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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第一部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
(お断り:以下の内容は20世紀の世紀末頃に書かれました。)

  どこもかしこも「世紀末」、
  無神論だか神秘主義だか、この言葉、
  臨機応変、どこでも使える、だって
  なんでもかでも世紀末。

(19世紀末のパリで作られたシャンソンの一節。フリッツ・シャルクの論文『世紀末(ファン・ド・シエクル)』より引用。論文は平凡社刊『論集 世紀末』に収録されている。)

20世紀末を迎える世界

 もうすぐ20世紀が終わる。ボーブール(パリのポンピドゥー文化センター)にはカウンター・パネル付きデジタル時計があって、20世紀の終わりまでの期間を表す数百万秒という時間のカウント・ダウンが表示されているという。本当か嘘か確認したわけではないが、世界の有名なホテルでは、20世紀の大晦日の夜(どういうわけか1999年12月31日のようだが)については、かなりなプレミア付き価格で販売されたにも関わらず、すでに数年前から全室予約済みであるという。
 こうした事実が語っている意味は何だろう? 「世紀末」というと、世界の破滅とか頽廃とか、社会の混乱とか、どちらかといえば否定的なイメージと関係づけられるが、そうしたイメージを度外視したとしても、20世紀が終わるという事実には、多くの人々を引きつける魅力があるということではないだろうか。

キリスト誕生後2回目の千年紀末

 ところで、あらためて断るまでもないだろうが、「世紀(センチュリー)」とはイエス・キリストが誕生した年を基準にした時代の区切り方である。キリストが誕生した年を紀元1年とし、その時点から数えて100年ごとの区切りが1つの世紀である。したがって、20世紀に関していえば、正確には1901年1月1日から2000年の12月31日が終わるまでとなる。一般的な印象では1999年12月31日で20世紀が終わるように感じられるが、そうではないわけだ。もちろん、その日限りで世界が終わるとも思えないので(終わるかも知れないが)、詳しい日付についてはどちらでもいいような気がする。
 そんなことよりも、今回終わろうとしている20世紀に関していえば、それが単なる1つの世紀の終わりではないということが重要だろう。間もなくやってくる西暦2000年はキリスト生誕後2回目の1千年紀(ミレニウム)の終末にも当たっているのである。
 千年という長さは、あまりに長すぎて想像を絶するものではあるが、千という数字は確かに意味ありげに見える。
 旧約聖書の中で、神は6日間で宇宙を作り、7日目は休息したと語られているが、ユダヤの古い考え方の中には、神の創造の1日を人間の千年間と考え、神が宇宙の創造に費やしたのと同じ7千年をもって、この世の寿命とする考え方もあった。世界は6千年間持ちこたえ、最後の千年間で荒廃してしまうのである。
 キリスト教では、千年紀(ミレニウム)という言葉には、終末論に属する千年王国(ミレニウム)という意味も含まれている。これは、世界の終末時になると大きな混乱が世界を襲うが、このときに当たってメシアであるイエスが来臨し、この世に千年間続く平和で幸福な王国を築くとする考えである。この考えでは、地上における千年王国が終わった後、より本質的な終末が訪れ、この世は完全になくなり、今度は彼岸において新たな永遠の国が打ち立てられるとされている。
 20世紀の終わりは単なる世紀の終わりではなく、このような「千」という数字を背後に持った、2回目の千年紀の終わりなのである。

まことしやかに語られた千年紀末の大事件

 ここで、キリスト誕生後1回目の千年紀の終わりがどうだったか、見ておきたい。千という数字にそれほどの意味があるなら、ヨーロッパ世界における最初の千年紀の終わりはさぞや大変だったろうと想像できるからだ。
 実際、最初の千年紀の終わりは、終末思想と結びついて、ヨーロッパ世界の人々に大恐慌をもたらした、と少なくともかつてはいわれたことがあった。
 中世の迷信深い人々を馬鹿にしていた18世紀の啓蒙主義者や19世紀の歴史家たちが、そのような物語をねつ造したのだといわれている。
 そのような物語の中で語られているエピソードの中で、いくつか目に触れたものをまとめると、当時の様子はだいたい次のように描かれている。

 10世紀が終わろうとしている頃のことである。ある噂のために、ほとんどヨーロッパ中の人々がパニックに陥った。聖ヨハネが黙示録の中で語った千年の期間が終わり、ついに本当にこの世が終末を迎えようとしているというのである。こんな状態で、誰も仕事など手に付くはずはなかった。そんなわけで、ヨーロッパではほとんどすべてのことが中断してしまった。狂乱状態になる人々も多かった。ペストの流行とか飢饉とかが起こると、それは終末の印だと思えた。終末に続いて起こるだろうことを考えただけで、その種の人々は正気を失ってしまい、町へ出ると自分より弱い者たちを捕まえて、切り殺したり、火あぶりにしたりした。挙げ句の果てに、子供を捕まえては喰ってしまう者たちまでいた。敬虔な者たちは、身近に死期の近い者がいると、自ら墓穴を掘って埋めたが、絶望のあまり、死者と一緒に自分まで墓穴の中に入ってしまう者もいた。間もなく終末がやってくるというときに、余分な財産など持っていても仕方ないので、多くの人々が土地や屋敷を教会や修道院に寄贈した。善行を積むことで、終末の後に天に打ち立てられるはずの永遠の王国に住む権利を手に入れようとしたのである。財産を整理した後、聖なる国であるイェルサレムへと旅立つ人々も多かった。その場所に、キリストが再臨するはずだったからだ。こうして、終末の刻限が近づいたとき、大聖堂や礼拝堂などはどこもかしこも人々でいっぱいになり、人々は不安に震えながら、天使のラッパが吹き鳴らされるのを待ったという。

 しかし、最初の千年紀末を生きたヨーロッパの人々は、実際にはこんな状態には陥らなかったといわれている。キリスト教が支配的な時代だったから、天変地異があればそれを終末の印と思うくらいの人々はいたようだが、全般的にはパニックらしいものはなかったらしい。
 そもそも、中世ヨーロッパの人々はキリスト紀元の西暦の年数にそれほど興味を持っていなかったのだといわれている。キリスト紀元による紀年法は西暦525年にローマの神学者ディオニシウス・エクシグウスによって提案されたもので、キリスト教会にはすぐにも普及したが、一般に普及するのには時間を要し、やっと10世紀頃にヨーロッパに普及したのである。当時の人々がそのような紀年法に重きを置かなかったとしても、とくに不自然とはいえないだろう。
 だが、もしそうだとすると、千年紀とか終末論とかに関わる思想が、この世界に具体的な影響を及ぼしたことはないのだろうか?
 もちろん、しばしば影響を与えたし、いまもなお与えているといっていい。古代ユダヤ人の間に終末論が流行した西暦1世紀前後の時代はもちろん、中世においても、近代においても、そのことに変わりはない。

近代にも影響を与えた終末論的思想

 西欧近代においては、キリスト教の神の権威は、それ以前の時代に比べるとほとんど地に落ちてしまった感じがする。ルネッサンス以来、西欧の人々はキリスト教的な神や教会の権威から自由になることを目標にしてきたように見える。18世紀の啓蒙主義者たちはすべてを合理主義的に考えようとし、神秘的なものはことごとく否定した。科学の時代となった19世紀ともなれば、なおさらだった。
 が、こうした表面的な現象にも関わらず、キリスト教的な考え方、とくに終末論の変種である千年王国的思想が、近代の思想を強く規定しているということはしばしば指摘されることである。

 ここでは、簡単に述べるだけにするが、例えばマルクスの革命思想などが、終末論がキリスト教から離れて世俗化した形態の極限だといわれる。確かに、マルクスの思想は、一種の世直しの運動で、最終的に自由の王国が樹立されることを予言的に告げるものであり、そのプログラムは千年王国思想に類似しているといえる。が、マルクスだけではない。科学に対する信仰も、神の摂理に対する信仰が横滑りしたものだし、人類が確実に進歩し、最終的には福祉の世界が実現されるというような進歩思想も、終末によってこの世が完成するという終末論的思想に通じるものなのだという。
 このような指摘に耳を傾けてみると、最初の千年紀末を迎えた10世紀末のヨーロッパ人よりも、2度目の千年紀末を迎えている現代人の方が、終末論により近い位置にいるのではないかとさえ思えてくる。
 事実、「世紀末」と「終末」が結びついたのは、それほど古い時代のことではないはずである。

19世紀世紀末と終末論

 「世紀末」という言葉は狭義の意味では19世紀の世紀末を指す言葉である。19世紀の世紀末に、初めて「世紀末」という言葉が流行したといわれている。それ以前の世紀には、世紀末といっても、とくに何ということなく時間が過ぎていったのだという。
 では、19世紀の世紀末に終末論が流行したかというと、けしてそんなことはないようである。19世紀は全般的には楽天主義的・科学主義的時代である。ほとんどの人々は科学と人類の進歩を信じていた。ショーペンハウワーのようなペシミストは19世紀では少数派だし、19世紀末を代表させる思潮としてしばしば言及される唯美主義やデカダンスといった文学芸術運動も、あくまでも文学や芸術の話だといわれる。ただ、漠然とした形では、終末的雰囲気があったともいわれる。「世紀末(ファン・ド・シエクル)」という言葉は19世紀末に生まれたわけだが、この言葉にはラテン語の「時代の終わり(フィニス・サエクリ)」を想起させるところがあり、しかもこの言葉はアウグスティヌスに発する由緒正しい言葉で、世界の時間の終わりを意味していたからだという。
 もちろん、漠然とした終末的雰囲気などというものは正確には計量できない。しかし、「世紀末」=「終末」という発想がとても現代的だということはいえそうである。中世の革命的民衆運動や近代の主要な思潮を終末論的観点から捕らえ直した各種の重要な論考も、2つの大戦を経験した20世紀の成果だし、だからこそ、2度目の千年紀の終末を迎えるに当たって、あらためて終末論を見直す動きが起こっているのではないだろうか。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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