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  フランボワイヤン・ワールド
宮本武蔵全十一話
フランボワイヤン・ワールド・トップ宮本武蔵全十一話目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第三話 吉岡一門との決闘
■失意の関ヶ原で固めた決意

 晩年に武蔵自身が著した『五輪書』などを見ると、武蔵の一生はまさに剣一筋だったという印象がある。
 しかし、剣一筋とは並大抵ではない。武蔵はいつ、どこで、そのような人生を選び取ったのだろう?
 13才にして播磨国(兵庫県)で有馬喜兵衛を倒したときだろうか? だが、その後武者修行に出たとされている武蔵は、なおしばらく故郷の近くにいたことがわかっている。武者修行に出たといっても、このころの武蔵は故郷を断ち切ることができなかったのである。
 こんな武蔵にとって人生の転機となったのが、17才で参戦した関ヶ原の戦いだといわれている。
 合戦に参加したのは、もちろん手柄を立ててどこかの大名に認められるためである。そうなれば、武士として仕官(就職)の道も開けてくるからだ。
 だが、どこの誰ともわからない浪人身分の武蔵が一介の兵士としてできることには限りがある。そのことを、関ヶ原の合戦で武蔵は思い知らされたのだという。そして、武蔵は思った。
「こうなった以上は、もはや剣によって名を上げるしかない」と。
 武蔵が関ヶ原の合戦に参戦したという記録は、武蔵の死後100年以上たってまとめられた武蔵伝『二天記』にあるくらいで、確実な証拠はどこにもない。だが、こう考えと、武蔵の次の行動も十分に納得できるのである。

■打倒! 京の名門・吉岡流

 関ヶ原の戦いから数年、21才になった武蔵は、突然これまでとは格の違う相手に戦いを挑むことになる。
 そのころ、京都に吉岡家という剣法の一門があり、京都西洞院に兵法所を構えていた。家祖・吉岡直元が足利12代将軍義晴に仕えて軍功をあげ、以来その弟・直光、直光の息子・直賢が足利将軍家の兵法師範をつとめたほどの名門である。
 当時、吉岡流を継承していた直賢の息子・清十郎(直綱)には、こんな話も伝わっている。清十郎は密教の行法で心胆を鍛えていたが、その気合いはすさまじいものだった。深夜に森の梢に向かって精神を統一すると、それだけで森の小鳥たちが一斉に飛び立ったというのだ。
 21才になった武蔵が次の相手に選んだのが、この吉岡清十郎だった。
 何がなんでも名を上げたい、そんな気持ちを武蔵は押さえることができなかったのだろう。
 だが、相手は名門である。この戦いは、単に武蔵対清十郎の戦いではなく、武蔵対吉岡一門の戦いへと発展することになった。

■清十郎、伝七郎との決闘

 武蔵と吉岡清十郎との戦いは、『二天記』によれば、武蔵が21才の慶長9年(1604年)春、京都北郊外の蓮台野(京都市北区船岡山の西)で争われたとされている。
 この戦いはあっけなかった。木刀を持った武蔵が、真剣を持った清十郎を一撃で打ち倒したのである。
 幸い、清十郎は死ななかった。2人の対戦を見ていた清十郎の弟子たちがすぐにも板に乗せて連れ帰り、手を尽くして看病したからだ。しかし、回復した清十郎は、この敗北を恥じ、兵法を捨てて出家したといわれている。
 この結果に我慢できなかったのが、清十郎の弟・伝七郎(直重)だった。伝七郎は兄以上の膂力の持ち主と伝えられているから、自分ならという気持ちもあったかもしれない。
 伝七郎はすぐにも兄の仇を討つべく、武蔵に挑戦状をたたきつけた。
 場所は京都洛外、伝七郎は5尺の大木刀を携え、武蔵に打ちかかった。だが、結果はまたしても武蔵の勝利だった。伝七郎は大木刀を武蔵に奪い取られ、その大木刀で打ちのめされ、その場に絶命してしまうのである。

■一乗寺下り松の決闘

 清十郎、伝七郎の兄弟を倒したことで、吉岡家との戦いは、完全に武蔵の勝利に終わったといっていい。おそらく、武蔵はそう思っただろう。
 だが、吉岡一門の弟子たちはそうは思わなかった。
 当時、清十郎に10才になるかならないかの又七郎という嗣子があった。この又七郎を名目人にして、吉岡一門の者たちが武蔵に試合を申し込んだのである。
 場所は京都洛外一条寺薮の郷下り松(京都市左京区詩仙堂の西)である。
 もちろん、10才の又七郎が武蔵と戦えるはずはない。吉岡側によからぬ企みがあるのは明らかだった。
 そこで、武蔵もこれまでとは違う作戦に出たようだ。『二天記』によれば、この戦いで武蔵は約束の刻限よりも早い夜明け前に試合場所に行き、松陰で敵を待ち伏せしたのである。
 するとしばらくして、吉岡一門の者たちがやってきた。このとき、吉岡一門は数十人おり、槍や弓矢まで用意して又七郎を取り囲んでいたが、まさか武蔵が待ち伏せしているとは予想していなかった。そこに武蔵が飛び出し、吉岡勢のただなかまで突き進み、一刀のもとに又七郎を切り捨てたのだ。さらに、武蔵はたった1人で数十人の敵をけちらした。又七郎を失った吉岡勢はすっかり狼狽し、もはや武蔵の敵ではなかったのである。
 これが武蔵と京の名門・吉岡流との戦いのすべてだった。
 武蔵は生涯に数多くの試合をしているが、吉岡一門ほど有名な相手はほかにいない。また、多人数を相手に戦ったこともこのほかにはない。その意味で、吉岡一門との戦いは、佐々木小次郎との決闘に匹敵する、重要な戦いになったといっていいだろう。

◆記録に残る武蔵の勝負◆

 年月日 年齢 相手 場所 武蔵武器 相手武器 勝ち手
①慶長元年(1596) 13 新当流兵法者・有馬喜兵衛 播磨国 6、7尺の棒 真剣 投げ落とした後、棒で打殺
②慶長4年(1599) 16 兵法者・秋山某 但馬国 棒? 一瞬のうちに打殺
③慶長9年(1604) 21 京の名門・吉岡清十郎 京都北郊外蓮台野 木刀 真剣 一撃で打倒す
④慶長9年(1604) 21 清十郎の弟・吉岡伝七郎 京都洛外 相手の武器を奪う 大木刀 相手の木刀を奪い、打殺
⑤慶長9年(1604) 21 清十郎の嗣子・吉岡又七郎 京都洛外一乗寺下り松 真剣 真剣 一刀で切り捨てる
⑥慶長9年(1604) 21 槍術の名手・奥蔵院 奈良 短い木刀 十文字槍 木刀で槍先を抑え、追い込む
⑦慶長9年頃(1604) 21 鎖鎌名手・宍戸某 伊賀国 真剣二刀 鎖鎌 相手の胸を短刀で打貫く
⑧慶長10年頃(1605) 22 柳生家家臣・大瀬戸隼人 江戸 木刀 木刀 先をとって打ち込み転倒させる
⑨慶長10年頃(1605) 22 柳生家家臣・辻風某 木刀 木刀 体当たりで気絶させる
⑩慶長13年頃(1608) 25 回国修行者・無双権之助 明石 削りかけの楊弓 大木刀 眉間を一撃し転倒さす
⑪慶長17年(1612) 29 兵術達人・佐々木小次郎 豊前国小倉舟島 櫂を削った木刀 長大刀 櫂の木刀で打殺
⑫元和年間(1615~24) 本多甲斐守家士・三宅軍兵衛 姫路 木刀二刀 木刀 大木刀で相手の頬を突く
⑬寛永7年(1630) 47 徳川義直家士・某 尾張国 木刀二刀 木刀 位詰めに追い込む
⑭寛永11年(1634) 51 宝蔵院流槍術・高田又兵衛 豊前国小倉 木刀 稽古槍 相手が負けを認める
⑮寛永15年(1638) 55 松平出雲守直政家士・某 豊後国 木刀二刀 8尺あまりの八角棒 左右の腕を強打した後打倒す
⑯寛永15年(1638) 55 松平出雲守直政 豊後国 木刀二刀 木刀 位詰めに追い込む
⑰寛永17年以降(1640) 57以降 細川藩士・浜田兵之助 肥後国熊本 短い木刀 6尺8寸の棒 気によって動きを封ずる
⑱寛永17年以降(1640) 57以降 細川藩士・氏井弥四郎 肥後国熊本 木刀 木刀 位詰めに追い込む
宮本武蔵全十一話目次
第一話 巌流島の決闘
第二話 宮本武蔵の誕生
第三話 吉岡一門との決闘
第四話 二刀流開眼
第五話 巌流島以降の武蔵
第六話 宮本武蔵の謎
第七話 諸芸に通じた武蔵
第八話 『五輪書』「地の巻」
第九話 『五輪書』「水の巻」
第十話 『五輪書』「火の巻」
第十一話 『五輪書』「風の巻」「空の巻」
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