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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地理星
ちりせい
陶宗旺
とうそうおう
梁山泊での順位 75位
持ち場 梁山泊の城壁築造管理者
特技 鉄鍬(てっしゅう)
あだ名 九尾亀(きゅうびき)
出身地・前歴 光州・黄門山の山賊の第四の頭領
あだ名の由来
鉄鍬を自在に操り、力があり、槍も刀も使えるので、その多能さから九尾亀と呼ばれた。
鉄鍬を自由に使いこなす百姓上がりの山賊
 陶宗旺は地煞星のひとつ地理星が生まれ変わった好漢である。
 黄門山で山賊の第四の頭領をしていたときに、宋江と梁山泊の好漢たちが近くを通るという情報を手に入れ、第一の頭領・欧鵬たちとともに一行の前に突然現れてそのまま梁山泊入りした。登場するとすぐに梁山泊入りしてしまうので個人的エピソードはないが、もとは百姓をしていたので鉄鍬の名人だった。しかし、梁山泊では宋江から「百姓だったのだから土木のことに詳しいでしょう」といわれ、入山直後から土木工事の監督となり、船着き場の浚渫、水路の補修、運河の新設、城壁の修理、道路の補修などを行った。このため、梁山泊で目立った働きをすることはなかった。
陶宗旺の物語
◆梁山泊一行の前に突如出現した黄門山の山賊

 陶宗旺は黄門山の山賊を率いる第四の頭領だった。黄門山には陶宗旺のほかに、第一の頭領・欧鵬、第二の頭領・蒋敬、第三の頭領・馬麟がおり、四五百人の手下を率いていた。
 あるとき、江州で処刑されそうになった宋江が梁山泊の好漢たちに救出され、無為軍を焼き討ちして黄文炳に復讐したという情報がもたらされた。梁山泊一党は宋江を連れて梁山泊へ帰ることになったが、この行程の途中に黄門山があった。これを知った陶宗旺たち4人の頭領は、以前から有名な宋江に会いたいと思っていたので、いまこそそのチャンスだと考え、梁山泊一党がやってくるのを待ちかまえた。やがて、それらしい集団がやってくると陶宗旺たちは手下を率いて飛び出し、欧鵬が相手が宋江一行だと確認するために、わざと一行を襲撃しに来たようなふりをし、「おまえらは江州と無為軍で大暴れした梁山泊一行ではないか。命が惜しければ宋江を差し出せ」と叫んだ。すると一行の中からひとりの男が現れ、「わたしが宋江ですが、みなさんに襲われるようなことをした覚えはありません。どうか命だけは助けてください」といった。
 陶宗旺たちは目の前に出てきたのが宋江本人だったので慌てて馬から下りた。そして、宋江の前に平伏すると欧鵬が、「わたしたち4人は宋江殿の名前を聞くにつけ、何とかして会いたいものだと思っていました。江州で捕らえられたと聞いたときには助けに行こうと思い、江州の様子を探るために手下を派遣しました。するとすでに大勢の好漢によって救出され、さらに無為軍にも焼き討ちをかけたということがわかりました。もしそのとおりなら、兄貴はきっとここを通って梁山泊に向かうものと思い、こうして待ち受けていたのです」と打ち明け、先ほどの無礼を詫びた。こういうと宋江も喜んだので、陶宗旺たちはすぐにも宋江一行を黄門山の山寨に招き、大いにもてなした。この席上、宋江が「このたびわたしは梁山泊の仲間に加わることにしたのですが、みなさんも一緒に梁山泊の仲間になるというのはどうでしょう」といった。これを聞くと陶宗旺たちは大いに喜び、すぐにもその申し出を受け入れた。
 こうして陶宗旺たちは配下の山賊たちと一緒に梁山泊の仲間に加わることにし、翌日には山寨に火をつけ、宋江らとともに梁山泊へと向かった(第41回)。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦で最初に戦死した頭領のひとり
政和7年 7月ころ、入山直後の宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。宋江の身を心配した呉用らの命令で、蒋敬は李逵、陶宗旺たちとともに宋江のあとを追い、宋江の故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。

秋、梁山泊で一回目の職務分担が決まり、陶宗旺は土木工事の監督になった(第44回)。
政和8年 冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。陶宗旺は二度目の戦いに歩兵部隊を率いて加わった(第57回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、陶宗旺は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、陶宗旺は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、陶宗旺は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

威勝城攻略戦。陶宗旺は龔旺、丁得孫らとともには城の後宮を襲い何人も斬り殺した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦中に戦死する。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の兵糧船を装って潤州城に近づく作戦を採り、陶宗旺は第一団の舟に乗り込み敵城を襲った(第111回)。しかし、乱戦中に敵の矢を受け、宋万、焦挺とともに、頭領たちの中で最初に戦死した。
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イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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