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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第三章 異教の終末文書
パウロの黙示録に描かれた終末

■パウロの黙示録の基礎知識

 パウロの黙示録は新約聖書偽典の1つで、西暦400年頃に書かれたといわれている。題名にあるパウロは新約聖書に収められているローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙などで有名なキリストの使徒の1人である。このパウロが書いたコリントの信徒への手紙二第12章に、ある人物が第三天に引き上げられ、人が口にするのを許されないことを聞いたという逸話が紹介されている。パウロの黙示録は、その人物がパウロだという前提のもとに、パウロが第三天で受けた啓示の中から、語ることを許されている部分を語るという形式で記されたものだといわれる。ただし、パウロの黙示録はパウロよりもはるか後代に書かれたもので、題名にパウロの名はあるが、思想的にはパウロとは関係ないといわれている。
 黙示録という題名から、この書の中に神の啓示が書かれていることはわかるが、その内容は基本的には人間の魂の死後の運命に関することである。宇宙的な規模でのこの世の終末や最後の審判などに関しては、前提とされてはいるが、大きなテーマとしては、この書では扱われていない。したがって、この書は終末論の中でもとくに個人的なものを扱っているといえる。
 キリスト教では、人間の魂は死後に神の審判を受けて、善人は天国へ、悪人は地獄へ赴くとされている。パウロの黙示録の内容も基本的な部分ではその線に沿っている。しかし、出来事の記述はとても詳しいものになっており、この書の内容は中世ヨーロッパの地獄や天国観に多大な影響を与え、ダンテの『神曲』にもその影響が見て取れるほどである。また、死後の審判や天国・地獄の様子は、最後の審判や終末後の天国や地獄を想像するうえで、とても役立つと思える。

■太陽や月や天使が人間の罪を訴える

 最後の審判であれ、死後の審判であれ、そこで裁かれるのは、個々の人間が生きている間に行った行為や考え方である。したがって、1人1人の人間が生きている間にしたことを正確に知ることがとても重要なことになる。仏教において冥界の神とされる閻魔大王が、人間の生前の行動を映し出す浄玻璃の鏡や生前の行動のすべてが記された閻魔帳を利用して死者の裁判を行うことを知っている人は多いだろう。このことはキリスト教でも同じことだ。
 では、キリスト教の神はどのようにして人間の行動を知るのだろう。パウロの黙示録によれば、裁判に必要となるこれらの情報は、毎日欠かさず神に報告されているのだという。
 情報を持ってくるのは基本的には天使たちだとされている。地上に生きている人間たちは、それぞれが1人の守護天使を持っている。これらの天使たちが、自分の担当する人間の行動をすべて観察し、それを神に報告するのである。報告は1日2回、朝と夜に行われる。したがって、その時刻になると数多くの守護天使たちが神の前に集まってくるという。
 しかし、パウロは第三天において、太陽や月、星、海、大地といった、自然のものたちまでが人間の悪を神に報告しているところを目撃している。そのとき、これらの自然の物体いたちは、最近の人間たちがあまりにひどいことばかりするので耐えられないといって、神に泣きついているところで、神はこれに対して、人間たちが改悛しなかったときには必ず彼らを罰すると約束したとされている。
 こんなふうにして、人間の行動は何から何まで、神の知るところとなるのである。

■死後の魂の運命と審判

 人間の行動が毎日神に報告されている以上、その人間が善人であるか悪人であるかによって、死後の魂の運命が異なるのは当然といえる。パウロは自分自身の希望で、人間の魂がどのようにして身体を去るかを見せてもらうが、このときパウロの目には次のような光景がはっきりと見えたという。
 まず、善人が死のうとしているときには、死ぬ直前にその人が生前に行ったよい行いや計画がすべてその人の前に浮かび上がる。このイメージは地上にいる人間には見えないかも知れないが、天にいるパウロにははっきりと見ることができた。それから、その人が世を去るよりも前に、聖なる天使たちと不敬虔な天使たちがその人を訪れた。これらの天使たちは死者の魂の案内人といえる存在だが、その人が義人である場合には、不敬虔な天使たちはその身体の中に棲むべき場所を見つけることができず、聖なる天使たちがその魂を支配するのである。聖なる天使たちは魂を元気づけながら、天に昇っていく。この世の終末時に起こる復活の時には、魂は生きていたときと同じ身体で復活するので、天使たちは死者の魂に向かって、自分が出てきた身体をよく覚えておくようにと注意したりする。この後、天において神の裁きが下されるが、神は義人の魂を契約の天使ミカエルにゆだねて天国へと進ませるのである。このときには何百万の天使たち、ケルビムたち、24人の長老たちが、神を讃える歌を歌う。
 これに対して不敬虔だった人が死のうとすると、死ぬ直前にその人が生きている間に行った悪行の数々がその前に浮かび上がり、魂は邪悪な天使たちに支配されてしまう。そして、魂は不安のうちに天に赴き、自分自身が信じたことのない神を目撃し、罰を司る天使タルタルクスにゆだねられて地獄へ送られるのである。パウロはさらにもう1人の不敬虔なものの魂がやってくるのを見たが、その魂は神の前で自分は罪を犯したことがないと嘘をついた。が、罪人の魂に付き添っていた天使は罪人のすべての罪を記した1冊の記録簿を持っており、罪人の嘘は暴かれて結局は地獄送りになってしまったという。

■天の世界とキリストの都

 死後の審判を見た後、パウロは天使たちの案内で、第三天の天国や第二天を訪れている。
 それによると、第三天の天国には金の門があり、金の文字がいっぱいに書き記されているという。その門を入ったところで、パウロは旧約聖書の聖人として有名なエノクとエリヤに会い、天国に入るものの数がとても少ないことを教えられている。パウロはこの場所でもっと多くのことを見たようだが、それは人間には語ってはいけないことだという。
 第二天には、1本の川があり乳と蜜とが流れており、その川岸には一年に12回もいろいろな種類の実をつける木がたくさんあるという。
 その後、天使はパウロをキリストの都へ案内するが、それはアケロン湖の中にあるとされている。パウロが金の船に乗ってキリストの都に入ろうとすると、3000の天使が賛美歌を歌う。
 キリストの都は大きく、壁や塔や門がそれぞれ12あるとされている。また、都の周りに蜜の川ピソン、乳の川ユフラテ、オリーブ油の川ギボン、ぶどう酒の川ティグリスという4つの川がある。天使によれば、義人たちは生きている間にこれらのものを自由にせず、みずからを苦しめていたので、天国に来てからはそれらのものを豊富に与えられるのだという。
 キリストの都の入口の前には実のない葉ばかりの木が何本もあり、何人かの人々が都に入ることを許されずに泣きわめいていたが、これらの人々は生きている間熱心に断食をしたが、高慢であって隣人のためには何もしなかった人々だった。また、それらの木々はそこにいる人々の代わりに悔い改めるように何度となく繰り返し身をかがめた。
 都の中に入ったパウロはまず初めに蜜の川に案内され、そこでイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、アモス、ミカ、ゼカリヤなどの予言者に会った。次に乳の川に案内され、ヘデロ王に殺されたすべての子どもたちを見た。都の北側にあるぶどう酒の川のそばでは、アブラハム、イサク、ヤコブ、ロト、ヨブなどの生者を見た。都の東側にあるオリーブ油の川のほとりでは、賛美歌を歌っている人々を見た。それからパウロは都市の中心に案内されたが、そこにはひときわ高い祭壇があり、人々がハレルヤを歌っていたとされている。

■罪人の落ちる地獄と刑罰

 天国やキリストの都を見たパウロが、次に案内されたのが地獄だった。
 この地獄は世界を取り巻く海洋の外側にあるとされている。その海洋の外まで来たとき、パウロは火の川が煮えたぎっているのを見るが、そこが地獄の入口のような場所で、中途半端な信仰を持っていた人々が罰せられていたという。
 火の川は北の方に流れていくつもの深い穴に注いでいたが、それらの穴はとてつもなく深く、その中で数多くの罪深い男女が罰せられている。天使の説明では、地獄には限りがなく、その穴の底にはさらに下界があるということだった。その深さは、魂がその中に投げ込まれても、500年たっても底には届かない距離である。
 その穴の中にはいろいろな刑罰がある。ある男は三叉の鉄の棒を持った地獄の天使たちに首を絞められ、鉄の棒で内臓をえぐられている。別な場所では4人の天使たちが老人を火の中に沈め、石を投げつけている。口や鼻の中からうじ虫が這い出している人もいるし、別な人は天使の持つ火の鋏で唇と舌を裂かれているのである。
 別な場所にある穴の中では数多くの男と女がうじ虫に喰われている。手足を切られて氷と雪の中に裸で苦しめられているものもいる。ソドムとゴモラで涜神行為を行ったとされる者たちはピッチと硫黄の穴の中で苦しんでいる。火の尖塔の上では男や女たちが獣に引き裂かれている。
 しかし、これらの罰も地獄の中ではまだまだ軽い方だった。天使はパウロをさらに北の方にある7つの封印で封をされた泉に案内したが、天使の命令で泉の口が開くと、その中にはこれまでのものよりも7倍も大きな罰を与える地獄があった。パウロはその中には入らなかったが、内部は悪臭に満ち、あらゆる部分が燃え上がっているのを目撃した。これはパウロの見た地獄の中でも最悪の場所だったが、天使によれば、そこに落ちているのはキリストが肉でできていることや処女マリアが彼を生んだことを告白しなかった者たちだという。
 このとき、パウロがその場所から西の方を見たが、そこには雪と氷の中で凍え苦しんでいる男や女たちがおり、2つの頭を持つ巨大なうじ虫が這い回っていた。
 こうして地獄を見物したパウロは、再び天国に戻ると、そこでアブラハム、ヨセフ、モーセ、イザヤなど数多くの聖人と会話を交わした。それによって信仰の重要さ再確認した後、この世に戻ったのである。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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