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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第二章 直線的歴史と終末
死海文書が描く終末

■死海文書の基礎知識

 エルサレムからそう遠くない死海の北西岸にクムランという荒涼とした地域がある。まだキリスト教が誕生していなかった紀元前2世紀の後半から後1世紀の中頃にかけて、ユダヤ教のエッセネ派に属する小さな共同体がこのあたりで数多くの聖書関係の文書を筆写したりしながら、極めて宗教的な共同生活を送っていた。が、後68年にユダヤ人の叛乱を鎮圧するためにやってきたローマ軍の攻撃を受けたため、彼らの生活は完全に破壊され、やがて彼らの存在そのものも忘れ去られてしまった。その存在があらためて意識されたのは彼らの生活が破壊されてから1900年近くも後のことだった。
 1947年のことである。このあたりで羊を放牧していたベドウィンたちがひょんなことから断崖にある洞穴の中に、古びた巻物が入った壷を見つけた。それが専門家の手に渡り、聖書研究のうえで極めて重要な文書であることがわかると専門家の発掘グループが組織された。こうして、1947年から56年までの間にクムランにある11の洞穴から約800点の断片的な文書類が発見された。
 現在、死海文書と呼ばれているのは、これらの文書類のことである。したがって、死海文書というのは例えばヨハネの黙示録のような1つの書の名前ではない。死海文書には旧約聖書正典・外典などに含まれている数多くの書の写本や注釈、クムランの宗教団体の規則を記した書などさまざまなものがある。これらが欧米で今世紀最大の考古学的発見といわれたのは、紀元前後という古い時代の聖書のあり方を知るうえで死海文書が極めて重要なうえ、クムランにあった宗教共同体を知る手がかりになるためである。しかも、エッセネ派の彼らは、聖書に登場するパリサイ派やサドカイ派の人々とは異なる考え方を持っていたようで、最初期のキリスト教と関係があったとか、福音書の中でイエスに洗礼を施したヨハネもこの共同体の出身者だったとか、いろいろな意見がある。
 終末論に関する考え方にも、この共同体の人々は聖書の正典・外典・偽典では見られない部分がある。死海文書の終末として以下に紹介するのは、ユダヤ教文献の描くさまざまな終末の中でも、死海文書にしか見られない部分である。



■死海文書が描く終末の特異性

 クムランの宗教共同体の人々は、初期のキリスト教徒と同じく、終末の時期は差し迫っていると信じていた。また、クムラン共同体が存在した時代はユダヤ・キリスト教世界で終末論が流行した時代でもある。それだけに死海文書の中には終末に関連した内容を持つものは数多く含まれているが、とくに「戦いの書」及び「宗規要覧」と呼ばれている文書などに死海文書独自の内容が含まれている。
 普通、ユダヤ・キリスト教の終末論は次のような流れを持っている。

①神による天地創造
②(直線的な人類の歴史)
③終末の前兆としてさまざまな異変が起こる
④メシアが来臨し、地上の悪の駆逐する(最終戦争)
⑤メシアによる地上の王国(千年王国)の樹立
⑥世界の破滅
⑦死者の復活と最後の審判
⑧彼岸における永遠の王国と新しいエルサレムの誕生

 死海文書が語る内容をこの流れと比べてみると、とくに④、⑤の部分に他の文献にない独自な部分があるといえる。
 例えば、④の最終戦争について、死海文書に含まれる「戦いの書」はそれが40年間も続く戦争であり、しかも数多くの天使たちが武器を持って戦争に参加すると語っている。このことは、本書で取り上げた他の終末文書を見てもわかるように死海文書にしかない内容である。⑤に登場するメシアについても、死海文書の内容は独自である。普通、終末時に義人たちを救済するメシアはただ1人しかいないとされているが、死海文書の中のクムラン共同体に独自な部分では、2人のメシアがやってくるとされているのである。
 この他、この世の歴史全体が神が定めた運命のプログラムに完全に従って動いていると考えていること、ゾロアスター教と同じようにこの世界の存在を善と悪との2元論で捕らえていることなどが、死海文書の独自性だといわれている。クムランの宗教共同体もユダヤ教の一派であって、大きな枠組みとして当時の終末論を受け入れていたことは確かだが、ここに上げた点に関しては、完全に独自な終末論を持っていたわけだ。
 このような部分にスポットを当てて、死海文書の終末論を見てみることにしよう。

■神の作ったプログラムどおりに進む終末までの歴史

 紀元前後のユダヤ教の大きな宗派として、聖書にもしばしば登場するパリサイ派とサドカイ派がある。これらの宗派と、クムラン共同体が属していたエッセネ派では運命に対する考え方に大きな違いがあったといわれている。
 パリサイ派の考えでは、この世に起こるある出来事は確かに神の定めた運命によるものだが、それ以外の出来事は人間の自由な意志によって引き起こされるものだった。サドカイ派の考えでは、人間には運命などというものは存在しないので、この世の出来事は何もかもが、人間の自由な意志によって引き起こされるとされた。
 これに対し、エッセネ派では神の定めた運命というプログラムがすべてを支配しており、人間の経験することすべて、この世の出来事すべてが運命に従って起こると考えられた。したがって、この世に悪が存在するのも、終末時の最終戦争で激しい戦いが繰り広げられるのも、すべて運命の定めであり、神は世界の創造以前からこの世で何が起こるかを知り抜いていたというのである。
 こうした徹底的な運命論に加えて、死海文書の中には、ゾロアスター教にも類似した善と悪との二元論的な考え方が存在していた。もちろん、ここで語られている善と悪の二元論は、完全な二元論ではなく、すべてが唯一の神の計画として存在している二元論だが、このために人間はすべて歴史の終わりに至るまで善の道か悪の道かのどちらかを歩まなければならないのである。クムラン共同体の憲法ともいえる「宗規要覧」という書によれば、善の原因となるのは光の天使であり、悪の原因となるのは闇の天使である。

■光と闇の天使

 創世記でも語られている堕天使の物語は、本書でも取り上げているエチオピア語エノク書 の中でより詳しく語られているが、これらの堕天使たちが闇の天使として、この世に存在するすべての罪や不義や悪を引き起こし、人間に苦難をもたらすのである。これら闇の天使たちは、堕落しなかった光の天使たちとはけっして和解し得ない存在であり、光の天使たちを葬り去るための戦いをやめない。そして、この世が終わるときまで、2つの軍勢は善悪の人間を含めて互いに均衡した勢力を持ち、抗争し続ける。この抗争が最も激しくなるのが、終末の時に勃発する最終戦争なのである。


■終末に勃発する40年戦争──光の軍団VS闇の軍団

 クムラン共同体の人々は、明日にも終末の時が訪れると考えていたといわれている。したがって、善と悪との軍団が決戦をする最終戦争は、西暦1世紀か2世紀頃には起こると考えられていたに違いない。
 普通、この戦いは救世主であるメシアと反メシアの軍勢の間で引き起こされるもので、具体的に期間を記しているものはないが、印象としては比較的短期間で決着を見るものである。しかし、死海文書の語る最終戦争は、光の子(善なる天使と人間)たちと闇の子(悪なる天使と人間)たちの軍団の間で戦われ、驚くことに40年間も続くとされている。
 死海文書の中の「戦いの書」と呼ばれる文書によれば、闇の子の軍団は堕天使ベリアルに率いられており、光の子の軍団には聖書に登場するレビ、ユダ、ベンヤミンなどの子孫が含まれている。そして、最終戦争は次のように展開するという。
 戦いが続く40年の期間中には、ユダヤ教の安息年が5回あるため、計5年間は戦いは中断されるが、残りの35年間は、2つの時期に分けられている。1つは最初の6年間で、この時期には光の子らが軍団に動員される。残りの29年間は戦争の期間だが、この戦争は基本的には軍団をいくつかの軍隊に分けて、各地で行われるのである。光の子らの闇の子らに対する戦争は、イスラエルの宿敵であるエドム人、モアブ人、アンモン人、ペリシテ人などへの攻撃から始まり、エジプト、アッシリア、メソポタミア、ギリシアなどの方面へと拡大していく。
 「戦いの書」には戦闘の方法も記されているが、それはローマ軍の方法を参考にしたものらしい。戦場における軍隊は3列に並んで配置されており、先鋒となる兵士たちが敵の兵列に向かって槍を投げ、兵士たちは敵の心を恐怖させるために大きな鬨の声を上げるのである。こうして、光の子らと闇の子らとの戦いが実際の戦争と同じように繰り広げられるという。
 しかし、この戦争はなかなか決着が付かない。対立する軍団の双方に天使が協力しているため、力が均衡しているからである。戦いの続く40年の間に光の子らは3度優勢になり、闇の子らも3度優勢になる。7度目の決戦において、神の偉大な手が振り下ろされ、闇の子らの軍勢は残る者なく完全に滅ぼされるのである。最後の戦いの時には、軍団の指揮者である大天使ミカエルが大いに活躍するという。
 こうして、悪が滅びた後にメシアの王国が樹立されるのである。

■2人のメシアの出現

 クムランの人々にとっても、メシアの王国が永遠に近い国であり、善が支配する住みやすい国であることは当然だが、死海文書の中には、メシアの国に関しても一風変わった記述がある。それは、普通は1人しかいないはずのメシアが2人存在するということである。
 この2人のメシアは世俗的なメシアと祭司的なメシアだとされている。世俗的なメシアはイスラエル(注1) かダビデ(注2) の系譜を引く者であり、祭司的なメシアはアロン(注3) の系譜を引く者である。この2人のメシアの支配がどのように行われるか詳しいことは不明だが、世俗的なメシアに関しては、正しい裁判を行って、悪人を死刑にしたりするともいわれている。いずれにしても、世俗的なものと祭司的なものが分けられている以上は、これら2つのものは別々に運営されるということだろう。
 メシアの王国が長期間続いた後は、普通はこの世の終末、復活、最後の審判があるとされる。この点に関しては、死海文書の中にも、死者の魂が復活した後に天使たちと一緒に暮らすと解釈できる部分があるといわれている。したがって、メシアの王国以後の終末の出来事は一般的な終末論の流れと同じだといっていいだろう。

(注1:イスラエル)創世記に登場する最初の族長アブラハムの子のヤコブのこと。この頃、ヘブライ民族は荒野で半遊牧生活をしていたが、ヤコブは家族と移動中に闇夜に神と取っ組み合いをし、そのときにイスラエルという名を与えられている。

(注2:ダビデ)イスラエル・ユダ統一国家を建設し、エルサレムを首都としたとされる偉大な王。

(注3:アロン)モーセを助けて、イスラエル人の出エジプトに協力した人物。その後、イスラエルの初代大祭司となり、その子孫が祭司職を独占するようになった。子孫はレビ人と呼ばれた。 

世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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