小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
88位 |
持ち場 |
武器・甲冑の製造監督管理者 |
特技 |
鍛冶、鉄爪鎚(てっそうつい)、槍棒 |
あだ名 |
金銭豹子(きんせんひょうし) |
出身地・前歴 |
延安府・鍛冶屋 |
あだ名の由来 |
三十斤あまりの鉄爪鎚を軽々と振り回す身長七尺の大男で、全身あばただらけなので、あばたの豹という意味で金銭豹子と呼ばれた。 |
鍛冶屋のポジションが空いていたのでスカウトされる |
湯隆は地煞星のひとつ地孤星が生まれ変わった好漢である。
父親はもと延安府の役人だったが鍛冶に長じた人物だったので、湯隆も鍛冶屋をして生活するようになった。偶然にも黒旋風の李逵と出会って梁山泊にスカウトされたが、それは梁山泊に鍛冶屋がいなかったからで、最初から鍛冶屋として働くために梁山泊入りしたといっていい。ただし、スカウトした李逵にしても湯隆の鍛冶屋の腕を見たわけではなく、その家に鍛冶の道具があるのを見ただけなので、鍛冶屋としてどの程度の腕前だったかは保証の限りではない。また、本人はばくち好きで世間を流れ歩くような男で、何よりも槍棒が好きで、三十斤もある鉄爪鎚を振り回す武芸者でもあった。武器や甲冑は戦争とは不可欠のものだけに、こんな人選でいいのかという疑問は残る。 |
湯隆の物語 |
◆鉄爪鎚を振り回して李逵の目に留まった鍛冶屋
湯隆は鍛冶屋だったがばくち好きで世間を流れ歩き、滄州二仙山から三日ほどの距離にある武岡鎮という町に住んでいた。そんなある年の冬、湯隆は自慢の力を発揮して、重さ三十斤(18kg)もある鉄爪鎚で路傍の石を粉々に打ち砕き、暇な見物人たちを感心させていた(第54回)。このとき見知らぬ大男が現れて湯隆の鉄爪鎚を取ろうとした。実はこの男というのが李逵だった。李逵は戴宗と一緒に滄州まできて公孫勝を捜し出し、戴宗が先に神行法で高唐州に向かったのを追いかけるように公孫勝と一緒に旅をしている途中で、ある居酒屋に公孫勝を残して一人で買い物に出てきていたのだった。しかし、湯隆はそれが李逵だと知らなかったから、「なんだおまえは。いきなり出てきて俺の鉄鎚に手を出すとは」と怒鳴りつけた。男は「きさまの手並みは下の下の下だ。だから、俺が手本を見せてやろうというのさ」といった。湯隆は「ふん、それなら貸してやろう。そのかわり、まともに使いこなせなかったら覚えておけよ」とそれに応じた。そこで男が鉄爪鎚を使い始めたが、その使い方の見事なこと。そのうえ、これっぽっちも疲れを見せない。湯隆はすぐにも平伏し、「なんというお名前で」と尋ねた。しかし、李逵はすぐには名を名乗らず、「どこに住んでいるんだ」と湯隆に尋ねた。湯隆はすぐにも李逵を自分の家に案内した。湯隆は父が鍛冶の名人で、自分自身も鍛冶屋をしていたから、その家には鍛冶の道具がそろっていた。これを見ると李逵ははじめて名を名乗り、湯隆を梁山泊に誘った。梁山泊に鍛冶屋がいないことを思い出したからだった。「わたしでよければ喜んでおともしましょう」と湯隆は応えた。湯隆は家族もなかったので、金目のものだけまとめるすぐにも李逵と一緒に公孫勝が待つ居酒屋へ行き、そこから三人で梁山泊軍が戦っている高唐州へ向かった。
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梁山泊入山後の活躍
◆呼延灼の連環馬軍を破る鈎鎌鎗を作る |
政和8年 |
冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍に敗れた梁山泊では頭領たちが呼延灼の連環馬を打ち破るにはどうすればいいか話し合った。このとき湯隆は、連環馬を破るには鈎鎌鎗(先が鎌のように曲がった長槍)が必要で、それは自分にも作ることはできるが、その使い方を知っているのは従兄の徐寧しかいないということをみなに伝えた(第56回)。そこで、湯隆、時遷、楽和、薛永が東京に住む徐寧をだまして梁山泊に連れてくることになったが、湯隆らは見事にその作戦を成功させた。これに続いて呼延灼との二回目の戦いが始まり、湯隆は徐寧とともに鈎鎌鎗を使う兵たちの総指揮にあたった(第57回)。 |
宣和元年 |
1月ころ、梁山泊の第三回職務分担が決まり、湯隆は武器や鎧の製造監督となった(第58回)。 |
宣和3年 |
11月、高俅率いる朝廷軍が三百艘の海鰍船で梁山泊を攻撃しする。湯隆はあらかじめ水夫に変装して敵船に侵入し、李雲、杜興とともに敵将・葉春、王瑾を討ち取った(第80回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が正式に朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、湯隆は宋軍の副将として出征する。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、湯隆は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。
田虎討伐戦始まる。 |
(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、湯隆は宋江麾下の軍に編入された。
昭徳城下の戦い。敵将・喬道清の妖術のために湯隆は林冲や宋江とともに危機に陥ったが、不思議な土地の神によって救われた(第95回)。
昭徳城攻略後、宋江軍は兵を分け、湯隆は索超らとともに潞城県を攻めた(第98回)。
楡社県(ゆしゃけん)攻略後、湯隆は索超とともに守備隊として楡社県城に残る(第99回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の兵糧船を装う作戦を取り、湯隆は第二船団の張順の船に護衛として乗り込む(第111回)。
潤州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、湯隆は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。
湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、湯隆は盧俊義の指揮下に独松関へ向かった(第114回)。
杭州で合流した宋軍は、農民から租税として取った糧秣を運ぶ船に兵を乗せて杭州城に送り込む。このとき湯隆は船頭に変装して杭州城に侵入した(第115回)。
杭州攻略後、湯隆は盧俊義軍に加わり、歙州を攻めた(第116回)。
歙州城下の戦い。湯隆は道端に伏せ、逃げてくる敵将・龐万春(ほうばんしゅん)の馬に鎌槍をかけ、龐万春を生け捕りにした(第118回)。
歙州攻略後、盧俊義軍は宋江軍と同時に清渓県に攻め込む。この戦いの最中に湯隆は敵騎兵軍に踏み殺されて戦死した(第118回)。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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