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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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托塔天王
たくとうてんのう
晁蓋
ちょうがい
あだ名 托塔天王
あだ名の由来
 晁蓋の住む東渓村の隣に西渓村という村があり、真っ昼間から幽霊が出ては人々をたぶらかし、村境の谷川の中に引きずり込むという事件があった。あるとき、事件を知ったひとりの旅の僧が西渓村の谷に青石の宝塔を建て、幽霊が西渓村に入り込まないようにした。すると幽霊は皆、東渓村へ逃げたので、話を聞いた晁蓋は大いに怒った。晁蓋はたったひとりで出かけていくと西渓村にあった宝塔を谷川の東渓村側に置き換えた。このとき以来、晁蓋は托塔天王と呼ばれた。
百八星ではないが梁山泊に革命を起こした大豪傑
 晁蓋は第一回目の曽頭市戦争での大ケガがもとで死亡するまで梁山泊の第一の頭領をしていた豪傑である。
 呉用や公孫勝とともに、北京長官・梁中書から東京の宰相・蔡京に贈られた生辰綱を略奪し、役人に追われて梁山泊へと逃げ込んだ。このとき、林冲が当時梁山泊の総頭領だった王倫を殺すことで梁山泊の新時代が始まるが、こうして生まれた新生梁山泊で最初の総頭領となったのが晁蓋である。したがって、晁蓋が百八星に含まれていないのが不思議なくらいだが、残念なことに百八星が勢揃いする以前に死亡してしまい、百八星の仲間には加われなかった。しかし、晁蓋が梁山泊にとって重要な豪傑であることは確かなので、百八星が揃った段階で宋江は忠義堂の背後の高台に堂を作り、そこに晁蓋の位牌を安置している。つまり、晁蓋は百八星ではないが、百八星全体を見守る一種の守護神とされたのである。
晁蓋の物語
◆土地の捕盗役人に捕らえられた劉唐を助ける

 晁蓋は済州鄆城県郊外の東渓村に大きな屋敷を構える金持ちの名主だった。義を重んじて金に頓着しない人物で、自分を頼ってくる者たちがあれば善人悪人を問わずに救いの手をさしのべた。槍棒が好きで、独身を押し通し、毎日体を鍛えることを怠らなかった。
 あるとき、鄆城県の捕盗係の隊長をしていた雷横が兵たちとともに晁蓋の屋敷を訪ねてきた。まだ明け方前の暗い時刻だったが晁蓋は雷横たちを屋敷に招き入れると「隊長殿、一体何が起こったんですか」と尋ねた。すると、雷横は「長官の命令で昨夜から村の見回りをしていたところ、近くの廟で不審な男が寝ているのを捕まえたので、役所に連れていく前に、名主の晁蓋殿にも報告しておこうと思い、訪ねてきたのです。不審な男は入口横の長屋に吊るしてあります」という。晁蓋はすぐにも礼をいうと、雷横たちを酒や食事でもてなした。
 少しして晁蓋は「一体どんな奴が捕まったのか見てみたいものだ」と思い、屋敷の使用人に雷横の相手を命じ、自分はその場を抜け出してこっそりと門長屋に行ってみた。すると、確かにそこにひとりの大男が吊るされていたので、「おまえはどこの誰だ。この村の者じゃないな」と話しかけた。男は「おれは遠方からある人を訪ねてきたんだが、どういうわけか泥棒扱いされてしまったんだ」と応えた。晁蓋が「誰を訪ねてきたんだ」というと、男は「有名な好漢の晁蓋殿だ。おれはすごい金儲けの話を見つけたんでそれを知らせに来たんだ」という。これを聞いた晁蓋は「その晁蓋というのはこのわしだ。おまえさん、もしわしに助けてほしいなら、わしを伯父さんだということにしておけ。わしが雷横さんを送って出てきたら、わしのことを伯父さんと呼ぶんだ。幼いときにこの村を出て行ったきり会ってなかったので、すぐにはわからなかったというんだ」といって長屋を出て行った。
 そのうち夜が明けてきたころになって、雷横たちが出発するというので晁蓋も見送るために屋敷の外へ出た。すると先ほどの打ち合わせ通り、長屋から連れ出された大男が晁蓋の方を見て、「あ、伯父さんじゃないですか。助けてください」と叫んだ。晁蓋はわざと少し考えるようなふりをしてから、「なんだ、おまえは王小三じゃないか」と叫んだ。さらに晁蓋は、二人の様子を見て驚いている雷横に、その男が長いこと離ればなれになっていた甥なのだということを細かく説明した。男も、自分は伯父さんに会いに来たので、けっして泥棒なんかしていないと言い訳した。こうなると雷横も男を捕まえる理由はなかったので、すぐに男を解放した。晁蓋は心づけとして十両の金を雷横に渡し、役人たちを送り出した。
 それから晁蓋は男を屋敷の奥の部屋に行った。ここで晁蓋ははじめてその男が劉唐という名で、北京大名府の梁中書がその舅である太師蔡京の誕生祝いのために、誕生日の6月15日に合わせて、十万貫相当のばく大な金銀財宝を東京に送るという話を晁蓋に伝えに来たのだと知らされた。話を聞いた晁蓋は大いに興味を持ち、「では、細かな相談はあとでやることにし、今日のところはあなたは疲れているだろうから、しばらくお休みなさい」といい、使用人に命じて劉唐を客間に案内させた。

◆生辰綱略奪計画のメンバーをそろえる

 ところが、劉唐は思慮の浅い男で、自分を捕まえて吊り下げた上に、晁蓋から心づけとして十両も受け取った雷横のことが気に入らず、客間に案内されて間もなく晁蓋の屋敷を飛び出し、仕返しをするために雷横たちを追いかけて行ってしまった。それに気がついた晁蓋は大いに驚き、すぐにも屋敷を飛び出して街道を駆け出した。やがて晁蓋が追いついたときには、呉用が劉唐と雷横のケンカを仲裁しているところだった。晁蓋は「こら、つまらぬまねをするな」と劉唐を叱りつけた。そして、雷横から事情を聞かされるとしきりに謝り、「今日のところはわたしの顔に免じて許してやってください」と謝った。雷横は劉唐は気に入らないが、晁蓋には敬意を払っていたので、「いや、晁蓋殿が謝る必要はありませんよ」といって引き上げていった(第14回)。
 このとき、劉唐と雷横が朴刀で戦う現場を見ていた呉用が、「この大男さんはまったくすごい腕前だが、どこから見えた甥御さんですか」と晁蓋に尋ねた。晁蓋は呉用とは古い知り合いで、しかも呉用が頭のいい男だと知っていたので、「それについて実は相談したいことがあるので、うちへ来ていただけませんか」と呉用を屋敷に誘った。屋敷に着いた晁蓋はすぐにも、北京長官・梁中書の財宝を奪おうという計画があることを呉用に伝えた。さらに晁蓋は「わたしは昨夜、北斗七星がわたしの屋敷に落ちてくる夢を見ました。柄の部分から、一つの星が白い尾を引いて飛んでいくのが見えました。これはきっと何かいいことがあるに違いないのです」といった。
 呉用はうなずき、「何かあると思っていましたが、それはすばらしい話です」といい、それから「ですが、ここにいる3人では少なすぎる。せめて北斗七星くらいの数の好漢がいればいいのだが……。おおそうだ。すばらしい好漢が他にも3人いますぞ」と続けた。3人というのは梁山泊のほとりの石碣村で漁師をしている阮小二、阮小五、阮小七だった。「その3人ならばわたしも聞いたことがある」と晁蓋も喜んだ。そこで、すぐにも呉用が出かけていって3人を説得することになった。
 この説得はうまく行き、呉用は数日後には3人の好漢を連れて晁蓋の屋敷に戻ってきた(第15回)。晁蓋の屋敷の奥の間にそろった6名の好漢は、すぐにも一味同心して事にあたろうと誓いの儀式を行った。それから6人は酒を飲み始めたが、そのとき屋敷の下男がやってきて、表に晁蓋どのにあわせろといってきかず、暴れている道士がきていると伝えてきた。やむを得ず晁蓋が出ていき、小部屋に案内して話を聞いたが、実はこの道士というのが公孫勝で、やはり梁中書の生辰綱(誕生祝いの財宝)を奪い取りたいと考えて晁蓋を訪ねてきたのだという。こうして、公孫勝を加えた7人で、あらためて誓いの儀式が行われた(第16回)。このとき、公孫勝がもたらした情報で、生辰綱運搬隊が黄泥岡を通るという事がわかったので、黄泥岡に近い安楽村に住む白勝という者も8人目の仲間として加えることになった。「北斗七星の柄の部分から飛んで出た星というのがその男なのでしょう」と呉用はいった。人数が揃い、後はどうやって奪い取るかということだけが問題だったが、このときすでに呉用には確かな計画が浮かんでいた。それは商人に変装して生辰綱運搬隊を襲うというものだった。

◆生辰綱を略奪し梁山泊へ逃れる

 こうして、生辰綱略奪は吾用が立てた作戦で進められることになった。
 生辰綱がどのルートで運搬されるかは公孫勝の情報でわかっていたので、8人は棗売り商人と酒商人に変装して黄泥岡という山で待ち伏せた。やがて旅商人に変装した生辰綱運搬の兵士たちがやってきた。この一行を率いていたのは楊志だった。彼は賊に襲われないように配下の兵士たちをできるだけ急がせていた。しかし、何分にも暑い盛りだったので、兵士たちはもうくたくたで、山の上の松木の下で休息をとろうとしていた。ここに白勝が変装した酒売りが2つの桶を天秤棒にかついで近づくと、兵士たちは酒を買おうとした。楊志は山賊たちが酒にしびれ薬を入れるという手を使うことを知っていたので、兵士たちが酒を飲むことを禁じた。ところが、このときそこに棗売り商人の一行7人がやってきて、一桶分の酒をうまそうに飲んでしまい、さらに残りの一桶から椀ですくって飲もうとした。一桶分の酒代しかもらってなかった酒商人はあわててその椀を奪い取ると酒桶に戻したが、実はこのとき密かにしびれ薬を一緒に酒の中に入れたのである。この様子を見ていた生辰綱運搬隊はどうにも酒が飲みたくて我慢できなくなった。楊志もそこについいましがたしびれ薬が混ぜられたとは気づかなかったので、仕方なく酒を飲むのを許し、自分も半杯だけ飲んだ。すると、間もなく彼らはみなぐったりとその場に倒れてしまい、晁蓋ら8名は見事に生辰綱を奪うと荷車に乗せて山を下った。
 ところが、しばらくして意外なところから晁蓋らの犯行が発覚してしまった。生辰綱略奪の前に宿泊した宿屋の者が白勝と晁蓋の顔を知っていたのである。このためにまず白勝が済州府に逮捕され、拷問を受けて晁蓋が首謀者であることを白状した。済州府では晁蓋を逮捕するため、役人を鄆城県に派遣した。このとき取り次ぎを担当したので鄆城県で役所勤めをしていた宋江だった。宋江は晁蓋とは兄弟の盟を結んでいたので、役所に上申する前に晁蓋のもとに馬を走らせ、事情を説明した。晁蓋の屋敷にはまだ吾用、公孫勝、劉唐が滞在しており、吾用のアイデアで梁山泊へ逃れることが決まった。この夜、役所から捕頭係の朱ドウと雷横が晁蓋逮捕に派遣された。晁蓋らにとっては絶体絶命の窮地だったが、朱ドウと雷横も晁蓋のことを尊敬していたので、逮捕に来たくせに、逆に晁蓋が逃げられるように便宜を謀った。晁蓋一味は下男たちを引き連れ、屋敷に火をつけて逃げ出した。
 晁蓋一行はまず石碣村へ行き阮氏三兄弟を合流し、船で梁山泊を目指した。済州府からは500人の取り手が動員されて晁蓋らを追ってきた。しかし、梁山泊周辺の水沢地は阮氏三兄弟にとっては庭のようなもの。縦横無尽に活躍して敵を混乱させ、最後は岸辺のアシに火を放って敵を追い払った。
 ところが、梁山泊の頭領王倫は晁蓋らがものすごい豪傑たちだと知ると、林冲がやってきたときと同じように、体よく彼らを追い払おうとした。自分のこともあって王倫を気に入らなかった林冲がこれに腹を立てた。晁蓋一行を歓迎する宴の翌日、王倫がこの山寨は皆様方には小さすぎるなどといろいろと言い訳しはじめると、林冲はついに爆発して王倫を刺し殺した。晁蓋、吾用、公孫勝、劉唐、阮氏三兄弟も目立たぬようにこれに協力した。もとから梁山泊の頭領だった杜遷、宋万、朱貴の3人は分が悪いと見るやすぐにも寝返って晁蓋らの配下になることを望んだので、クーデターはあっさり成功してしまった。そして話し合いの結果、晁蓋が新しい第一の頭領になり、続いて吾用、公孫勝、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七という順に席次が決まった。
梁山泊入山後の活躍
◆曽頭市との一回目の戦争で負傷し、死亡する
政和5年 梁山泊へ逃げた晁蓋一味を捕らえるために済州の兵が攻め寄せる。晁蓋は呉用に相談し、呉用が済州兵対策を講じた(第20回)。
政和7年 7月、江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を救出する。晁蓋は旅商人の身なりで江州に侵入し、大いに暴れた(第40回)。

宋江救出後、梁山泊の好漢たちが掲陽鎮の穆弘の屋敷に集結すると宋江がすぐにも自分を謀反の罪に陥れた黄文炳に復讐したいといいだした。晁蓋は一度梁山泊に帰って改めて大軍を起こした方がいいと提案したが、好漢たちの多くが宋江を支持したので、晁蓋も黄文炳への復讐戦に加わった(第41回)。

宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。宋江の身を心配した晁蓋と呉用は戴宗に命じて宋江の様子を探りに行かせ、その後晁蓋が頭領たちを率いて出発し、宋江の故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争が起こる。晁蓋は呉用、劉唐らとともに山寨の守りにあたった(第47回)。

秋、柴進を救出するため梁山泊軍が高唐州を攻める。晁蓋は自分が梁山泊軍を率いて出かけようとしたが、宋江に「軽はずみなことをしてはいけない」といわれ、晁蓋は山寨に留まり、宋江が総帥として軍を率いた(第52回)。
宣和元年 第一回曽頭市戦争で負傷し、死亡する(第60回)。
 このころ、段景住が宋江に献上しようとしていた名馬が曽頭市の将軍に奪われるという事件があり、戴宗が曽頭市の調査に出かけた。すると、曽頭市では町の支配者である曽家の者たちが数千の軍勢を集め、梁山泊に対抗しようとしていることがわかった。これを知った晁蓋は大いに腹を立て、宋江が反対するのも聞かず、五千軍勢と林冲、呼延灼、徐寧ら二十人の頭領を率いて曽頭市へ向かった。曽頭市城外に着いた晁蓋は劉唐、阮小二、呼延灼など十名の頭領を選んで城内に攻め込んだ。この戦いで、晁蓋は敵の矢を顔面に受け、梁山泊軍は撤退することになった。晁蓋は梁山泊に運ばれたときにはまだ生きていたが、当たった矢が毒矢だったために、「わしを射った奴を討ち取ってくれた者を梁山泊の主にしてくれ」と言い残し、間もなく死亡した。
 小説
イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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