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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地巧星
ちこうせい
金大堅
きんたいけん
梁山泊での順位 66位
持ち場 兵符・印章の製作管理者
特技 印刻
あだ名 玉臂匠(ぎょくひしょう)
出身地・前歴 済州・印刻家
あだ名の由来
臂は腕のこと。碑、玉石、印鑑などに文字を彫る職人として中国の中原地方きっての名人だったので、玉臂匠と呼ばれた。
戦争とは縁遠い正真正銘の天才職人
 金大堅は地煞星のひとつ地巧星が生まれ変わった好漢である。
 姓は金、名は大堅。完全なる職人として梁山泊に迎えられたので、戦いで活躍するようなことはなかった。梁山泊の中では一番戦場と縁の薄い人物といっていいかも知れない。平和な生活を送っていたところを誘拐同然に梁山泊入りさせられてしまったので、義理もあまり感じていなかったようだ。入山当初に職人の腕を発揮した以外は大した仕事もせず、最終戦争の前には請われて皇帝のもとで働くようになり、梁山泊から離れた。ただし、敵に捕らえられたからといって、簡単に降伏するほどヤワな男ではなかった。
金大堅の物語
◆最初から印鑑偽造のために梁山泊に誘拐される

 金大堅は蕭譲と同じ済州で、碑や宝石に文字を彫る仕事をしていた。そんな金大堅のところに、あるとき蕭譲と泰安州の山伏だという男が現れて、仕事を持ちかけた。山伏の仕える廟で碑を建てることになったから一緒に来てほしいというのだ。金大堅は承知し、翌日には三人一緒に済州を旅立った(第39回)。
 途中で二人を迎えるための準備があるからといって山伏が先に行ってしまってから、二人は山賊に襲われ、梁山泊に連れて行かれた。
 山寨に案内された金大堅と蕭譲はそこで詳しい事情を知らされた。宋江が江州で謀反を企てたとして捕らえられ、江州長官の蔡九がその処分をどうすべきか東京にいる父親の宰相・蔡京に指示を求めた。この手紙を託されたのが江州牢役人の戴宗で、この戴宗が偶然にも朱貴の居酒屋を訪れたことから梁山泊はその手紙を手に入れた。そこで呉用が考えたのが蔡京からの返書を偽造するという作戦で、このために金大堅と蕭譲を梁山泊まで連れてきたのだという。仕事を持ちかけた山伏が実は戴宗で、山賊を率いていたのは王英、宋万、杜遷、鄭天寿だったのだ。金大堅と蕭譲は済州に残してきた家族のことが心配だったが、間もなく二人の家族までが梁山泊に連れてこられてしまったので、梁山泊に協力するしかなくなり、そのまま仲間に加わることになった。
 その後、蕭譲は蔡京の書体を真似て手紙を書き、金大堅が偽造した蔡京の印鑑を捺して、江州の牢役人だった戴宗に持たせ蔡九のもとに運ばせた。ところが、蔡京が自分の息子である蔡九に手紙を出すのに、本名の印鑑は使わないという習慣を呉用が忘れていたためにこの計画は失敗することになった。このために、戴宗までが捕らえられ、宋江と一緒に処刑されることになってしまう。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦直前に梁山泊を離れ印鑑をつかさどる役人になる
政和6年 7月、江州で処刑される直前に梁山泊に救出された宋江はこのときから梁山泊に加わるが、すぐにも家族を迎えるために一人で故郷のウン城県に旅立った。このとき、宋江の身を心配した晁蓋と呉用の命令で金大堅も李立、李俊、穆弘、穆春たちと一緒に鄆城県に向かった(第42回)。

しばらくして、梁山泊で第一回目の役職分担が決められ、金大堅はすべての手形、印章、鑑札などの彫刻を任された(第44回)。
政和7年 祝家荘戦争が起こる。金大堅は戦争終了後に李家荘の李応と杜興を梁山泊に引き入れるための作戦に加わった。金大堅は州の役人に変装し、州の長官に変装した蕭譲らと一緒に李家荘を訪ねると、難癖を付けて李応と杜興を逮捕して、二人を護送して梁山泊の仲間に渡した(第50回)。

この直後に第二回目の役職分担が決まり、金大堅は蕭譲とともに来客、手紙、文書の処理を担当することになった(第51回)。
政和8年 第三回職務分担があり、金大堅は印鑑を担当するようになった(第60回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順。

4月ころ、遼国戦争が起こり、金大堅も宋軍の副将として出征しする。

檀州攻略後に宋軍は進軍する兵を二隊に分け、金大堅は宋江麾下の軍に加わった(第84回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後に宋軍は軍を二隊に分け、金大堅は宋江麾下の軍に加わった(第93回)。

王慶討伐戦始まる。

荊南州で敵の捕虜になる。
 宋江麾下の軍にいた金大堅が荊南州にいたとき、宋軍が宛州を取り返した記念に碑を建てることになり、金大堅は蕭譲、裴宣と一緒に荊南からその地に向かった。が、すぐにも敵将・縻貹(びせい)に捕らえられてしまい、三人とも荊南城に運ばれた。三人は荊南城の将・梁永から投降を勧められると大いに怒り、「殺したければさっさと殺せ。われわれが膝を屈することなどあり得ない」と罵った。このため三人は大いに痛めつけられたが、間もなく宋軍に寝返ろうとしていた敵将・蕭嘉穂によって救出された(第108回)。

王慶討伐戦から宋軍が凱旋したとき、皇帝自らが印刻に巧みな金大堅を東京に残していくように命じる(第110回)。このため、金大堅は方臘討伐戦には出征せず、その後は宮廷の印鑑製作庁の役人として生きた(第120回)。
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イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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