小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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第八話 五輪書/地の巻 |
■『五輪書』に見る剣豪人生の集大成
日本一の剣豪・宮本武蔵を語る以上、武蔵が晩年になって完成した『五輪書(ごりんのしょ)』を無視するわけにはいかない。
『五輪書』は、宮本武蔵自身による、宮本武蔵の兵法の集大成といえる書物だからだ。書物と書いたが、形態としては巻物であり、5巻に分かれている。
その第1巻にあたる、「地の巻」の冒頭に武蔵は次のように書いている。
「兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬の事、初めて書物にあらわさんと思う。時に寛永二十年(1643年)十月上旬のころ、九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かい、生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、年つもって六十。(中略)今この書を作るといえども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをももちいず、この一流の見たて、実の心をあらわす事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てん(午前4時30分)に、筆をとって書初むるものなり」
これを読んだだけで、武蔵が相当な決意のもとに『五輪書』を書き始めたことがわかる。また、武蔵が死去するのは、それから19ヶ月後の正保2年(1645年)5月19日である。このことから、武蔵が最後の力を振り絞って『五輪書』に取り組んだことも想像できるはずだ。
■よき理解者だった細川忠利の死
『五輪書』を書くにあたり、武蔵がこれほどまでの決意を固めたことについては、細川忠利の死が直接の原因になったといわれることが多い。
武蔵は、57才だった寛永17年(1640年)7月から、熊本に滞在するようになった。それまで、小倉小笠原藩にいた武蔵を、熊本藩主・細川忠利が招いたのである。
忠利と武蔵の関係がいつ始まったか、正確なところはわからない。だが、熊本に来てからの武蔵が、忠利と昵懇の関係だったことははっきりしている。
忠利は諸芸に通じた武蔵の聡明さを重んじ、しばしば政道に関することまで相談したと伝えられている。また、忠利は徳川将軍家の武芸師範・柳生宗矩に新陰流を学んだほどの武芸好きだった。
武蔵にしても、はじめて自分を理解してくれる主君に巡り会ったという思いがあったのだろう。寛永18年(1941年)2月には、武蔵は忠利の要請を受けて、『兵法三十五箇条』という二天一流の兵法書を書き上げている。
ところが、その翌月の3月、この忠利が56才で死去してしまうのである。
■『五輪書』と『兵法三十五箇条』
自分よりも2才若い忠利の死は、武蔵を大いに落胆させると同時に、武蔵自身の人生が終わりに近いことも、意識させたのではないだろうか。
そんな武蔵が、生涯をかけて磨き上げた二天一流の集大成を思いついたとしても、少しも不思議はない。
幸いにも、武蔵はすでに忠利のために『兵法三十五箇条』を書き上げている。
これは、二天一流の兵法理論を35項目に分けて簡潔に解説した兵法書で、見事な技術指導書といえるものだ。
おそらく、武蔵はこの『兵法三十五箇条』をさらに発展させ、より充実した兵法書を書こうと考えたのだろう。『兵法三十五箇条』が『五輪書』の抜粋のように見えることからも、それはわかる。
そして、武蔵は決意した。熊本城下から10キロほど離れた金峰山麓に岩戸観音が安置された霊巌洞という洞窟がある。60才となった武蔵は、その洞窟にこもり、『五輪書』を書き始めたのである。
■『五輪書』地・水・火・風・空の概略
こうして完成した『五輪書』は、テーマごとに、地・水・火・風・空の5巻に分けられている。
それぞれのテーマについては、「地の巻」の中で簡潔に説明されている。だいたい、次のような内容である。
地の巻―兵法の原論。二天一流の兵法観。
水の巻―1人で戦うための具体的剣技。
火の巻―1対1の勝負の駆け引き。集団で戦う合戦への応用。
風の巻―他流兵法の批判。二天一流の優位性の証明。
空の巻―結論として、空の境地の重要性。
ところで、第1巻目の「地の巻」の中に、全体の構成が簡潔に示されていることからもわかるように、武蔵の書き方は非常に懇切丁寧である。また、その内容は徹底して、勝つために必要な具体的な方法論の記述になっている。
武蔵はしばしば合理主義者だといわれるが、それはこのためといっていい。
■「地の巻」が語る二天一流の原論
最後になったが、ここで改めて『五輪書』第1巻の「地の巻」を取り上げよう。
全体の序文や各巻の概略があるのでもわかるように、この巻は『五輪書』全体の導入部にあたる。そのテーマは兵法の原論及び二天一流の兵法観だが、これも『五輪書』全体の前提となるものである。
例えば「兵法に武具の利を知るという事」という項では、脇差し、太刀、長刀、槍など、各種の武器の利点と欠点を説明した後に次のように記されている。
「道具などは、一つだけを特別に好きになってはいけない。過ぎたるは及ばざるがごとしである。人まねをせず、自分の能力を考え、使わなければいけない」
こうしたことは、具体的な剣技以前に誰もが心しておかなければならない、兵法の前提といっていいだろう。
さらに、「地の巻」の最後には、二天一流を学ぶための心得として、「実直な、正しいことを思うこと」「道を鍛錬すること」など9ヶ条が上げられている。
こうして、前提となる事柄を十分に説明した後で、武蔵は「地の巻」を終え、「水の巻」へと筆を進めるのである。
◆『兵法三十五箇条』(抜粋)◆
一、此道二刀と名付事
此道二刀として太刀を二ツ持儀、左の手にさして心なし。
太刀を片手にて取ならはせん為なり。
片手にて持つ得、軍陣、馬上、川沿、細道、石原、人ごみ、かけはしり。
もし左に武道具持たる時、不如意に候へば、片手に取なり。
太刀を取候事、初はおもく覚れ共、後は自由に成候也。
たとへば、弓を射ならひては其力つよく、馬に乗得ては其力有。
凡下のわざ、水主はろかひを取て其力有、土民はすきくはを取て其力強し。
太刀も取習へば、力出来る物也。但強弱、人々の身に応じたる太刀を持べき物也。
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