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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地察星
ちさつせい
李雲
りうん
梁山泊での順位 97位
持ち場 家屋の建築修繕管理者
特技 槍棒
あだ名 青眼虎(せいがんこ)
出身地・前歴 沂州(ぎしゅう)沂水県・沂水県捕頭係の都頭(警察隊長)
あだ名の由来
両目が青く、まるで外国人のようで、武芸の腕もかなりのものだったので青眼虎と呼ばれていた。
梁山泊の大工だが戦場で働く力も十分あった
 李雲は地煞星のひとつ地察星が生まれ変わった好漢である。
 もともと沂水県の都頭であって、武芸にもすぐれており、戦場で戦う力も十分にあったが、梁山泊では大工のような仕事を与えられていた。しかし、特別大工仕事がうまかったというエピソードがあるわけでもないので、李雲の建築修理の腕前は多分当てにならなかったろうと思える。あるいは自分はただ責任者の地位にあっただけで、すべてすぐれた手下に任せていたとも考えられる。純粋に戦闘用の頭領にしていたら、もうちょっと活躍したかもしれない。
李雲の物語
◆職務に失敗してあっさり梁山泊入り

 李雲は沂州沂水県で都頭(警察隊長)の職に就いていた。あるとき、李雲は知県から呼び出され、沂嶺山の麓の曹太公の屋敷に黒旋風の李逵が捕らえられているから連れてこいと命じられた。李逵は沂州沂水県の生まれで人を殴り殺して村から逃げ出したのだが、つい最近になって宋江を救出するために江州で大暴れしたので、その手配書が沂水県にも届いていた。そんな折りもおり、李逵は老母を梁山泊に迎えようと故郷に帰り、曹太公の屋敷で酔っぱらって縄で縛られてしまったのである。李雲はすぐにも三十名の兵士を集めて曹太公の屋敷に出発した(第43回)。
 曹太公の屋敷で李逵を受け取った李雲は李逵を後ろ手に縛り、自分は馬に乗って翌朝早く護送の途についた。と、しばらくして護送隊に前に現れたものがいた。見ればそれは李雲が以前から目をかけ、槍棒も教えたことのある朱富だった。その朱富が酒を持って李雲の前に進み出ると、「お師匠さま、お手伝いにまいりました」といった。李雲は普段は酒を飲まない人間だったが、朱富に勧められて二口だけ飲んだ。すると、朱富の隣にいた男が肉を差し出したので、満腹ではあったが二口だけ食べた。朱富ともう一人の男が兵士たちにも酒や料理を勧めると兵士たちは大いに飲み食いした。一段落したところで、李雲は「では出発だ」と兵士たちにいった。ところが、兵士たちはみな身体をしびれさせ、倒れてしまっていた。「まずい、はかられた」と李雲はいったが、前に出ようとしたとたん、気が遠くなってしまった。朱富は実は朱貴の弟で、兄と共謀して酒や料理にしびれ薬を混ぜ、李逵を救い出そうとしたのである。
 やがて李雲が気がついたとき、当然のように李逵たちの姿はなく、兵士たちも殺されていた。このままでは知県に合わせる顔のない李雲はすぐにも朱富らを捜して走り出した。と間もなく、李雲は朱富と李逵が待っているのに出会った。「強盗やろうめ」李雲は朴刀を振り上げて叫んだ。これを見た李逵がやはり朴刀で打ちかかってきたので、李雲は少しばかり打ち合ったが、勝負がつかないうちに朱富が間に入ってきた。そして朱富は、自分の兄の朱貴が梁山泊の一員なので、どうしても李逵を救出しないわけにはいかなかったことを説明した。それから、続けて朱富は「師匠、あなたにはよくおわかりでしょうが、兵士を殺され、李逵を逃がしたとあっては知県のところへ帰っても咎めを受けるだけでしょう。それよりどうでしょうか。わたしたちと一緒に梁山泊へ行きませんか」と李雲を誘った。これを聞いた李雲はあきらめたようにため息をついていった。「俺には家族もないから何の心配もない。このままついていくとするか」そして、その言葉どおり李雲はそのまま朱富、朱貴、李逵に従って梁山泊入りした(第44回)。
梁山泊入山後の活躍
◆大工仕事にも戦争にも精出して働く
政和8年 春、梁山泊で二回目の職務分担が決まる。李雲は梁山泊の家屋や庁舎の建築という大工のような仕事を与えられた(第44回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。一度目と二度目の戦いの間に、李雲は宋江の命令で旅商人に変装して東京に行き、火薬種を車に五台分買って帰ってきた(第56回)。また、二度目の戦いで梁山泊軍は歩兵の鈎鎌鎗部隊を編成し、李雲はこの歩兵軍に加わり、楊林とともに一隊を率いた(第57回)。
宣和2年 1月ころ、凌州の将軍・単廷珪と魏定国が梁山泊討伐軍を指揮することが決まると、李逵が勝手に凌州へ向かい行方不明になるという事件が起こった。このとき、李雲ら四名の頭領が捜索を命じられたが、李雲には李逵を見つけることはできなかった(第67回)。
宣和3年 11月、高俅率いる朝廷軍が大小の海鰍船300隻で梁山泊に攻め寄せる。李雲はあらかじめ敵船の水夫になりすまし、湯隆、杜興とともに敵将・葉春と王瑾の首を取った(第80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、李雲は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、李雲は盧俊義麾下の軍に加わった(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊軍を招安したいという申し出があり、宋江が一部の将兵を引き連れて敵に寝返ったように見せる作戦が取られる。李雲は魯智深らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けてこれを奪い取った(第85回)。

昌平県境での最初の戦い。宋軍は苦戦し、李雲も敵の矢にあたって傷ついた(第88回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、李雲は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略戦。妖術使いの敵将・喬道清に宋江軍は苦しめられ、さすがの宋江も死を覚悟した。李雲は林冲、徐寧らと宋江を取り囲み、「われわれもここで死んで悪霊となって敵を殺しましょう」と叫んだ。このとき李雲らはまったく不思議な謎の人物によって救出されるが、間もなくその人物は実はこの土地の神だということがわかった(第95回)。

王慶討伐戦始まる。◎宛州城攻略戦。李雲、湯隆、陶宗旺が城攻めの武器を作った(第105回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装い、李雲は李俊の船に乗り込んで敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、李俊は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へと向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、李雲は呼延灼らとともに徳清県を攻める軍に編入された(第114回)。

杭州城攻略戦。宋軍は敵の糧秣船を装って杭州城に侵入する作戦を取り、李雲は十数名の頭領とともに船頭に変装した(第115回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、李雲は盧俊義軍に加わり、歙州に向かった(第116回)。

歙州で戦死する。歙州城攻めのとき、李雲は逃げてくる敵将・王尚書の前に立ちふさがったが、敵の馬に踏み倒されて戦死した(第118回)。
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