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フランボワイヤン・ワールド
世界の終わりの話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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第二部 神話・終末文書に描かれた終末
第二章 直線的歴史と終末
「ヨハネの黙示録」の描く終末

■「ヨハネの黙示録」の予備知識

 新約聖書の一番最後に置かれている「ヨハネの黙示録」は、ユダヤ教・キリスト教の黙示文学の中でも、後の時代に対して最も大きな影響力を持った書物である。その影響力は現在にも及んでいる。1986年にロシアのチェルノブイリ原発事故が起こったときにも、本書は話題になった。“チェルノブイリ”はロシア語で“苦(にが)よもぎ”という意味だが、本書の中にも“苦よもぎ”が登場し、そのために多くの人が死んだと記されているためだった。 もちろん、黙示録の著者がチェルノブイリ原発事故を予言したと考えるのは不可能だが、そのような読まれ方をすることにも、本書の影響力を見て取ることができる。
 多くの黙示文学がその時代の状況に対する抵抗文学として書かれているが、本書もまた同様の性格を持っている。本書が書かれたのは小アジアのどこかで、ローマ帝国のドミティアヌス治世(紀元81~96年)の紀元95年頃だとされている。この時代は悪名高いネロ皇帝の時代(54~68年)と同じく、キリスト教徒にとって過酷な時代だった。このような時代に際して、近づいている世界の終末と完成を預言することで、大きな危険にさらされているキリスト教徒たちを激励するのが本書の目的だった。
 本書の内容は、小アジアにあった7つのキリスト教会へ向けた激励の手紙と、ヨハネの見た幻視から構成されており、この幻視の中で終末の光景が語られている。ここでヨハネが語る終末の特徴は、当時流行していた千年王国の思想が強く打ち出されているということである。千年王国は、メシアの来臨によって樹立される地上の王国である。したがって、ヨハネの語る終末の中には、世界の終末が2度訪れることになる。最初の終末時には世界が滅び、メシアが来臨して、幸福な千年王国を樹立する。千年の後、一時的に投獄されていたサタンが復活し、最後の決戦を行うが、これによってサタンは滅び、最終的な終末が訪れる。その後、最後の審判が行われ、まったく新しい天地が出現して、永遠の世界が続くことになるのである。このような内容を、象徴的な表現を多用し、細かく描いたのがヨハネの黙示録なのである。
 本書の著者とされているヨハネという人物については、3世紀頃の古代教会においては、イエスの弟子であるヨハネ(「ヨハネの福音書」の著者であるヨハネ)と同一人物だと考えられたらしい。しかし、この考えについては、当時から異議が申し立てられており、現在では全くの別人だというのが通説になっている。


■終末を司る天上界の様子

 終末に関するヨハネの幻視は、ヨハネ自身が霊に満たされて天上界に昇る場面から始まっている。この天上界は終末を司る司令本部のような場所で、ここから発せられる一種の命令によって、終末がもたらされるのである。
 この天上界は神を中心に構成されている。神は玉座に座っており、宝石のように光輝いているとされているが姿については語られていない。玉座の周囲には24の座があり、24人の長老たちが座っている。神のいる玉座の周りはいかにも厳めしい感じで、玉座から稲妻や雷が起こったりするうえ、不可思議な4つの生き物がいる。どれも6つの翼があり、前にも後ろにも翼にも一面に目のある生き物で、それぞれ獅子のよう、若い雄牛のよう、人間のよう、鷲のような姿をしている。これらの生き物は絶えず神をたたえる言葉を発している。
 間もなく、24人の長老たちも神をたたえる言葉を発するが、ほとんど同時に、ヨハネは神の手に巻物があるのを見る。これは終末をもたらす特別な巻物で、7つの封印 がしてあり、これらの封印の1つを開くごとに、終末に関する出来事が発生する仕組みになっている。このため、この巻物に何が書いてあるかは不明だが、これから起ころうとしている終末のプログラムではないかという意見もある。

■7つの角、7つの目のイエス

 ここで、この巻物を開くために登場するのがメシアとしてのイエスである。ただし、この場面でのイエスは“屠られたような小羊”と記されており、7つの角と7つの目を持っているとされている。この小羊によって7つの封印が開かれ、終末の出来事がもたらされるのである。
 ところで、ヨハネの黙示録では、終末にまつわる出来事は大きく3つの相から描かれている。1つは、ここで登場した7つの封印によってもたらされるもの、1つは7人の天使のラッパの音によってもたらされるもの、1つは7人の天使の持った金の鉢に盛られた神の怒りからもたらされるものである。これら3つの相から描かれた終末の出来事は、文字で書かれているという制約上、黙示録では、時間を追って3度、終末の出来事が繰り返されるという印象を与える。しかし、実際は終末の出来事が3度繰り返されるのではなく、1度しか起こらない終末の出来事を、3つの視点から描き分けたものだといわれている。これらの視点は、天界における出来事と地上における出来事というふうに分けることができる。

■解かれゆく封印

 7つの封印によってもたらされる終末は、このうちの天界から見られた終末で、それは次のような内容になっている。第一から第四の封印では、1つ開くごとに玉座の周りの4つの生き物の1つが「出て来い」といい、1頭の馬とそれに乗った者が出現する。最初に登場するのは白い馬と弓を持った者で、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出ていくという。次には赤い馬と剣を持った者が登場するが、これには地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられる。三番目は黒い馬と秤を持った者が出現する。四番目は青白い馬と「死」という名を持つ者で、よみ陰府を従えており、剣と飢饉と死と地上の野獣によって人間を滅ぼす権威が与えられている。さらに、小羊が第五の封印を開くと、かつて殺された殉教者たちが祭壇の下に出現する。これらの殉教者たちは、できるだけ早く地上に神の裁きが下ることを望むが、殉教者の数が十分な数になるまで待っているようにと告げられる。そのときには終末が訪れ、神の国が樹立されるというのである。第六の封印が開かれると、このとき初めて天変地異が起こる。大地震が起き、太陽も月も暗くなり、天の星が地上に落ちる。そして、地上の人々は恐怖におののくのである。最後に第七の封印が開かれると、それぞれにラッパを持った7人の天使が登場する。これらの天使の登場によって、黙示録の記述は地上における終末の出来事の描写を開始するのである。

■合図を知らせる7人の天使

 神が手にした巻物の7つの封印を開くことでもたらされた終末の出来事の後で、黙示録は天使のラッパと金の鉢によってもたらされる終末の出来事を描くが、ここで描かれているのが地上における終末の詳細である。
 巻物の第七の封印が開かれたときに登場した7人の天使は、それぞれラッパを吹くことで次のような出来事をもたらす。第一の天使がラッパを吹くと、血の混じった雹と火が地上に降り注ぎ、地上の三分の一と木々の三分の一と、すべての青草が焼けてしまう。第二の天使のラッパでは、巨大な山のような火の固まりが海の中に落ち、海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、すべての船の三分の一が壊される。第三のラッパが鳴ると、「苦よもぎ」という名の巨大な彗星がすべての川の三分の一とその水源の上に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ。第四のラッパが鳴ると、太陽の三分の一、月の三分の一、空の星の三分の一が壊れ、その分だけ昼も夜も暗くなってしまう。第五のラッパでは、1つの星が地上に落ちてきて、底なしの淵まで通じる穴を開けてしまう。この星は天使のことであり、底なしの淵は陰府のことだといわれる。こうして大きな災いが起こる。穴の中から煙が吹き出し、空を暗くし、さらには煙からいなごの大群が出現し、神に選ばれた人々を苦しめる。これらのいなごはアバドンという悪魔に従っているという。第六の天使がラッパを吹くと、ユーフラテスのほとりに繋がれていた4人の天使が解放され、2億の騎兵とともに出現し、神の許しの元に人間の三分の一を殺してしまう。これらの騎兵の乗る馬は、獅子のような顔を持ち、口からは火と煙と硫黄を吐くという。最後に第七の天使がラッパを吹くと、世界に最終的な終末が訪れる。この終末において、悪魔(サタン)は神との戦いに敗れ、巨大なバビロン=ローマ帝国 も滅びてしまうのである。また、神に選ばれなかったすべての人々が死ぬことになるのである。

■ハルマゲドン

 これが、天使のラッパによってもたらされる世界の終末だが、黙示録ではこのほかに7人の天使の金の鉢によってもたらされる世界の終末を描くことで、終末の描写を繰り返している。内容的には、ラッパによってもたらされる終末と大きな違いはないが、金の鉢によってもたらされる終末の出来事の中には、有名な「ハルマゲドン」という言葉が登場している。それは、第六の天使が金の鉢の中身をユーフラテスに注いだときのことで、そうすると川の水がかれ、東の方から来る王 たちの道ができる。このとき悪霊たちが出現し、「ハルマゲドン」という場所に王たちを集めるというのである。これは「メギドの山」という意味だが、いかにもこの場所で大きな戦いが起こりそうな記述なので、「ハルマゲドン」という言葉が最終戦争を意味するようになったのだと想像できる。第七の天使が金の鉢の中身を注ぐことで、決定的な世界の終末、大バビロン=ローマの滅亡がもたらされることは、ラッパの場合と同じである。


■悪の刻印「666」

 世界の決定的な終末、大バビロン=ローマ帝国の滅亡について、黙示録は象徴を交えた方法で繰り返し語っている。
 黙示録の一部(13章)ではバビロン=ローマは海中及び地中から出現する怪物として表されている。海中から出現する獣は7つの頭と10本の角を持っており、豹のような姿で熊のような足、獅子のような口を持っている。この獣はローマ帝国と同時にネロ皇帝を暗示しているといわれるもので、頭には神を冒涜するさまざまな名が記されており、悪魔から権威を与えられて、人々に崇拝される。この獣に次いで地中から出現するのは、頭に小羊の2本の角を持つ怪物で、終末時に出現する偽預言者を表しているといわれる。この獣はキリスト者を抹殺しようとする存在で、自分を崇拝する人々の右手や額に数字を刻印し、従わない者を経済的に追いつめたりする。ここで、刻印される数字は「666」で、やはりネロ皇帝を表しているといわれる。黙示思想では、終末時には数多くの偽預言者が出現するというのが一般的なので、この怪物の出現は終末が近いことを表しているともいえる。
 海中から出現した7つの頭と10本の角を持つ獣、つまりバビロン=ローマ帝国が滅びるのは小羊と戦ったためだとされる。小羊とは当然キリストのことで、終末時に再臨し、ローマ帝国を滅ぼすのである。終末の時期については、ヨハネ自身は、彼が生きていた時代からそう遠くない将来のことだと考えていたと想像できる。黙示録では、ローマに登場する7人の王のうち5人がすでに死に、ヨハネの時代には6人目の王が支配していたと語られているが、それから遠くない時代に終末が来るとされているからである。
 こうして、大バビロン=ローマは滅びる。このときには、その都は死と悲しみと飢えに襲われ、焼かれてしまうという。
 終末時に再臨する小羊、キリストは天から白い馬に乗って出現するとされている。このキリストがバビロン=ローマ帝国を滅ぼし、偽預言者やそれに従った者たちを捕らえ、硫黄の燃えている火の池に投げ込んで殺してしまうのである。

■千年王国の樹立

 世界の終末に次いで起こるのが、キリストによる千年王国の樹立である。
 再臨したキリストは、サタンを一時的に陰府に幽閉し、その後の千年間 地上を支配する。これが千年王国だが、この間はサタンが活動できないので、地上には迷いもなく、幸福な時代が続く。これはあくまでも一時的なことで、本当の意味での新天新地はこの時代の後に出現するのである。したがって、千年王国はあくまでも地上の王国として考えられたものである。しかし、千年王国の樹立に際しては、キリストに殉じて死んだ義人たちだけは復活することができ、千年王国で暮らすことができるとされている。
最後の審判と新天新地の出現

■最後の審判と新天新地の出現

 キリストの支配する地上の千年間が過ぎたとき、本当の意味でのこの世の終末がやってくる。したがって、黙示録には2つの終末があることになるが、これは千年王国思想を持つ終末論の特徴である。
 第二の終末では、一時的に陰府に閉じ込められていたサタンが復活し、ゴグとマゴクという民をそそのかして、神の陣営と戦おうとする。しかし、天から落ちてきた火によって、彼らはみな滅びてしまうのである。また、天も地も消えてしまい、死者たちすべてが復活し、神の玉座の前で最後の審判が行われるのである。
 最後の審判では、死者たちの生前の行いを記した命の書が重要な働きをする。この書に基づいて死者たちは裁かれ、そこに名が載っていない者たちはみな火の池に投げ込まれてしまうのである。
 こうして最後の審判が終わった後で、選ばれた者だけが永遠に幸福に暮らすことができる新しい天と新しい地が出現する。そして、その地に、天から新しい聖なる都エルサレムが下ってくるのである。 
世界の終わりの話目次
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法

第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)

第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末

第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末

第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』

第三部 19世紀の世紀末と終末観

近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた 

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