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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。





第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第二章 直線的歴史と終末
マラキ書が描く終末

■マラキ書の基礎知識

 マラキ書は旧約聖書正典の最後に置かれている一書である。
 題名にある「マラキ」には、「私の使者」という意味もあり、マラキという人物がいたのではないと考える学者が現在は多いという。後代の編集者が「マラキ」を固有名詞と考え、その名の預言者がいたと誤解したことから、マラキ書という題名がつけられたのである。
 旧約聖書の黙示文書としては最も古いとされるダニエル書は紀元前2世紀に書かれたといわれるが、これ以前に書かれたものにも、終末の日の最後の審判やメシア(救世主)の来臨について触れているものは多い。マラキ書もそのような旧約文書で、成立したのは前450年頃だといわれている。
 この時代はイスラエルが衰退した時代であり、凶作や困窮のために宗教的情熱も衰えていた。モーセの律法に書かれた規則を破る者たちも多くなっていた。このようなときに神の命を受けた預言者マラキが、人々に向かって神のメッセージを伝えるというのが本書のテーマである。
 ところで、ここで黙示文書ではないマラキ書を取り上げるのは、この書の中で、終末の日にメシアに先立って地上にやってくる者として預言者エリヤの名が挙げられているからである。このため、マラキ書以降は、メシアに先立ってエリヤの再来とされる預言者が出現するといわれるようになり、この思想は新約の時代にも影響を与えた。
 新約の福音書では、イエスの前にバプテスマのヨハネという預言者が登場するが、この人物こそエリヤの再来であり、初代教会の人々はこれによって旧約聖書の預言が成就されたと考えたのである。
 捕囚以降に書かれた旧約の預言書には、メシアの到来を熱烈に待望するものが多いが、そのような預言書の中にあって、新約の思想と強いつながりを持つのがここで紹介するマラキ書なのである。

■準備のためにやってくるメシアの先駆者

 マラキ書の中には、信仰の衰えた人々に対するさまざまな忠告や警告が記されており、その後で終末時の出来事が語られているが、終末に至るまでの段階は少しも記されていない。
 マラキ書によれば、神の使いであるメシアは突然、神殿に出現し、地上に恐ろしい出来事をもたらすのである。この出来事は当然、神を敬わない者たちや異教徒たちにもたらされるわけだが、信仰心が衰退していた当時の状況からすると、地上はほとんど滅亡することになってしまう。そこで、イスラエルの民を愛する神は、まず初めにメシアの先駆者として預言者エリヤを地上に送るというのである。
 この部分はマラキ書では次のように記されている。

  見よ、
  ヤーウェの大いなる恐ろしい日が来る前に、
  わたしは預言者エリヤを遣わす。
  彼は父の心を子に向け、子の心をその父に向けさせる。
  わたしが来て、地を呪いで滅亡させることのないためである。

(聖書 原文校訂による口語訳 ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書、哀歌、バルク書、エレミヤの手紙(フランシスコ会聖書研究所訳注/中央出版社)より)

 これからもわかるように、先駆者エリヤの仕事は終末の準備を整えることにあり、それは人々の心を刷新し、神に向けさせるということである。
 こうして先駆者エリヤがやってきた後に、真のメシアがやってくるわけだが、その到来はとても恐ろしいものとされている。

■終末の日には誰も耐えられない

 終末の日がいかに恐ろしいものかは、メシアの来る日には誰も耐えられず、誰も立っていられないと記されていることからはっきりとわかる。マラキ書によれば、メシアは精錬する火であり、布を洗う灰汁(あく)のようだという。ここで、火といっているのは、焼き尽くし清めるものとしての火である。人々が火で焼かれるというと、いかにも地獄の責め苦のようだが、それは単なる責め苦ではなく、人々を清めるためのものである。したがって、人々は火や灰汁によって金や銀のように純化され、神を信仰するようになるのである。
 しかし、悪しき者たちへの裁きは確実に行われる。悪しき者の例としては、魔術を行う者、姦淫する者、偽りの誓いをたてる者、不正な賃金で異国の者や未亡人や孤児を圧迫する者などが上げられている。
 こうして最後の裁きが行われることで、正しい者と悪人の違いがはっきりわかるようになるという。この裁きによって、悪人たちはみな、まるで藁のように燃え上がってしまうからである。この火は悪人たちを完全に燃やし尽くすので、根も枝も残らないという。
 これに対して、信仰ある者は優遇される。これらの人々には正義の太陽が輝き、彼らは喜びに満ちて飛び跳ねる。しかも、彼らは飛び跳ねながら悪人を踏みつけ、悪人たちは彼らの足の下でまるで灰のようになってしまうのである。
 このように、最終的にイスラエルの全国民が救われるのではなく、一部のよい者だけが救われ、悪い者たちは滅びるという考えは、バビロン捕囚以降に登場した新しい考えだといわれている。
 審判にあっては、神はすべてを知っているので間違えることはあり得ないが、「記録の書」という特別の書を利用するらしい。これは、閻魔帳のように人々すべての善行悪行を書き記した書である。マラキ書では、この書を神が審判の場面で使うとは記されていない。が、マラキが人々に預言するときに神がそれを聞いており、人々の中で神を敬っている者がいれば、その人のことがこの書に記録されたという場面があるからである。
 審判の後にどのような世界が訪れるかについては、マラキ書はとくに語っていない。が、悪人は滅びてしまうことから、その後は善人だけの暮らしやすい世界が実現されることは確かだろう。

■福音書にも登場するエリヤ

 マラキ書は旧約聖書の最後に置かれた書であり、預言者エリヤがメシアの先駆者としてやってくるという思想を新約の時代へともたらしたわけだが、この思想は福音書の中にはっきりと語られている。
 例えば、マタイの福音書(17.10-13)には次のように記されている。

 彼ら(イエスの弟子たち)はイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだといっているのでしょうか」と尋ねた。イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来てすべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤはすでに来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのある。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。 (聖書・新共同訳(日本聖書教会))

 こうして、メシアであるイエスが人の子として登場する前に、エリヤは再来したわけだが、メシアイエスが世の終わりに再臨する際にも先駆者としてエリヤがやってくるといわれている。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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