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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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イオの末裔
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イオの末裔
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第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第二章 直線的歴史と終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末

■エズラ記(ラテン語)の予備知識

 聖書の正典及び外典・偽典の中で、エズラの名が冠されている文書は旧約聖書正典に含まれるエズラ記の他に、エズラ記(ギリシア語)、エズラ記(ラテン語)がある。ここで扱うのは、このうちのエズラ記(ラテン語)である。エズラ記(ラテン語)は一般に旧約聖書外典とされる文書で、現在の聖書では旧約聖書続編に含まれている。
 エズラ記(ラテン語)はもともとは異なる起源を持っていた3つの部分(1~3章、3~14章、15~16章)から構成されている。それぞれの部分は一般に第五エズラ記、第四エズラ記、第六エズラ記といわれる。成立時期は第五エズラ記が紀元2世紀中期、第四エズラ記が紀元100年頃、第六エズラ記が紀元3世紀後半だとされている。いずれの部分も終末に関する記述を持っているが、なかでも第四エズラ記と呼ばれる部分は、ユダヤ教黙示文学の代表的な文書だといわれている。本書で紹介する終末の光景も、第四エズラ記に記述されているものである。
 エズラ記(ラテン語)は、黙示文学には珍しく、預言者エズラの質問に天使ウリエル が応えるという形式で終末について語っている。第四エズラ記も同様で、エズラに現れた幻の中で、エズラとウリエルが質問と応えを繰り返している。この幻は7回現れる。このうち、1~3回の幻で人類全体に関わる宇宙論的な終末が語られ、4~7回の幻ではイスラエルという国家を中心とした観点から終末がとらえられている。
 エズラ記(ラテン語)の語る終末は複雑な内容を持つもので、この世の終末や地上のメシア王国(千年王国)、死者の復活、最後の審判など、終末に必要な要素をすべて供えたものになっている。

■3つの頭の時代の後に終末はやってくる

 第四エズラ記の著者は、終末の時期が差し迫っていると信じている。第四エズラ記が書かれた紀元100年頃はローマ帝国の時代で、ドミティアヌス帝の治世だったが、この治世の終わりにはこの世の終末が来ると信じていたといわれている。このことは、エズラの見た第四の幻の中で語られている。この幻の中では、12の翼と3つの頭を持つ一羽の鷲が登場し、一度はこの世を支配するが、やがてやってきた獅子によって退治されるとされている。ここで、鷲によって表象されているのがローマ帝国で、獅子によって表象されているのが終末の時に来臨するメシアである。天使ウリエルはこの幻に解釈を与え、鷲の時代の最後に3つの頭の時代があるとしているが、この3つの頭は現在では、皇帝ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスだと解釈されている。
 終末の時期が近いことは、他の幻の中でも別な仕方で語られている。最もはっきりと語っているのは第七の幻で、この中で天使ウリエルは、「世は既に若さを失い、老年期に近づいている」といっている。ウリエルによれば、この世の期間は12の時期に分けることができるが、既に9の時期と10の時期の半分が過ぎているという。この世が老年期に入ったという意見は第二の幻でも語られているが、ここでは、この世が老年期になればなるほど生まれてくる人の背丈は小さくなるので、現在生きている人は以前に生まれた人よりも小さく、今後生まれてくる人はさらに小さくなるだろうといっている。

■奇怪なことが起こる終末の前兆

 終末の前兆にはいろいろなものがある。第一の幻では、終末の前にはこの世の悪が頂点を極めることが指摘されている。そのときが来ると社会の秩序は完全に崩壊し、不義が増加するのである。また、不可思議な天変地異が相次ぐという。この天変地異はかなり異様なもので、夜中に太陽が輝いたり、真昼に月が照ったり、木から血が滴ったり、星が軌道から外れたりするという。さらに、この世は人々が望まぬ人物に支配され、鳥や獣までが逃げ出してしまう。大地に深い穴が開いて火が吹き出すとか、淡水であるはずの川や湖の水に塩が混じるということもある。終末の前兆は第二の幻でも描かれており、いろいろと奇怪なことが起こるという点は変わらない。例えば、このときになると、妊婦たちが三、四ヶ月の未熟児を生むが、その子たちは生まれるとすぐから跳ね回る。そして、ラッパの音が響きわたる。普通、ラッパの音は最後の審判を告知するのに使われるが、ここではただ人々を恐怖させるために鳴るのである。ただし、第二の幻では、終末の時になると天に巻物が開かれて、すべてのものがこれを見るとされていることから、終末に続いて、最後の審判があることが予想できるようになっている。いずれにしても、終末の前兆は天変地異や社会不安であり、第三の幻の中でも、地震、人々の争乱、国の不安定などが終末の印になるとしている。

■海上からやってくるメシア

 エズラ記(ラテン語)の描く終末には、様々な終末論の要素が入り込んでおり、全体的に見ると矛盾しているように見えるところもある。エズラ記(ラテン語)では、終末から最後の審判に至る過程は次のようになっている。
 終末の時には様々な天変地異があるが、その後で「天の楽園」が出現する。「天の楽園」は普通の終末論では千年王国の後に出現するものである。その後、メシアが昇天した義人たちを引き連れて出現し、地上に生き残っている人たちのために地上の楽園を樹立する。第六の幻によれば、メシアは海からやってくる。海から風が起こり、潮が逆巻き、人の姿をしたメシアが天の雲とともに飛んで来るのだという。終末が近づいたとき、地上では国同士が争ったり、町同士が争ったり、大きな混乱が起きているが、メシアが登場すると、混乱した人々はメシアに対して戦いを挑む。が、メシアは刃向かってきた人々を滅ぼしてしまうという。

■数少ない楽園への切符

 メシアの樹立する地上の楽園は、いわゆる千年王国のことだと考えられるが、この王国は400年間続くとされる。それから、メシアも含め、地上に生きていた者たちのすべてが死に、7日の間、この世は太古の昔と同じように静寂になる。7日間が過ぎた後で、大地の中から死者たちの復活が起こる。また、黄泉の国からも死者たちが復活する。最後に神が裁きの座に出現し、復活した死者たちに対して最後の審判を行う。裁きの場には、地獄や天の楽園も出現し、死者たちを待ち受けるのである。
 最後の審判に際しての神の裁きは非常に厳しいものだとされている。エズラは幻の中で、天使ウリエルに向かって、地上には不敬虔な人間ばかりいるので、最後の審判によって生き延びるものはごくわずかしかいないだろうことを訴え、義人たちがそのような人々のために執りなしをしたり、神にお願いしたりすることができるかどうか尋ねている。これに対し、天使ウリエルは、最後の審判に際しては、本人に代わって誰か他の人が許しを請うようなことはできず、人間はみな個人の責任を負う以外にないと応えている。また、神はこの世を大勢の人間のために創ったが、天の楽園はわずかの人のために創ったのだとして、少数の人だけが天の楽園に行くことができ、その他の人々は地獄に堕ちるしかないことを暗示している。

■個人的な死後の霊の運命

 終末論には社会秩序が宇宙規模で更新される人類史的終末論と、個人の死後の魂の運命を扱った個人主義的終末論があるが、エズラ書(ラテン語)には人類史的終末の他に、個人主義的終末について語った部分もある。これはエズラに現れた第三の幻の中で語られている。
 これによると、死後の人間の魂の運命は大きく分けて2通りある。1つは、その人が生きている間に神を敬わず、憎んでいた場合の道で、魂は7つの道をさまよいながら苦しみの中で、嘆き悲しみ続けなければならないという。もう1つは神の道を守って生きた人の魂の場合で、魂は7つの段階を経て、自分たちの幸福を確信しつつ、神の元へ帰っていくことができるのだという。
 これら2通りの道に入った者たちは、それぞれの道を進んでいる間、別な道を進んでいるものの姿を見ることになる。つまり、不幸な者たちは幸福な者たちを、幸福な者たちは不幸な者たちを見るのである。そうすることで、自分たちの不幸や幸福をより一層実感することになるというのである。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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