小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
52位 |
持ち場 |
大小号砲の製造管理者 |
特技 |
砲術、火砲の製造 |
あだ名 |
轟天雷(ごうてんらい) |
出身地・前歴 |
東京軍の砲手 |
あだ名の由来 |
砲弾を十四五里(約8km)も飛ばし、天地が壊れると思えるほどの威力を発揮したので轟天雷と呼ばれた。 |
威力はあるがなぜか目立たぬ砲手の第一人者 |
凌振は地煞星のひとつ地軸星が生まれ変わった好漢である。
当代きっての砲手として呼延灼率いる梁山泊討伐軍の応援にやってきたが、あっさり捕らえられて梁山泊の仲間になった。火砲の製造にもたけており、梁山泊では火砲の製造から使用までの一切を取り仕切った。刀、槍、弓に比べても火砲は威力があるから、戦闘でも大きな役割を演じて活躍した。しかし、敵と直接渡り合わずに遠くから火砲を撃つだけというのはどう考えても豪傑らしくない。梁山泊には魯智深や李逵のように武器を持たずとも強い豪傑がいて、馬とか弓とか、道具が増えるほど豪傑らしくなくなってしまうという雰囲気があるからなおさらだ。火砲の威力がいかに大きくても、凌振が地味に見えるのはそのためかもしれない。 |
凌振の物語 |
◆梁山泊を襲った火砲の威力に呉用もびっくり
東京軍の軍人で砲手の第一人者として知られていた凌振はある年の冬、太尉・高俅に呼び出され、呼延灼率いる梁山泊討伐軍の応援に行くことを命じられた(第55回)。呼延灼は連環馬を用いて梁山泊軍に大勝したが、周囲を水に囲まれた梁山泊を粛正するには是非とも火砲が必要だと考え、砲手として有名だった凌振の援助を求めたのである。命令を受けた凌振は各種の砲弾、砲架などを車に積み、武具を用意し、兵士を率いて梁山泊に向かった。
呼延灼の陣営に着いた凌振は、すぐにも梁山泊の対岸に砲架を据え付け、砲弾を三発発射した。このころ、梁山泊では砲手の凌振が呼延灼軍の応援に来たことをすでに察知しており、とりあえず 鴨嘴灘(おうしたん)の小寨を捨てて相手の出方をうかがっていた。ところが、凌振の発射した三発のうち一発が鴨嘴灘の小寨に命中したので統領たちは呆然とした。呉用でさえもびっくりし、「とにかくあいつを捕まえないことには敵を破ることはできません」といい出した。そこで、すぐにも晁蓋が命令を下し、李俊、張横、張順、阮氏三兄弟らが凌振の生け捕りに向かった。
間もなく、陣営に戻っていた凌振に、岸辺の砲架が梁山泊一味に押し倒されたという知らせが入った。凌振は槍を持って馬に乗ると千人の兵を率いて走り出した。岸辺には数十艘の船が並んでおり、梁山泊の百名ほどの水兵たちが乗っていたが、水兵たちは凌振たちを見ると喊声を上げて水に飛び込んだので、凌振たちは船を奪い取った。と、このとき対岸からも敵の喊声が上がった。これを聞いた凌振はそれが敵の作戦とは気づかず、兵たちを船に乗らせるとすぐにも対岸へ向かって漕ぎ出させた。凌振の乗った舟が湖の真ん中までくると、水中に隠れていた梁山泊軍は船尾の栓をすべて抜き取り、さらに船を転覆させたので凌振の兵士たちはみな水の中に投げ出されてしまった。凌振もどうすることもできず水に落ち、阮小二に捕らえられ、縄を掛けられることになった。
ところが、梁山泊の山寨に護送されてみると、そこに宋江がいて自ら凌振の縄を解いてくれたので、凌振は命を助けられた恩に礼を述べないわけにいかなかった。さらに大寨に案内された凌振は、そこで呼延灼の部下だった彭キが梁山泊の頭領になっているのを見てびっくりした。しかも、彭キは「晁蓋、宋江の二頭領は機会があればいつでも国家のために尽くそうとしているのです」といって凌振の梁山泊入りを勧めた。これを聞くと凌振の気持ちも動いたが、「わたしには都に年老いた母と妻がいます。わたしが梁山泊入りすれば必ず殺されるでしょう」と母と妻の身を心配した。すると宋江は凌振の母と妻は必ず梁山泊に連れてくると約束してくれた。こうなると、凌振にはもう断る理由もないので、そのまま梁山泊入りした。それから間もなく、東京にいた凌振の家族も梁山泊に迎えられた。
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梁山泊入山後の活躍
◆飛び道具で梁山泊軍を背後から援護する |
政和8年 |
冬、呼延灼軍との二度目の戦い。梁山泊入りしたばかりの凌振は早くも梁山泊軍に加わり、戦いの合図の号砲を撃った(第57回)。
呼延灼が青州に雇われて白虎山の孔明を捕虜にしたことから、青州攻撃軍が編成され、凌振もこれに加わった(第58回)。 |
宣和元年 |
冬、盧俊義と石秀が北京に捕らえられ、北京攻撃軍が編成される。凌振は砲手として出征した(第63回)。
大刀の関勝率いる朝廷軍が梁山泊に攻め寄せ、梁山泊軍は北京の包囲を解いて梁山泊に引き上げる。凌振は敵の追撃を知らせる号砲を撃つ役目に就いた(第64回)。 |
宣和2年 |
正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。凌振は北京城内に侵入し、時遷たちが城内を混乱させ始めたのと同時に、攻撃の合図の号砲を撃った(第66回)。
3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。凌振は盧俊義麾下の軍に編入され、東昌府を攻めた(第69回)。 |
宣和3年 |
夏、童貫率いる朝廷軍との戦い。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、凌振は副手二十名を従えて中央の陣に砲架を設置した(第76回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が正式に朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が起こり、凌振は宋軍の副将として出征する。
檀州城攻略戦。凌振は李逵、樊瑞らに守られて敵城下に砲架を組み立て、出陣の合図となる号砲を打ち上げた(第83回)。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、凌振は宋江麾下の軍に加わった(第84回)。
田虎討伐戦始まる。
蓋州城攻略戦。凌振は二晩にわたって夜中に敵城近くで何度も号砲を放ち、喊声を上げたり金鼓を鳴らしたりする者と一緒に城内に閉じこもる敵を威嚇した(第92回)。 |
(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、凌振は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。
王慶討伐戦始まる。
穎昌州の戦い。凌振は出陣の合図となる号砲を放った(第105回)。
山南城攻略戦。凌振は水軍の操る兵糧船に乗り込み、李俊らが敵城の水門を奪うと同時に敵城突入の合図となる号砲を打ち上げた(第107回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦。
潤州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、凌振は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。
蘇州城攻略戦。凌振は李俊や李逵らとともに敵の武具運送船を装って敵城に侵入し、李逵たちが暴れ始めたと同時に戦闘開始を知らせる数十発の号砲を放った(第113回)。
杭州城攻略戦。宋軍は敵側の兵糧船を利用する作戦を取り、凌振は張青、孫二娘らとともに水夫に変装して船に乗り込み、敵城に侵入するや戦闘開始を知らせる号砲を放った(第115回)。
杭州攻略後、凌振は再度宋江麾下の軍に編入されて睦州に向かい、ここでも号砲を放って睦州城に近い烏竜嶺の敵陣を驚かした(第117回)。
方臘討伐戦に勝利し東京に凱旋する。凌振は官爵を授けられ、その後は砲手の腕前を買われて火薬局の役人となって暮らした(第120回)。 |
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イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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