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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地健星
ちけんせい
郁保四
いくほうし
梁山泊での順位 105位
持ち場 元帥旗奉持を担当する管理者
特技 なし
あだ名 剣道神(けんどうしん)
出身地・前歴 青州・強盗
あだ名の由来
剣道神とは葬儀の先導をする大男の神のこと。身の丈一丈(約3m)、腰の大きさが数抱えもある梁山泊一の大男だったので剣道神と呼ばれた。
梁山泊の元帥旗を守り続けたとんでもない大男
 郁保四は地煞星のひとつ地健星が生まれ変わった好漢である。
 はっきりいってただの馬泥棒でとくに強いわけではないのだが、身長3mの巨漢だったので、梁山泊の象徴である元帥旗を守るにはうってつけの好漢だった。曽頭市と手を結び、段景住が梁山泊のために北方で購入した二百頭の駿馬を全部盗んだが、のちに宋江に説得されると寝返って曽頭市を滅ぼすのに貢献した。元帥旗を持ったり守ったりするのが仕事だったから戦争に行きはするものの戦場で華々しく戦う機会は少なかった。梁山泊軍(宋軍)が勢揃いして戦場で九宮八卦の陣を敷くような場面では、郁保四は必ず中軍にいて元帥旗を守った。元帥旗は軍の象徴なので、軍を複数に分割するときも、郁保四は必ず宋江の軍に編入された。
郁保四の物語
◆梁山泊対曽頭市の二度目の戦争のきっかけを作る

 郁保四は青州の強盗団の頭領で二百人の配下を率いて近在を荒し回っていた。ある年の2月、北辺の地から二百頭の駿馬を率いた男たちが青州を通りかかると郁保四は手下とともにそれを奪い取り、凌州曽頭市へと逃れた(第98回)。曽頭市では馬を持ってきた郁保四を受け入れ、法華寺という寺で馬を飼わせた。が、郁保四が馬を奪い取った男たちというのが梁山泊の段景住、楊林、石秀だったことから、梁山泊と曽頭市の二度目の戦争が起こることになった。
 曽頭市では郁保四を受け入れたときから梁山泊と戦争をするつもりだったが、いざ戦いが始まるとすぐにもその強さに圧倒された。曽頭市長官・曽弄(そうろう)は自分の息子たちまでが戦死すると梁山泊に向けて講和を求める文書を差し出した。これを梁山泊側が受け入れたことから、互いに人質が交換されることになり、梁山泊から呉用の考えで時遷、李逵、樊瑞、項充、李袞が曽頭市に送られた。曽頭市は郁保四が奪い取った馬をすべて返還し、さらに将軍・曽昇と郁保四を人質として梁山泊軍へ送った。ところが、梁山泊軍が曽昇と郁保四を受け取ったとき青州と凌州の軍勢が曽頭市の援軍にやってくるという情報が入った。これを知った宋江は、援軍がくるとわかれば曽頭市が考えを変えるだろうと予想し、すぐにも青州軍と凌州軍を迎え打つための隊を派遣した。同時に郁保四を呼び出し、「ここでわれわれの役に立ってくれるなら梁山泊の頭領として迎え、これまでのことは水に流してやるが、どうする」といった。これを聞いた郁保四はすぐにも投降し、命令を実行すると約束した。
 その後、郁保四は呉用から作戦を授けられて曽頭市へ行き、密かに逃げ帰ったように見せかけて敵将・史文恭の陣を訪ねた。そこで郁保四は史文恭に、「宋江はずっと以前に曽頭市が段景住から奪い取った照夜玉獅子という名馬を奪い返したいだけで、講和をする気などありません。それに、今回青州と凌州から援軍が来たと聞いて脅えていますから、いまこそ攻め込むチャンスです」と告げた。史文恭はすぐにも味方の将軍たちに今夜一緒に敵陣を襲うように命令を伝えた。郁保四は史文恭と別れると時遷たちが軟禁されている法華寺に向かい、時遷らに呉用の作戦を伝えた。夜、史文恭は兵を率いて梁山泊の本陣を襲ったが、陣中は空っぽだった。このときになって史文恭はすべてが罠だったことを覚ったがときすでに遅く、時遷が法華寺の鐘を鳴らしたのを合図に、梁山泊軍が曽頭市に攻め込んだ。さらに、人質だった李逵、樊瑞らも暴れ出した。こうして、曽頭市戦争が梁山泊の勝利に終わると、郁保四は正式に梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に清渓県で戦死する
宣和2年 郁保四が梁山泊入りした直後の3月、東昌府・東平府攻撃軍が編成され、郁保四は宋江麾下の軍に編入され、東平府へ向かう(第69回)。宋江軍が東平府手前まで来たとき、宋江は敵将・董平に礼を尽くすために挑戦状を書いた。郁保四は董平を知っていたので自ら申し出て使者となり、王定六と一緒に文書を敵城に持っていったが、二人は捕らえられて拷問を受け、城から追い出された。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍が攻め寄せ、梁山泊軍は九宮八卦の陣でこれを迎え打った。郁保四は中軍で騎馬に乗って元帥旗を守った(第76回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、郁保四は宋軍の副将として出征した。

檀州攻略後に宋軍は進軍する兵を二隊に分け、郁保四は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州攻略後に遼国から梁山泊を招安したいという申し出があり、梁山泊では一部の将兵が敵に寝返ったように見せるという作戦を採った。このとき郁保四は盧俊義らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けてこれを奪い取った(第85回)。

田虎討伐戦始まる。

蓋州城攻略戦。郁保四は劉唐や段景住とともにそれぞれ二百の兵を率いて城外に潜み、時遷と石秀が城内に火を放ったのに呼応して城に攻め込んだ(第92回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後に宋軍は兵を二手に分け、郁保四は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略戦。妖術使いの敵将喬道清のためにによって宋江軍は大いに苦しめられ、さすがの宋江も死を覚悟した。郁保四は林冲、徐寧らと宋江を取り囲み、「われわれもここで死んで悪霊となって敵を殺しましょう」と叫んだ。このとき郁保四は身体に二本の矢を受けていたが宋軍の元帥旗を高々と捧げ続け、宋江のすぐそばに従い続けた。元帥旗が立っているのを見た敵は、このために急いで攻めようとはしなかった。この直後に郁保四らはまったく不思議な謎の人物によって救出されるが、間もなくその人物は実はこの土地の神だということがわかった(第95回)。

昭徳城攻略後、魯智深が行方不明になるという事件があり、郁保四は楽和らとともに捜索を命じられた(第98回)。このとき郁保四は敵の間諜を一人生け捕りにしたが、この男が田虎軍の女将軍・瓊英の育ての親の葉清で、間もなく瓊英とともに宋軍に協力することになった。

田虎軍の女将軍・瓊英が梁山泊の味方になると、郁保四は解珍、解宝らとともに瓊英に率いられて敵の本拠地威勝城へ向かい、敵兵を装って城内に押し入り、敵将・田豹と田彪を捕らえるのに貢献した(第100回)。そして、郁保四は王定六らとともに、田豹と田彪を宋軍のいる襄垣城へ押送した。

王慶討伐戦始まる。

宋軍が荊南州に陣を敷いたとき、郁保四は焦挺らとともに二千の歩兵を従えて周辺の木立を切り払い、味方のために道を広くした(第107回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣で敵を迎え打ち、郁保四は中軍で騎馬に乗って元帥旗を守った(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

宋軍は潤州攻略後に兵を三隊に分け、郁保四は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

杭州攻略後に宋軍は再度兵を二手に分け、郁保四は宋江麾下の軍に編入され、睦州へ向かった(第116回)。

睦州攻略後、宋江軍は盧俊義軍とともに清渓県城を奪うが、この戦いのとき郁保四は敵将・杜微の飛刀を受けて戦死した(第118回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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