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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
禁軍教頭
きんぐんきょうとう
王進
おうしん
豪傑・史進に武芸十八般を仕込んだ武芸師範
 王進は水滸伝に最初に登場するいかにも豪傑風の立派な人物である。もともと禁軍の武芸師範をしていたので武芸の腕は抜群だが、運悪く太尉・高俅ににらまれて母と二人で東京から逃げ出すことになった。この旅の途中、母が病気になったことから華州華陰県に住む親切な大旦那の屋敷に長く滞在し、その大旦那の息子に武芸を仕込むことになった。この息子というのが史進だった。史進に武芸を仕込んだあと、王進は母とともに旅立ち、二度と物語に登場することはないが、史進が武芸に通じることができたのはまったく王進のおかげであって、どうして108星に加わっていないのかと不思議になるほどである。
王進の物語
◆高俅のために東京を逃げ出して史進の師となる

 王進は東京で八十万禁軍の教頭を務めていた。独身で、年老いた母と二人暮らしだった。
 徽宗皇帝が帝位について半年ほどたったあるとき、新しく殿帥府太尉となった高俅が殿帥府に着任し、所属の役人たちみながお目通りのために参上することになった。このとき、王進は体の具合が悪く、半月ほど前から病気届けを出して休んでいる状態だったので、役所に出向くことができなかった。すると、その日のうちに役所から使いの者が来て、王進にいった。「このたび就任された高太尉があなたがお目通りに来ないのをおとがめになりました。病気届けがちゃんと提出されていると申し上げたのですが、仮病を使っているに違いない、どうしても引き捕らえてこいというのです。是非、わたしと一緒に来てください。そうしないとわたしまでおとがめを受けます」
 これを聞いた王進はやむなく病を押して殿帥府へ出頭した。すると高俅は、「きさまが教頭・王昇の倅の王進だな。このやろう、きさまのおやじは大道で棒を使って人寄せをしていた薬売りではないか。おまえなんかに武芸がわかるか。しかも、仮病を使って目通り検分に出てこないとはどういうわけだ」と怒鳴りつけた。さらに高俅は側にいた者に「こいつをぶちのめせ」と命じた。配下の役人たちが「今日はおめでたい日ですから」といって止めたので、高俅もこの日は王進に罰を与えるのをあきらめたが、「明日は必ず、始末をつけてやるぞ」と脅した。
 王進は大いに驚いた。高太尉というのがかつて東京でならず者をしていた高俅で、そのころ王進の父・王昇が高俅を棒でさんざんに打ち据えて大ケガをさせたことがあったからだ。王進は「これはまずい。命にかかわる。高俅め、太尉になったのをいいことに昔の恨みを晴らそうというのだな」と思い、家に帰るや母親に相談した。母は「三十六計、逃げるにしかず」といった。「ごもっとも。延安府の将校に以前東京に出てきてわたしの腕を認めてくれた者がたくさんいますから、とにかくそこを頼ることにしましょう」と王進はいい、すぐに荷物をまとめると翌朝早くに家を出て東京から逃げ出した。
 王進が逃げ出したことはその日の夕方になってわかり、知らせを受けた高俅は公文書を出して王進を指名手配したが、王進親子はどうにか無事に旅を続けた。
 やがて一ヶ月が過ぎ、延安府までもうすぐというころになって、王進はうっかりして宿場を通り越してしまった。親子は夜道を歩き続けたがあたりには村もなく、二人は困り果てた。と、遠くの林の中に光が揺れるのが見えた。王進は母を連れてその光を目指した。たどり着いたところは四方を土塀に囲まれた大きな屋敷だった。王進は屋敷の前の門を叩き、出てきた下男に、「実は道中を急ぎすぎて宿を取り損ねました。宿賃は決まり通りだしますので、お屋敷に一泊させてもらえないでしょうか」と事情を説明した。下男は大旦那に相談するといって奥へ入り、再び出てきて王進親子を奥へ招き入れた。そこで大旦那と会った王進は、追われている危険もあったので、自分は旅の者で、都から延安府に向かう途中で日が暮れてしまい、一夜の宿を求めに来たと説明した。姓は張だと名乗った。大旦那は60歳過ぎた親切そうな人物で、王進親子は食事や酒でもてなされ、客間を提供された。
 翌日、王進は出発する気でいたのだが、長旅の疲れのせいで母の体の具合が悪くなってしまった。これを知った大旦那が、母親の病気がよくなるまで屋敷に滞在しなさいといってくれたので、王進は好意に甘えることにした。
 五六日後の朝のこと。母の調子も良くなったので、そろそろ出発しようと思った王進は厩へ馬の様子を見に行った。と、ひとりの若者が屋敷の庭に出て諸肌脱いで棒の稽古をしていた。全身に青竜の刺青のある精悍な男だった。その様子を見た王進、思わず口を滑らせて「なかなかのものだ。しかし、それでは真の使い手には勝てない」といってしまった。これを聞いた若者は、「おれは立派な師匠7、8人から武芸を学んだんだ。おまえなんかにけちを付けられる覚えはない」とひどく腹を立てた。そばにいた大旦那はこの言葉を聞くと、「失礼なことをいてはいけない」と注意したが若者の怒りは治まらなかった。それなら一勝負ということになって2人が戦うと、王進の棒さばきの前に若者はあっさりしりもちをついてしまった。
 このとき王進は大旦那と若者に自分は実はこれこれこういうものだと正体を明かした。これを知った大旦那は大いに喜び、若者に武芸を仕込んでくれるようにと王進に願い出た。この若者というのが、大旦那の一人息子の史進だった。大旦那の世話になった王進は話を聞くとすぐに承知した。
 この日から王進は史進の屋敷に滞在し、武芸十八般をひとつひとつ初歩から指南した。おかげで史進は半年ほどで武芸十八般すべてにおいて奥義に達した。史進の稽古もこれで十分と思った王進は、そろそろ出発したいと史進親子に申し出た。大旦那と史進は一生ここで暮らしていいのだといってしきりに引き止めたが、王進はきかなかった。こうして王進親子は史進親子と別れを告げ、延安府に向けて旅立った。
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イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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