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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地霊星
ちれいせい
安道全
あんどうぜん
梁山泊での順位 56位
持ち場 疾病治療の内科・外科担当医師
特技 医療
あだ名 神医(しんい)
出身地・前歴 建康府・医師
あだ名の由来
建康府に住んでいた名医で、どんな病気でも治せたので神医と呼ばれた。
戦争の勝敗さえ左右した梁山泊に不可欠の神医
 安道全は地煞星のひとつ地霊星が生まれ変わった好漢である。
 代々内科も外科も伝授され、優れた治療の腕を発揮したので、天下に名前が広まっていた。梁山泊軍が盧俊義と石秀を救出するために北京を攻撃していたとき、宋江が重い病になり、安道全でなければ治せなかったことから、張順が遠路はるばる迎えに行き、梁山泊に迎えられた。梁山泊での地位はそれほど高くはないが、戦争が起これば負傷者は必ず出たので、安道全のような医師は梁山泊には不可欠だった。方臘討伐戦争中に梁山泊軍に数多くの死者が出たのは、公孫勝がいなかったことも大きな原因だが、方臘討伐戦途中に皇帝が病になり、安道全が東京に呼び戻されてしまったことにも原因があった。安道全さえいれば助かった豪傑もいたのである。こういう意味では、戦争の勝敗さえ左右する有能な医師だったわけだが、なんといっても裏の仕事なので目立つ場面は少なかった。
安道全の物語
◆宋江の重病を治療するために梁山泊に迎えられる

 安道全は天下に名だたる名医で、揚子江南の建康府に住んでいた。ある年の冬、安道全が店で薬を売っているとそこへ張順が訪ねてきた(第65回)。安道全は張順が潯陽江(揚子江の一部)に住んでいたころ、張順の母親の背中のできものを治したことがあり、顔見知りだった。
「やあ、久しぶりですね」と安道全はいった。このとき安道全は張順がいまは梁山泊の仲間に加わっていることや梁山泊の主・宋江が背中にできものができて大いに苦しんでいることを知らされた。張順がわざわざ訪ねてきたのも、安道全を梁山泊に連れ帰って宋江の病を治療してもらうためだという。これを聞いた安道全は、「有名な宋公明どののためなら行って上げたいのだが、いまは家内が亡くなったばかりで、遠方へは行きづらいのです」といった。が、張順が「あなたと一緒でなければ山へ帰れないのです」と強くいったので考え直した。このとき、安道全は実は親しいつきあいをしていた 娼妓のことが気になっていたのだが、そのことはいわなかった。
 安道全は明日の朝出発することにして準備を整え、その夜は張順を誘って娼妓の店へ酒を飲みに行った。そこで安道全は親しくしていた女に、「わたしは明日の朝、山東の方へ旅に出るが、一月ほどで戻ってくるから待っていてくれよ」と伝えた。ところが、女は張順が見ているのも気にせず、甘ったるい声で、そんなことをしたら二度と会ってあげないなどとわがままをいい、安道全の旅を邪魔しようとした。これを見た張順はいますぐ女を殺したいほどむかむかした。やがて、安道全は酔いつぶれ、女に部屋まで連れて行かれて眠ってしまったが、翌朝早く目を覚ましてみて驚いた。安道全の女を含めて4人の者が張順の手で殺されていたのである。張順によれば、安道全が酔いつぶれたあとに、張順は門口の小部屋に泊まることになった。
 と、しばらくして別の男が女のところに訪ねてきたが、見ればそれは揚子江の強盗・張旺だった。この張旺は、張順が安道全を訪ねる途中で揚子江を渡ろうとしたとき、船頭に化けて張順を襲い、金を奪ったあげくに張順を河に突き落としたといういわくつきの男だった。張順はこの男を見るととたんに怒りがこみ上げてきて、台所の斧を取り上げ、そこにいた使用人三人と安道全の女を叩き殺した。張旺には逃げられてしまったが、四人を殺した張順は着ていた着物の襟を切り裂き、それを血に浸し、白壁の上に「殺したのは安道全なり」とあちこちに書き付けた。これを知った安道全は、こうしたことには慣れていなかったので、がたがたとふるえ出した。と、張順が「兄貴、こうなったらいますぐ梁山泊に向かうしかないでしょう」という。「なんて無茶苦茶な奴だ」と安道全はいったが、いまさらどうすることもできないので、急いで家に戻って医療道具を持ち出すと張順とともに建康府を後にした。
 建康府を出た安道全は張順とともにまず揚子江岸にあった王定六の居酒屋を訪ねた。ここは、張旺に襲われた張順が何かと親切にしてもらった場所で、すでに張順は王定六と知り合いだった。と間もなく、王定六が問題の張旺がいま船着き場に着ていると張順に知らせにきた。これを聞いた張順が着物を取り替えてくれと安道全にいうので、安道全はいわれるままにし、縁つきの笠も張順に渡した。それから、安道全は張順、王定六とともに張旺の渡し船に乗り込んだ。やがて、船が河の中央まで来たとき張順が突然張旺に襲いかかり、縄で縛って河の中に投げ込んでしまった。
 安道全は川を渡り終わると張順と二人で梁山泊に向かったが、身体が強くなかったのでしばらくすると歩けなくなり、居酒屋で休んだ。ここへ梁山泊から派遣された神行太保の戴宗が迎えに来たので、安道全と戴宗は張順を店に残し、神行法を使って一足先に梁山泊へ向かった。こうして安道全がやってきたことで宋江の重病も回復し、安道全自身もそのまま梁山泊入りすることになった。
梁山泊入山後の活躍
◆従軍医として梁山泊軍を裏から支え続ける
宣和3年 この年以前に安道全は宋江の顔にあった罪人を表す刺青を消すための治療を行った。このおかげで、宋江はこの年正月にお忍びで東京に遊びに行くことができた(第72回)。

夏、童貫率いる朝廷軍との董平が敵の弓を受けて負傷すると、安道全が山寨でその治療に当たった(第79回)。
宣和4年 4月ころ、遼国との戦争が始まり、安道全は宋軍の医師として従軍した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分けるが、安道全はこれには加わらず、守備隊とともに檀州城に残った(第84回)。

玉田県城攻略戦。張清が敵の矢をのどに受けて檀州に運ばれ、安道全が治療に当たった(第84回)。

宋軍が幽州まできたとき安道全は守備隊とともに檀州を離れ、本隊と合流した(第87回)。

昌平県境の最初の戦い。李雲、朱富、石勇、杜遷、宋万、李逵ら多数が負傷し、安道全が治療に当たった(第88回)。

田虎討伐戦始まる。

蓋州攻撃前に張清が風邪をひき、安道全は高平県城に派遣され張清の治療に当たった(第91回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後に宋軍は兵を二手に分け、安道全は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

襄垣県境の戦い。負傷した王英の治療に当たった(第98回)。

田虎軍の女将軍・瓊英の育ての親・葉清が密かに宋軍に寝返ると、安道全と張清が葉清とともにスパイとして襄垣城の田虎軍に侵入した(第98回)。

王慶討伐戦始まる。

宋江が荊南州で病にかかり、安道全が本営の中でその治療に当たった(第108回)。

方臘討伐戦始まる。

宋軍は潤州攻略後に兵を三隊に分け、安道全は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

宋江軍がこれから杭州を攻めようというときになって、東京から使者がやってきて、皇帝が病気になったので安道全に都へ帰るようにと命令が下った。宋江はこれを拒むことができず、安道全は軍を離れて東京へ戻った(第114回)。

安道全は東京で身分の高い侍医となり、宋軍が方臘討伐戦に勝利してのちもその仕事を続けた(第120回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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