲と楽和が高俅について東京に行く。東京に着くと高俅は約束を守らず、蕭譲と楽和は高俅の屋敷に軟禁されたが、翌年正月になって呉用の命令で東京に派遣された戴宗と燕順に救われる(第81回)。
宣和4年 2月、梁山泊招安が実現することになり、蕭譲は呉用、楽和と一緒に朝廷の使者としてやってきた宿太尉と目どおりするため済州城まででかける。使者が梁山泊に到着すると、今回も蕭譲が招安の詔書を読み上げた。また、招安が決定した梁山泊では頭領たちと一緒に朝廷に行きたいという兵士たちが集められ、蕭譲がその名簿を作った。さらに、梁山泊にある大量の財産を売り払う十日間の市が立つことになり、蕭譲が告示を書いた(第82回)。

4月ころ、遼国戦争が起こり、蕭譲は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は兵を二手に分けて進軍するが、蕭譲は柴進、李応らとともに城を守備するために檀州に残る(第84回)。宋江軍が幽州城を取った後に本隊と合流した(第87回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 1月、宋軍が蓋州城に入ったとき、大雪が降る。蕭譲は雪を見ながら「雪の種類は多い。一片のものは峰児、二片は鵝毛、三片は攅三、四片は聚四、五片は梅花、六片は六出といいます」といって楽和を感心させた。この後、宋軍が二手に分かれて進軍することになると、蕭譲は宋江麾下の軍に編入される(第93回)。

王慶討伐戦始まる。

宛州城攻略後、蕭譲は守備隊として、花栄、林冲らとともに宛州城に残る。間もなく敵が攻めてきたので花栄、林冲らが応戦に向かったが、すぐにも敵の別働隊が城に攻めてきた。このとき、城には蕭譲、宣贊、郝思文とあまり戦えそうにない兵しかいなかったが、蕭譲は兵士たちに作戦を命じると城楼の上で酒宴を始めた。こうすることで、蕭譲は敵将に何か罠があるに違いないと疑わせたのだ。それから蕭譲は、城内で砲声を響かせ、城壁の上に無数の旗印を掲げ、兵たちに軍鼓と歓声を揚げさせた。すると敵は完全に罠がしかけられていると勘違いし、びっくりして逃げ出した。こうして、蕭譲は戦わずして城を守った(第106回)。

荊南を攻めていた宋江が病気だと聞いた蕭譲はその見舞いに訪れ、宛州に戦勝記念の碑を建てるために帰りには裴宣と金大堅を連れて旅だったが、すぐにも敵将・縻貹(びせい)に捕らえら荊南城に運ばれた。荊南城の将・梁永は蕭譲の名をよく知っていたので蕭譲らに投降を勧めたが、三人は大いに怒り、「殺したければさっさと殺すがよい。われわれが膝を屈することなどあり得ない」と罵った。このため三人は大いに痛めつけられたが、間もなく宋軍に寝返ろうとしていた敵将・蕭嘉穂(しょうかすい)によって救出された(第108回)。

王慶討伐戦から宋軍が凱旋したとき、宰相・蔡京が蕭譲の書の見事さを見込んで右筆にしたいと申し出てきた。宋江は逆らえなかったのでこれを承知し、蕭譲は蔡京の屋敷で働くことになった(第110回)。このため、蕭譲は方臘討伐戦には参加せず、後々まで蔡京のもとで家塾の教師として働いた(第120回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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