小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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第三部 19世紀の世紀末と終末観 |
近代にも生きている終末思想
■終末思想は異端思想になった?
第2章で、私たちは世界に存在した主要な終末思想を概観した。これらの終末思想は、神話や宗教の中で語られたもので、少なくともそれぞれの世界において主流の位置にあった思想だといえる。
ところで、現代ではどうかといえば、現実に世界の終わりが来ると語ることは、どちらかといえば非合理的で神秘的な態度といわれるかも知れない。もちろん、環境破壊というような観点から、終末を語る場合は例外だが。
そうだとすれば、近代以降は、終末思想はもはや世界の中心的な思想ではなくなり、完全に異端的な思想になったということができるだろう。
しかし、第1部でも見たように、終末思想は近代的な思想にも大きな影響を与えているのである。
そのような意味で、ここでは、中世以降19世紀までに終末思想がどのように変化したかヨーロッパの流れを中心に簡単に紹介しておこう。
■中世と近代を結ぶルネッサンス時代
ルネッサンスといえば、まさに人間中心主義の時代であり、神の摂理によってもたらされるような世界の終末とはいかにも縁のない時代のような気がする。しかし、この時代は中世はまだ終わりきらず、近代もまだ始まりきってはいないという混沌とした時代であって、宗教的立場によるものから彗星の衝突によるものまで、終末を語る言説には事欠かなかったといわれている。ルネッサンスとは再生の意味で、古代の文化に改めて注目した時代だが、魔法や占星術やユダヤ教の秘教なども注目され、さまざまな予言が流行した。ノストラダムス(1503~1566)はあまりに有名で、日本でも数多くの解説書が書かれているので、この本ではとくに紹介はしないが、終末を語るこのような人物が、ルネッサンス期には数多く登場しているのである。
このような中から、とくに興味深い人物として、ここでクリストファー・コロンブス(1451~1506)を紹介しておこう。もちろん、アメリカ大陸を発見したコロンブスだが、彼は世界の終わりは1656年に訪れると考えていたといわれている。
万有引力の発見者であるアイザック・ニュートン(1642~1727)は世界の終わりではないが、世界の始まりの年代を計算したことで知られている。それによれば、世界の始まりは紀元前3500年くらいで、誤差は20年くらいだという。
このように、歴史に残る大事業を成し遂げた人物までが、いまから見れば神秘的といえるような考えを表明していたのがルネッサンスの時代なのである。
とはいえ、この時代も終わりに近づく頃には、人類がそれまで知らなかった新しい思想が登場した。進歩という考え方である。
■進歩が実現する近代の千年王国
新しく登場した進歩という考え方は、18世紀の啓蒙時代にはまさに時代の中心的な思想になった。この時代に発明されたさまざまな科学技術は、進歩という考えを背後から支えた。歴史はもはや神の摂理によって動くものではなく、理性的な人間が動かすものになったのである。
こうして、人間は進歩することで、幸福な未来に到達できるという考えが生まれてきたわけだ。
1770年に出版されたルイ・セバスチャン・メルシエ(1740~1814)の『2440年』というユートピア小説が、このような考え方を最初に表明した作品だといわれている。もちろん、未来について語った小説はこれ以前にも存在したが、進歩によって現在と未来がつながれているという考えは、この作品によって初めて語られたのである。
物語は単純である。パリにいる物語の話し手がふとまどろんで夢を見ると、その夢の中で、彼は700年後のパリにいる。そのパリは何から何まで現在のパリとは違っている。とはいえ、完全に無関係なのではない。それは、現在のパリが700年間進歩し続けることで、確実に到達することのできる未来のパリなのである。そして、それはもちろん、幸福で理想的なパリである。街区はすべて美化されて様変わりしている。広々とした広場も見事に秩序が行き渡っており、わずかな混乱も存在しない。現在のパリにある耳障りな騒音もなく、人を轢きつぶすように走る車の姿もないのである。
しかも、進歩はパリだけにとどまる現象ではない。主人公はこのことを新聞で知るのだが、中国にも南アメリカにもワルシャワにも進歩は行き渡っているのである。理性と啓蒙による進歩が、自由で寛容な世界を実現しているというわけだ。
進歩によっていつか幸福な未来社会が訪れるというこの考えは、すぐにも人類にとって、基本的な考え方になったといっていい。
しかし、このような考え方が千年王国的思想の変容したものであることは、この本の第1部で述べたとおりである。こうして、終末論的思想は世俗化された形で、近代の思想の基本的な部分に入り込むことになったのである。
もちろん、18世紀の啓蒙の時代にあっても、彗星が地球にぶつかってこの世の終わりが訪れるというような終末思想は存在していた。何しろ科学がもてはやされるようになった時代なので、彗星は終末の徴ではなく、わずかではあるが地球にぶつかる可能性がある存在だということが理解されていたからである。しかし、ここではこの種の終末論ではなく、一見すると終末論から離れているように見える近代の主流といえる思想の中に入り込んでいる見えない終末論について、さらに述べていくことにしたい。
■宗教的千年王国から科学的千年王国へ
人間は進歩するという18世紀生まれの考え方は、19世紀になるとさらに確実なものになった。19世紀の科学と産業の発展は爆発的なものだったので、人間や社会が進歩することは、ほぼ絶対的なことに見えたのである。しかも、この時代にはチャールズ・ダーウィン(1809~1882)によって『種の起源』が刊行されている。これによって、人間は進歩するだけでなく、進化することも可能になったわけだ。
進歩と進化が幸福な未来を約束すると考えるのは当然のことだった。そんなわけで、19世紀は全体として楽観主義的時代だといわれるのである。
この時代に、終末論的な千年王国思想も、よりよい社会を目指す科学的な進歩理論の中に組み込まれることになった。
マルクス主義理論は社会の変革を目指す革命理論だが、このような流れの極限にあるものとして位置づけられている。
千年王国思想は、もともと革命的な思想であり、17世紀に起こったイギリスのピューリタン革命や18世紀に起こったアメリカの独立革命などにも大きな影響を与えたといわれている。その意味では、マルクス主義革命理論が千年王国思想の系譜にあったとしても不思議ではないが、科学的で合理的なものとされるマルクス主義理論にも影響を与えているというのは少し奇妙な感じもするかも知れない。しかし、マルクス主義理論を千年王国の流れに位置づける見方は多くの人に取り上げられているものである。その中の1つである『中国の千年王国』(三石善吉著)では、これらの類似点として次の点が上げられている。
終末論(千年王国) |
マルクス主義 |
選ばれた民 |
プロレタリアート |
預言 |
共産党宣言 |
原罪 |
搾取 |
神の国への進歩 |
よりよい世界への改善・進歩 |
キリストと反キリスト |
ブルジョワジーとプロレタリアート |
最後の審判 |
資本主義の最後の危機 |
十字架と復活 |
被抑圧階級の世界的な救済の役目 |
新しい天地・エルサレム |
自由の王国 |
もちろん、千年王国思想はマルクス主義理論だけに見られるものではない。未来には必ず理想的社会がやってくるという近代の進歩理論は、基本的に千年王国思想の流れの中に位置しているのである。
このような意味でいえば、千年王国思想の語る理想的王国は、19世紀的な楽観主義にぴったりと符合したといえるのかも知れない。
しかし、19世紀的な楽観主義にもやがて陰りが見えてくるのである。世紀末である。
とはいえ、ここでは世紀末について詳しく語るのはやめておきたい。これについては次の章で、2つの作品を通して、その時代に漂っていた奇妙な終末観を紹介することにしよう。 |
世界の終わりの話目次 |
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法
第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)
第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末
第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末
第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』
第三部 19世紀の世紀末と終末観
近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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