小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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第二章 一世を風靡した錬金術師の活躍 |
〝死ねない男〟といわれた奇跡の怪人物 *サン・ジェルマン伯爵
ファンタジーやミステリーに興味をお持ちの方ならば、サン・ジェルマン伯爵の名はどこかで一度は聞いたことがあるだろう。18世紀のヨーロッパで、人々から〝wonderman(驚異の男)〟と呼ばれた怪人物である。
錬金術師というのは、本来的にどこか怪しい雰囲気に包まれているが、その怪しさを最大限に拡大したらどうなるか。多分、サン・ジェルマン伯爵のようになるのではないだろうか。生まれも育ちもはっきりしない。そして、いかにも怪しげなエピソードだけが無数にある。
その怪しさの中心にあるのが錬金術だった。事実、当時の多くの人々が、彼は賢者の石を所有しており、それによって不老不死を得ていると考えていた。
サン・ジェルマン伯爵はもともとプロシアの宮廷に仕えており、18世紀半ばにパリの宮廷に入り込んだが、当時のプロシア王フリードリッヒ2世は彼のことを〝死ねない男〟と呼んでいた。
パリの社交界で、サン・ジェルマン伯爵は女性たちに人気があったが、それは彼が女性の肌を美しく若返らせる「生命の水」を持っているからだと人々は噂した。
ジェルジ伯爵夫人はルイ15世の寵妃ポンパドール夫人との会話の中で、「もう50年も昔、わたしが大使夫人としてヴェネチアにいたときに、サン・ジェルマン伯爵と会ったことがあるの。あのとき、わたしも彼からガラス☆瓶☆{びん}に入った「生命の水」をいただいたけれど、それを化粧水として使っている間は、容姿に少しも変化がなくて、いつも25歳の美しさでいられたのよ」と語ったといわれている。
面白いのは、サン・ジェルマン伯爵自身も、「自分は4000歳だ。賢者の石を液化した〝生命の水〟で長寿を得ているのだ」と公言してはばからなかったということだ。
彼のいうことをそのとおりに受け取るなら、彼は数千年も昔のバビロンの宮廷の出来事に通じていたし、ソロモン王を訪れたことで有名なシバの女王と話したこともあった。アレクサンドロス大王がバビロンに入場するのもその目で見ており、そのときの行進曲をピアノで演奏することができた。キリスト教の祖であるイエスとも知り合いで、「ヨハネによる福音書」で語られているカナの婚礼にも出席し、その場でイエスが水がめの水をぶどう酒に変える奇跡を目撃した。イエスの処刑を命じたユダヤ総督ポンティオ・ピラトやローマ皇帝ネロも彼の知り合いだったし、西暦4世紀のキリスト教会のニカエア公会議にも出席したという。
もちろん、こんな話を信じない人々も存在していた。あるとき、そんな人物がサン・ジェルマン伯爵の召使いを捕まえていった。
「いくらなんだって、4000歳というのは嘘だろう」
すると、召使いは平然としてこういったという。
「そうかもしれません。わたしは主人に仕えるようになってまだ100年しか経っていませんが、100年前、主人は自分は3000歳だといっていましたから」
実際にも、サン・ジェルマン伯爵は少しも歳をとらないようだったといわれている。
50年前に彼に会ったことがあるというジェルジ伯爵夫人は、パリで彼に再会したときに、「あなたはあのときから少しも歳をとっていないようだわ」といって驚いたという。
彼は1750年ころからパリで有名になり、1760年ごろに姿を消した。そして、15年後に再びパリに現われた。このとき彼と再会したアデマール伯爵夫人は、彼が昔と少しも変わらず、相変わらず40歳くらいに見えたといった。アデマール伯爵夫人はさらに12年後にも(すでに死んでいるはずの)彼と出会ったが、このときも彼は少しも歳をとったように見えなかったという。
ところで、サン・ジェルマン伯爵がどのようにして不老長寿を得ているかというと、どうやら賢者の石の粉末を丸薬にして服用していたらしい。というのは、『回想録』で有名なイタリア人冒険家カザノヴァがあるとき伯爵を晩餐に招待したところ、伯爵は「自分はいつも丸薬とパンとカラスムギなどを食べるだけだ」といって断ったという話があるからだ。
ここからわかるのは、サン・ジェルマン伯爵が一種の☆食餌☆{しょく/じ}療法をしていたということで、その点では中国の☆神仙☆{しん/せん}に近いのかもしれない。
賢者の石を持っているというくらいだから、当然のように金持ちでもあった。実をいうと、サン・ジェルマン伯爵はいつも若々しくは見えるものの、見た目はそれほど風采の上がらぬ男だった。しかし、その衣装には数え切れないほどの高価な宝石が縫い付けられており、いかにも立派に見えたという。
錬金術で手に入れた金で購入したのだろうか?
これについてサン・ジェルマン伯爵は、「自分は小さなダイヤモンドを幾つか集めて、1つの大きなダイヤモンドにすることができるし、小さな☆真珠☆{しん/じゅ}を巨大な真珠に成長させることもできる。小さなただの石ころを集めてそれをダイヤモンドにすることも、ダイヤモンドの傷をきれいに取り除くこともできる」と語ったのである。
錬金術というのは基本的にはある物質を別な物質へと変成する術だから、こんなことができたとしても少しも不思議はない。
現実に彼はルイ15世の所有していた傷のあるダイヤモンドを預かり、完璧なダイヤモンドにして返却したこともあったと伝えられている。
サン・ジェルマン伯爵が小さな石ころをダイヤモンドに変成する現場を目撃した者はいないが、彼が一片の銀を黄金に変成する場面をカザノヴァは目撃したことがあった。しかし、カザノヴァはそれが現実のこととは信じられず、「きっと手品に違いない」と考えたという。
数千年も生きていれば当然のことかもしれないが、サン・ジェルマン伯爵は驚くべき博識で、さらに多芸でもあった。
伝えられるところによれば、彼は世界中を旅して実際に各地で生活したことがあるので、様々な言語に通じていた。歴史や政治にも精通していた。ヴァイオリンやピアノの名手であり、画家としても能力が高かったという。
錬金術師というだけでは説明できない能力もあった。
友人たちの中には、サン・ジェルマン伯爵が自由自在に姿を消すのを目撃したと主張する者が何人かいた。
50年も昔に起こった謎の失踪事件を解決したこともあった。サン・ジェルマン伯爵は失踪した人物が自宅の床下にある秘密の地下室で死んでいることを見事に言い当てたのである。
18世紀にはまだ存在しなかった汽車と蒸気船について話したこともあったという。
不思議なのは、不老不死であるサン・ジェルマン伯爵がある記録では1784年にドイツで死んだとされていることだ。
1775年に一度フランスへ戻った彼は、ルイ16世とマリー・アントアネットに会ってある忠告をした。1789年のフランス革命で王権が打倒されたことからもわかるように、当時のフランス王権は放っておけば滅びる運命にあったからだ。だが、彼の説得は不成功に終わった。そればかりか、危うく逮捕されて、牢獄に閉じ込められるような危地に追い込まれた。
彼はドイツへと逃れ、カッセル伯爵邸で錬金術の研究をして暮らすようになった。そして、1784年、この屋敷の一室で急死したというのである。死因はリュウマチとうつ病だったという説もある。
しかし、この話そのものがどの程度確実なのかはっきりしない。というのも、サン・ジェルマン伯爵はこの後も何度となく人々の前に姿を現したことがあるからだ。
1789年7月14日にバスティーユの牢獄が占領された後、マリー・アントアネットはある匿名の手紙を受け取ったが、そこにはサン・ジェルマン伯爵の言葉としか思えないような、最後の忠告が記されていたという。
彼は革命中、パリのあちこちに現われたが、なかでもギロチンのあったクレーブ広場には頻繁に現われたという。
19世紀になってからさえ、サン・ジェルマン伯爵を目撃したという証言は後を絶たなかったのである。
これほど不思議な人物なので、その実像についても様々な説がある。
一説によれば、サン・ジェルマン伯爵はフリードリッヒ2世の密命を帯びてフランスに送り込まれたスパイであり、フランス宮廷に入り込んで、秘密の政治工作をしていたのだという。彼はしばしばヨーロッパ各地へ旅していたが、それはすべて政治工作のためだったというのである。
別な説によれば、彼は秘密結社・☆薔薇十字団☆{ば/ら/じゅう/じ/だん}の会員で、やはり密命を帯びて各地で政治工作をしていたのだといわれる。薔薇十字団はきわめて錬金術的な自然哲学を持った秘密結社なので、これは大いにありそうなことだ(第四章参照)。
もちろん、確かなことはわからない。
とはいえ、サン・ジェルマン伯爵の中に、錬金術師の怪しい部分が集約されているということだけは間違いないといっていいだろう。
最後に、1785年のベルリンの雑誌に載せられた、サン・ジェルマンを讃える詩を紹介しておこう。
サン・ジェルマン伯は大錬金術師。
プロメテウスのように火を盗み、
火によって世界を存在せしめ、万物を生動せしめる。
自然は彼の声にしたがい、意のままに動く。
彼が神でないのなら、力強い神が彼に霊感を授けているのだ。(種村季弘訳)
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