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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第二章 直線的歴史と終末
シビュラの託宣が描く終末

■シビュラの託宣の予備知識

 シビュラの託宣は新約聖書外典の1つである。「シビュラ」というのは古代のギリシアやローマで尊敬されていた伝説的な巫女の名で、恍惚状態で未来のことを語ったりする女性予言者である。ギリシアのデルポイにいたというシビュラやイタリアのキュメにいたというシビュラがとくに有名である。ギリシアやローマの人々の間ではシビュラの名はとりわけ知名度が高く、影響力の強い存在だったので、古い時代にはシビュラの名を使った予言集がしばしば編さんされたという。シビュラの託宣もそのような予言書の1つで、ユダヤ教・キリスト教とはまったく関係のないシビュラの名を借りて、ユダヤ・キリスト教的な終末予言を行ったものである。このため、シビュラの託宣の文学形式は、古くからあったシビュラの予言集の形式を踏襲しているといわれる。この形式は、恍惚状態になったシビュラが語った事柄をそのまま写すというものなので、全編がかなり激しい語り口になっている。一例を挙げれば、「うなじの高い堂々としたローマよ。お前にもいつか、天から同じ落雷が落ち、だれよりも早くお前はうなだれるであろう。」(第8巻37-38) (聖書外典偽典6新約聖書外典Ⅰ(教文館/佐竹 明 訳)より引用)という具合で、ときとして呪いの言葉を叫んでいるような印象さえある。
 しかし、シビュラの託宣は1人の人間によって書かれたのではないといわれている。シビュラの託宣は本来は15巻からなり、1~8巻と11~14巻が伝えられている。このうち3~5巻はユダヤ教的な文献で、巻によって紀元前140頃に書かれたものや後120年頃に書かれたものがあるという。残りの部分はキリスト教的だが、これらは2世紀中葉以降の数十年間に、各巻独立に成立したと考えられている。
 そんなわけで、シビュラの託宣全体にはとくに物語的なまとまりはなく、繰り返しも矛盾も多い。以下に述べるのは、シビュラの託宣の中でも印象的な部分をテーマごとにまとめたものである。

■終末が訪れる時期

 終末が訪れるのはローマ帝国の時代である。ユダヤ教・キリスト教の黙示文学では、地上で最後の王国となるのは基本的にローマ帝国とされているが、シビュラの託宣もそのことに変わりはない。ローマ帝国時代のどの時期であるかははっきりしない。3巻では「ローマがエジプトを支配するとき」メシアが来臨し、「三人の人が悲しむべき運命を持ってローマを破滅させる」とされている。ここで「三人の人」といっているのは、紀元前43年に始まった第2次三頭政治を指すといわれている。また、ローマのエジプト支配というのは紀元前30年にオクタウィアヌスがエジプトを征服したことを指すと考えられる。もしそうだとすると、紀元前1世紀には世界が終わることになる。が、第7巻や8巻ではネロ皇帝(在位54~68年)やハドリアヌス皇帝(在位117~138年)も登場する。そんなわけで、世界の終末が訪れる時期を正確に特定することはできないが、おおざっぱにローマ帝国時代のいつかということはできるだろう。
 シビュラの託宣第3巻によれば、地上に登場した最初の王国はエジプトで、それからペルシア、メディア、エチオピア、アッシリア、バビロン、マケドニアと続き、再びエジプトの時代が来た後で、ローマの時代になる。こうして、この世は終末を迎えるのである。

■終末時代に滅びていく都市や国家

 この世の終末は世界的な大事件なので、当然世界の各地で終末の徴である異変が起こるが、シビュラの託宣では、都市や国家を直接に名指しして、その地を襲う不幸を繰り返し語っている。それによると、各地を襲う不幸はおよそ次のようなものである。
バビロン 国中が血で満たされる。
エジプト 国内で権力闘争が起き、離散と死と飢饉に襲われる。
ゴグとマゴグ 多くの黙示文学の中で、メシアに反逆する最後の国とされているが、シビュラの託宣ではこれらの国はエチオピアの川の中央にあるとされている。終末時にはどす黒い血に満たされ、裁きが住むところと呼ばれるという。
リビア 戦争が起こり、悪鬼たちが出没するようになる。さらに、飢饉と疫病が起こり、一人残らず滅びてしまう。
フリュギア 激しい地震が起こり、城壁が倒れる。
ビザンティウム 戦争が起こり、人々がうめき、血を流す。
キプロス 激しい地震で峡谷は崩れ、人々が死ぬ。
キュルノス(コルシカ島)・サルディニア 冬の嵐と神の打擲(地震か?)によって、海の底に沈んでしまう。
シチリア 火山の爆発で焼き尽くされる。
ラオデキア 大洪水が起こって町を洗い流す。

 シビュラの託宣では、この他にも多くの都市や国の不幸を上げているが、それらの土地もここに上げたような不幸に襲われるのである。

■終末の到来を予言する徴の数々

 世界中の都市や国を襲う不幸は、もちろん終末の徴といえるものだが、シビュラの託宣では都市や国家とは関係のない徴についても述べられている。
 最もはっきりとわかる徴には、空に輝く冠に似た星がある。この星は終末が近づいたとき空に出現し、数日間地上を照らすとされている。すると、信仰のある人々には、これが終末の徴だということがわかるので、彼らはみな日頃の行いに気をつけ、神に選ばれるように努力し始めるとされている。しかし、悪い徴も多い。終末が近づいたとき、戦争や飢饉や疫病が人々を襲うというのはありきたりだが、この時期になると子供たちは生まれたときから白髪をしているという。飢饉のためかも知れないが、各地で子供たちが両親を食べるという痛ましい出来事も起こる。最後には、女たちはもう子供を生まなくなってしまい、そうなったときには本当に終末も近いのだという。この頃には、地上に多くの偽預言者が出現し、さまざまな予言で人々を惑わす。ベリアルという悪魔もやってきて、人々にいろいろな徴を見せるという。しかし、たとえこのような時期が来ても、地上で生きている信仰心のない者たちの多くは、それが終末の徴だと悟ることはないとされている。

■わらを食うライオン

 この世の終末の徴となる数々の不幸によって地上が混乱しているときに、天からメシアが降りてきて、地上に幸福な王国を建設することになるわけだが、シビュラの託宣によれば、メシアが登場してからも、地上に完全な平和が訪れるまでにはいくつかの紆余曲折があるらしい。
 東から地上にやってきたメシアは、不信心者や悪しき権力者を殺すことで地上の戦争を終結させる。これによって、地上に平和が回復し、大地も海も豊かになる。ところが、こうして世界が豊かになると、地上の王たちの間に互いを妬む心が芽生え、より豊かな土地を奪うために、無意味な争いが起こってしまうのである。この争いを静めるために、神は天から火の剣を降らす。それから、硫黄や石の嵐を巻き起こす。このような恐ろしい出来事によって、地上の悪は今度こそ壊滅し、地上においてメシアの支配する幸福な永遠の王国が樹立されるのである。
 この王国はこの上なく豊かで善良な世界である。地上からあらゆる争いは消えてしまうし、大地は豊かで穀物は無尽蔵に実り、泉から白く甘い乳が吹き出す。果樹、果実、肥えた羊、牛、山羊などは天から与えられる。争いがないのは人間の間だけではなく、凶暴な動物までがおとなしくなってしまう。肉食であるはずのライオンがわらを喰うようになり、マムシが人間に害をくわえることもなくなるのである。

■静寂に戻る世界

 メシアの王国は永遠といえるほど長く続くが、それでもいつかはその時代は終わり、この世の終末がやってくる。
 この終末は宇宙的規模の終末なので、当然のように宇宙的規模の破滅が起こることになるが、シビュラの託宣はこの出来事についても詳しく語っている。
 それによれば、終末の日になると、空の雲の中に歩兵や騎兵が出現して激しい戦争が起こり、宇宙のすべてが黒い霧に覆われてしまう。ヨハネの黙示録にあるように、この日に天使のラッパが鳴り響くという記述もある。それから、おそらくは溶鉱炉で燃えているどろどろの鉄のような燃える火の川が空から地上に降り注いできて、大地も海も川も何もかも滅ぼしてしまうのである。しかし、これでも破壊は終わらない。この日に起こる破壊は徹底的なもので、この世のすべてが消えるまで続く。つまり、空気、大地、海、火といった要素的なものまでが最後には消え失せてしまうのである。世界は完全な無秩序になり、どんな物音も聞こえなくなる。こうして、古い世界はなんの痕跡もなく消え失せてしまうのである。

■冥府の門を開けて死者を復活させる天使ウリエル

 世界に完全な終末が訪れたとき、最後の審判を受けるためにすべての死者たちが復活する。シビュラの託宣には、このときに活躍する天使たちとして、バラキエル、ラミエル、ウリエル、サミエル、アザエルの名が挙げられている。なかでも最も大きな活躍をするのはウリエルで、この天使が絶対に開くことのない黄泉の扉の鋼の巨大なかんぬきを壊し、死者たちを復活させるのである。それから、他の天使たちも一緒になって、死者たちを神の前に連れていくのだという。死者が復活するときには、神によって、死者たちが生前に持っていた魂、息、すべての関節、骨、肉、腱、血管、皮膚、前髪などが与えられる。したがって、死者は生前と同じ姿で復活することになる。
 シビュラの託宣は古代のギリシアやローマの人々を読者として書かれているだけに、黄泉から復活するものの中に、ティタンやギガス といったギリシア神話に登場する神や怪物の名も上げられている。
 最後の審判は悪人ばかりでなく、善人や義人を含めたすべての人間が受けるものなので、復活して神の前に連れて行かれるものの中には、旧約聖書に登場する偉大な人々の名も含まれている。それは、モーセ、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨシュア、ダニエル、エリヤ、ハバクク、ヨナといった人々である。
 このようにして、すべての死者が復活し、神の前に連れて行かれ、そこで最後の審判が行われるのである。

■3倍にもふくれあがる悪行

 終末に起こる最も重要な出来事である最後の審判は神とメシアであるキリストの前で行われる。神が玉座に着くと、その右側にキリストが座し、その背後に多くの天使たちが控える。
 この審判によって悪人たちは永遠の地獄に、善人たちは永遠の天国に送られるというのは当然のことだが、シビュラの託宣には地獄に送られる人間の種類について具体的にたくさんの例が挙げられている。その人間とは、以前に悪事を行ったもの、殺人を犯したもの、犯罪を知っていたもの、嘘つき、泥棒、道楽者、寄食者、姦通者、悪い噂をたてるもの、乱暴者、無法者、偶像崇拝者、神をなおざりにしたもの、涜神の徒となったもの、敬虔なものから略奪したもの、長老や執事でありながら不正な裁判を行ったもの、尊大なもの、高利貸し、などなどとなっている。こうした者たちが、最後の審判によって地獄に送られるのである。彼らを地獄へと運ぶのはやはり天使の仕事で、このとき天使たちは炎を放つ鞭と火の鎖を持ち、罪人たちを壊れることのない枷でしっかりとしめつけて、真夜中に地獄に投げ込むのだという。そして、地獄に堕ちた者たちは、火で焼かれたり、渇きや暴力で罰を与えられ、自分たちの行った悪行の3倍分も苦しむことになるのである。
 これに対して、善人たちが赴く天国は苦しみのない場所で、酒、蜜、乳に溢れた場所だとされている。そこでは財産も共有なので、土地を区切る柵もなく、貧乏人も裕福な人も、身分の高低もなくなっている。結婚とか死も存在せず、売ったり買ったりもない。一日は十分に長いので、日の入りも日の出もなく、どういうわけか春夏秋冬という季節も存在しないという。こうして、人々は何の心配事もなく幸福に生きるらしい。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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