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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第四章 千年王国思想
カンパネッラの語る「太陽の都」

●カンパネッラについての基礎知識

 トンマーゾ・カンパネッラ(1568-1639)の著書『太陽の都』(1602年執筆。1623年出版)はトマス・モアの『ユートピア』と同様に、ユートピア小説あるいはユートピア論として知られるものである。
 ここで、ユートピアと千年王国の違いを簡単に指摘しておくと、ユートピアは、千年王国と同様に理想の国あるいは幸福な国を意味するが、トマス・モア自身がいっているように、“どこにもない国”であって、結局のところ実現することのない国だといえる。これに対し、千年王国はけっして“どこにもない国”ではなく、いつか必ずこの地上において実現されると考えられた国である。したがって、ユートピアと千年王国は基本的に性格が異なっているといえる。
 それにもかかわらず、ここでカンパネッラの『太陽の都』を取り上げるのは、彼自身が千年王国の到来を熱望しており、この著書にもその影響が見て取れるからである。
 カンパネッラは千年王国説で後世に大きな影響を与えたフィオーレのヨアキムと同じイタリア半島のカラブリア地方に生まれた。彼は幼いときから神童と呼ばれ、13歳で聖職者を志したが、生まれは貧しい労働者の息子だった。このことが彼の思想形成に大きな影響を与えたといわれる。労働階級の貧しさを知っている彼にしてみれば、よりよい時代の到来のために具体的に戦うことは人間として当然のことに思えたからだ。修道士となったカンパネッラは21歳の時から各地を旅し、30歳の時に再び生地に戻ると、そこでカラブリアを改革しようという共産主義的な政治運動に巻き込まれる。この当時、スペインの植民地だったカラブリアは収奪や迫害によって見るも無惨な状態だったことが、彼の政治運動の背景にあるといわれる。この革命運動によって、カンパネッラが目指したものこそ、同郷の先輩であるヨアキムが唱えた千年王国だったのである。
 しかし、この革命は失敗に終わり、カンパネッラは捕らえられると、それから27年間も獄につながれることになった。この獄中生活において、自分が目指していた世界を書きつづった書が『太陽の都』なのである。この書が絶対に実現することのないユートピア論でありながら、千年王国的な期待を持っているのもこのためだといえるだろう。

■カラブリアの挫折した1600年革命

 カンパネッラの革命計画は1599年に計画された。彼の考えでは、神秘的な数である700と900を加えた1600年は特別な年であり、洪水を含めた宇宙的規模の天変地異が生じ、世界が刷新されるはずだったからである。そして、新しい王国は彼の生まれ故郷であるカラブリアに誕生するはずだった。こうした考えに基づいて、彼はスペインと反宗教改革を推進していた教会側に戦いを挑もうとしたのである。カンパネッラはまったく預言者のように語ったので、仲間内では完全にカリスマ的存在であり、新しい王国が誕生したときにはその立法者になるはずだったといわれている。
 しかし、密告者が現れたことで、この計画は瓦解する。1599年が終わる前に、革命計画に加担した百数十人が捕らえられ、ナポリへ送られた。とはいえ、カンパネッラの情熱は消えず、獄中において『太陽の都』が執筆されたのである。

■ユートピア的千年王国「太陽の都」

 『太陽の都』は、ある修道会に属する騎士に対し、航海士であるジェノヴァ人が、自分が訪れた不思議な都市のことを物語るという対話形式の作品である。
 この都市こそ、カンパネッラが千年王国だと考えた理想的都市であり、革命の後に樹立されるはずだった国家だと想像できる。
 ジェノヴァ人はこの都市について、統治形態・政体・教育・生活形態などに細かく分類して語っている。
 太陽都市の視覚的な形は、こうした分類の中でもとくに重要とはいえないが、ジェノヴァ人自身が最初に語っていることなので、ここでも太陽都市の全体像を捕らえるために最初に確認しておきたい。
 ジェノヴァ人によれば、太陽都市はとある島の赤道直下の広い平原にある。その平原に丘があり、太陽都市の大部分はその上にある。都市は中世の城塞都市と同じように分厚い壁に囲まれており、直径が2マイル以上、周囲が7マイルもある。城壁は都市の内部にもあり、都市全体は7つの環状の地区に分けられており、それぞれ7つの惑星にちなんだ名前が付けられている。城壁の上には塔や砲台も供えられており、仮に敵対勢力の攻撃があったとしても完全に守られるような仕組みになっている。
 このように、中世の城塞都市としては完璧に近い都市の中で、理想的な生活が送られているのである。

■最高統治者は「太陽」

 太陽都市の内容に関しては、統治形態と市民の生活に大別できる。
 都市の最高統治者は「太陽」と呼ばれるが、これには「形而上学」という意味があるという。したがって、太陽都市では形而上学である「太陽」がすべての根本であって、「太陽」なしには何も決定できない。太陽都市におけるすべての存在は「太陽」から始まるツリー構造の中に治まることになるのである。
 最高統治者である「太陽」には3人の補佐役がいる。これらは太陽都市の言葉で「ポン」「シン」「モル」と呼ばれるが、それぞれ「力」「知恵」「愛」という意味だという。3人の補佐役は当然その名前にふさわしい仕事をしている。「力」は戦争・和平・軍略をつかさどり、「知恵」はあらゆる学問や芸術を、「愛」は立派な種族を維持できるように生殖をつかさどるという。「知恵」の下には学芸の分野ごとに文官がおり、「占星学者」「宇宙学者」「幾何学者」「論理学者」などという名前が付いている。このような名前は都市の役人にもつけられており、太陽都市には人間の美徳と同じ数だけ役人がいるが、これらの役人には「高邁」「貞潔」「剛毅」「公正」「勤勉」「真理」などという名が付いているとされている。
 ところで、役人や文官の選任は4人の統治者によって行われるから問題はないが、最高統治者である「太陽」になるのは大変なことである。「太陽」になる人物はあらゆる民族の歴史、祭祀・祭礼、いろいろな政体の国家、立法者たちや学芸の創始者たちのことなどを知り尽くしており、かつ技芸にも通じていなければならないからである。また、たとえ能力は十分でも35歳になるまではその地位につくことはないし、「太陽」は終身職なので、現任者よりも優れていない限りは、変更はされないのだという。

■管理された太陽都市

 太陽都市の市民生活の中で最も基本となっているのは、すべてのものが共有で、私有が禁じられているということである。これは太陽市民の哲学から来るもので、自分だけの家を持ったり、自分だけの妻子を持ったりするから、利己心が生まれ、横領や偽善や詐欺のようなことが起こるのだという。
 自分の家を持たない太陽市民たちは当然、共同生活をしている。共同生活は環状都市ごとに分かれて行われているが、定期的に人員の異動がある。仕事は人々の適性に応じて完全に分担されており、貴族のように遊んでいるものは1人もいない。子供たちの教育や育成も都市が管理している。子供たちは幼いうちから共同で育てられ、あらゆる学芸や技術を修得させられる。したがって、大人になったときには、どんな職業についても困らない能力を身に付けているという。このようなことが行われるのは、子供たちは個人の持ち物ではなく都市のためのものだと考えられているからだが、都市の役に立つよりよい子供が生まれるようにするという考えによって、太陽都市では性生活まで完全に管理されている。何日に一度、何時に、誰と誰が性交するかということが、役人によって決められているのである。例えば、体の大きな精力的な男は大きな美しい女と、太った女はやせた男と、やせた女は太った女と性交するという決まりがあるが、これはこうすることで釣り合いをとるためなのだという。
 こうして、何もかもが共同体のために管理されることによって、太陽都市では理想的な市民生活が営まれているというのである。そこには、いわゆる凶悪犯罪である窃盗、殺人、強姦、近親相姦などは存在しない。恩知らず、不親切、意地悪、嘘などは存在するが、こうした罪は厳罰に処せられるという。

■太陽の都に訪れる終末

 このように理想の生活を実現している太陽都市の生活はいかにも永遠に続きそうな感じがする。しかし、千年王国を夢見たカンパネッラが描く太陽市民たちは終末の到来を確実に信じているとされている。太陽市民たちはあらゆる学問を研究しているが、とりわけ天文学に深い関心を持っており、その研究結果から、世界の終末は確実だとされるのである。
 したがって、彼らの終末論は天体の動きと大いに関係している。その考えによれば、世界の各時代は一連の惑星の順序に従って順次継起し、惑星の遠地点が1000年か1600年ごとに変化することで、世界も大きく変化してしまうという。さらに、木星と土星が地球を挟んで180度の角度になる大会合(注1) が、人類に大きな影響を与えるという。
 終末の時期は明確にはされていないが、比較的近い未来のことだと考えられているようである。『太陽の都』が書かれた時代はルネッサンスの時代で、この書によれば過去百年間の間に過去四千年の世界の歴史よりも多くのものを生み出し、過去五千年にもまさる書物が刊行され、羅針盤、印刷術、鉄砲なども発明されたが、これは世界が統合される前兆なのだという。しかも、当時の進歩も天体の影響によってもたらされたもので、巨蟹宮で大会合が生じていたとき水星の遠地点が第四の三角宮 (注2)にあったためだとされている。
 ところが、このような状態の後で、土星の遠地点が磨羯宮にはいり、水星の遠地点が人馬宮に、火星の遠地点が処女宮にはいり、カシオペア座に新しい星が出現し、さらに大会合が第一の三角宮(注3) にもどると、新しい大君主国が興り、法や学芸は改革され、新しい預言者が生まれ、革新が起こるのである。
 また、これらのことと並行して、夏至冬至や春夏秋冬の変化、黄道傾斜や両極の変化、天空における星座の混乱が起こり、大会合に続いては、日食や月食も起こるという。このような大異変があって、この世は終末を迎えるのである。
 ところで、太陽市民たちはキリスト教徒ではなく、彼ら自身の神を崇拝しているが、福音書の中で星や太陽や月が示す前兆についてキリストが語った預言も正しいと信じているという。

(注1)黄道十二宮のうち巨蟹宮・天蠍宮・双魚宮のことで「水の三角宮」ともいわれる。
(注2)黄道十二宮のうち巨蟹宮・天蠍宮・双魚宮のことで「水の三角宮」ともいわれる。
(注3)白羊宮・獅子宮、人馬宮で「火の三角宮」。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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