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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。



第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第二章 直線的歴史と終末
シリア語バルク黙示録が描く終末

■シリア語バルク黙示録の予備知識

 旧約聖書偽典の1つとされているシリア語のバルク黙示録はもともとはヘブル語で書かれていたという説が有力で、それがギリシア語に翻訳され、ギリシア語版のバルク黙示録からシリア語に翻訳されたものとされている。もとの物語が書かれたのは紀元1世紀の70年以降のことで、パレスチナに住んでいたパリサイ派のユダヤ人の手になるといわれる。その時代は黙示文学が流行していた時代でもあり、ヨハネの黙示録が書かれた時代にも近い。紀元70年はティトゥス将軍率いるローマ軍によって、エルサレムが陥落した年でもある。これらのことから、バルク黙示録が来るべきこの世の終末と最終的な救いを語ることで、正しい信仰を持つユダヤの人々を力づけるために書かれたということは容易に想像がつく。
 新バビロニアのネブカドネツァル王(在位紀元前605~562)によってエルサレムが陥落した紀元前597年頃が物語の舞台になっている。そのような苦難のときに預言者バルクに神の言葉が臨み、これからやってくるだろう終末の出来事が詳しく語られたのである。バルクは偉大な預言者エレミヤの秘書をしていた人物で、旧約聖書正典に含まれているエレミヤ記にも登場している。
 バルク黙示録で語られている終末の出来事は、大筋ではヨハネの黙示録などと類似しており、終末のための基本的事件はすべてそろっている。大きな出来事としては、終末以前に地上に存在する4つの帝国、メシア来臨前に地上を襲う災難、メシアの来臨と千年王国の樹立、この世の終末と最後の審判に類した話などがある。しかし、地上を襲う災難が12の部分に分かれていたり、メシアが来臨した際に、怪物レビヤタンとベヘモトが地上の人間の食料になる話などもあり、細部は独自のものになっている。また、ヨハネの黙示録に比べて、象徴的な表現も少なく、終末の出来事も単純でわかりやすく感じられる。

■預言者バルクとエルサレムの崩壊

 紀元前597年に新バビロニアの軍勢によってエルサレムは陥落する。これによって、エルサレムのユダヤ人たちが捕虜としてバビロンに連行されるバビロン捕囚の時代が始まるが、まさにこのような時代のエルサレムが物語の舞台である。ユダの王エコニヤが25歳だったということから、紀元前590年のことではないかといわれている。物語の中では、この年にバビロニアの軍勢がエルサレムを包囲し、城壁を壊して都市に攻め込んだことになっているが、物語が始まるのはまさにその日の前日のことで、この日、神の言葉が初めてバルクに臨んだのである。神がバルクに語りかけたのは、バルクが正しい信仰を持った義人であることを知っていたからで、あらかじめエルサレムが攻撃されることを知らせることで、彼と同じように正しい信仰を持った義人であるエレミヤや同類の人々を救うためである。神は、大いに嘆くバルクに向かい、今回エルサレムを滅ぼすのは罪深い民に災いをもたらすための一時的な処置であり、終わりのときには永遠の王国が樹立されることを告げる。仕方なく、バルクはエレミヤたちを連れてキデロン の谷へ避難したのである。
 この結果、バルクは殺されることも捕虜になることもなかったが、その後も神の言葉は何度となくバルクに臨み、その中で、終末の出来事が詳しく語られることになったのである。

■この世と一緒に作られた永遠の王国

 終末の出来事の中で、バルク黙示録が最初に語っているのは、永遠の王国に関することがらである。
 キリスト教の終末論では、この世の終末の後に、彼岸において神の支配する永遠の王国が樹立されるといわれるが、これについてバルク黙示録は興味深い事実を指摘している。バルク黙示録の神の言葉によれば、永遠の王国はこの世の終末が訪れてから作られるものではなく、神がこの世を作ったとき、それと一緒に永遠の王国も作ったのだという。いまはまだ時が満ちていないので、神がそれを預かり、隠しているだけなのである。
 しかし、神はこれまでに何度か、永遠の王国を人間の目に見せたこともあるという。神が永遠の王国を最初に見せたのは、まだ罪を犯す以前のアダム だった。アダムが罪を犯したため、神はエデンの園と一緒に永遠の王国を彼から奪い取ったのである。永遠の王国を見たもう1人はモーセで、奴隷状態になっていたユダヤの民をエジプトから連れ出した彼が、シナイ山にやってきたとき、神はそれを見せたのだという。
時が満ちるのはいつか

■時が満ちるのはいつか

 神が永遠の王国について話してくれたことで、それが必ず実現するのだということはわかったが、それがいつ実現するのかは誰にとっても気になるところだ。バルクもそうだった。これに対し、神は人類の数としてあらかじめ予定されていた数が満ちたときだと答えている。
 最初の人間であるアダムが罪を犯したことで、それ以降に生まれてくる人間はすべて死すべきものと決められた。このとき、神はこの世の終末までに地上に誕生する人間の総数までも決定し、冥界に入るべき死者の数も決定したとされている。この数が満たされたとき、初めて終末が訪れるというのである。

■終末までの4つの時代

 バルクが生きていたのは、新バビロニア帝国の時代だが、この時点から終末の時点までの間にどのような時代があるかという点については、神はバビロニアの時代を含めて4つの時代があると語っている。バルク黙示録ではこれらの時代について、その名前までは語られていない。しかし、バビロニア帝国の時代から終末までの間に4つの時代があるという考え方は、ダニエル書やヨハネの黙示録でも語られている。こうしたことから、これら4つの時代が、バビロニア帝国、ペルシア帝国、ギリシア(マケドニア)帝国、ローマ帝国の時代であることは想像がつく。こうして、ローマ帝国の終わりにこの世が大いに乱れ、メシアが来臨するとされているのである。

■終末の予兆となる12の出来事

 メシアの来臨を告げるこの世の乱れは激しいもので、数々の患難と責め苦が人々を襲う。このため、地上の人々はまったく茫然自失の状態になってしまう。この話を聞いたバルクは、患難の時代はどれくらい続くのかと神に尋ねるが、神はそれに答えて、患難は12部に分かれているといっている。第1部では患難の始まりを告げる震動が起こる。第2部では要人たちが殺害される。第3部で多数の人々が死ぬ。第4部では戦争が起こる。第5部には飢饉と干ばつがある。第6部では激しい地震のために地割れが起こる。次は第7部だが、これについては記述が欠落している。第8部では数多くの異変が起こり、悪鬼が出没する。第9部では大火山の噴火および大火事が起こる。第10部では略奪と虐待が繰り返される。第11部では人々の間に不道徳で猥褻な行為が広まってしまう。第12部では、これまでに述べた事柄がでたらめに組み合わさって次々とこの世を襲うのである。
 しかも、これらの出来事は地上のすべての土地に関わるので、生きている人間でこれを逃れることのできる人間はいないのである。
 バルク黙示録の中にはここにあげた12の出来事を別な言葉で述べている部分もある。それによれば、このときにはくだらない者が高貴な者をあごで使ったり、美しさがさげすまれるといった正常な価値観の逆転が起こると同時に何人もの預言者が出現するといっている。その預言者の中には真実を述べるものもいれば、根も葉もない嘘をつくものもいるという。
 そして、このように混乱した状況の中で、悪人たちはことごとく死に絶えてしまうのである。

■メシアの出現と2匹の怪物

 こうして、地上が大きな混乱に陥った後、メシアが来臨する。このとき、第4の帝国の軍勢はメシアに対して戦いを挑むようだが、メシアはその大軍を全滅し、1人だけ生き残った司令官に縄をかけてシオンの山に引いていく。そこで、メシアはその司令官の罪を告発し、最終的に彼を殺す。そして、生き残った正しい信仰を持つ人々を保護し、この世にメシアの王国、いわゆる千年王国を打ち立てるのである。
 ここで打ち立てられる王国は一種の地上の楽園で、けして食うものに困らないような世界だとされている。大地の実りはそれまでの時代の一万倍もあり、1本のぶどうの蔓が千本の枝を張り、1本の枝が千の房をつけ、1つの房が線のみを結ぶほどである。天からマナ の倉が降りてくるので、人々は労せずにそれを食べることができる。旧約聖書に登場する怪物のベヘモトやレビヤタンも人々の食料となるために海から上がって来るという。バルク黙示録によれば、これらの怪物は天地創造の5日目に神が作ったものだが、もともと食料にするために作られたので、このときまでとって置かれたのだという。
 この時代には、病だとか死、災難といった人間的な苦しみの一切が存在しなくなる。批判や悪口、嫉妬や憎しみなども存在しない。労働も楽しいものになり、例えば大工が家を建てるにも、仕事の方が働き人に合わせて軽快に進んでくれるという。
 こうして、地上の平和な時代がいつまでも続くのである。
死者の復活と最後の審判
 地上に実現されたメシアの王国が何年間続くかについては、バルク黙示録は明確な数字をあげてはいない。永遠であるともいわれているので、千年に匹敵するような長期間であることは間違いない。
 しかし、そのときにも終わりがある。やがて、メシアの滞在期間が満ち、本当の意味でのこの世の終末の時が訪れる。
 このときに、最も重要な出来事として死者の復活が起こる。この復活は、アダム以来、地上に生を受けたすべての人間に起こる。悪人たちや普通の人間たちは大地の中から、人生を立派に生きた義人たちは死後の彼らのために用意されていた特別な倉の中から、生きていたときと同じ姿で復活するのである。そして、義人たちは神の約束が守られたことを知り大いに喜ぶが、悪人たちはまさか本当にこんなことが起こるとは思っていなかったので、大いに後悔することになるという。
 ヨハネの黙示録などでは、死者の復活に続いて最後の審判が行われることになるが、バルク黙示録では神の玉座の前でまるで裁判のような形式で最後の審判が行われるという記述はない。しかし、最後の審判が存在しないというのではない。バルク黙示録では、復活した死者たちがいつの間にか義人と悪人に分離されてしまうというような形で最後の審判が行われているように感じられる。というのは、復活後、日がたつにつれ、義人たちと罪人たちの見た目に変化が生じるからである。それが何日後なのかはわからないが、復活して定められた日が過ぎると、罪人たちはみな、これから彼らが受けなければならない拷問に絶えられるように、とても悪い姿に変化してしまうのである。反対に、義人たちはまるで天使のように美しい姿になり、いままでは目に見ることのできなかった光輝く楽園、つまり神の王国の存在を目の当たりに見るのである。こうして、義人たちは永遠に神の王国の住人となるのだという。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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