小説
イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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第二部 神話・終末文書に描かれた終末 |
第四章 千年王国思想 |
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
■フィオーレのヨアキムについての基礎知識
近代の歴史観には歴史を3段階に分けて、その3段階目において歴史が完成するとする考えがしばしば見られる。20世紀思想の大きな潮流の1つだったマルクス主義も人類の歴史を原始共産主義、階級社会、国家が消滅した後に実現する自由な社会主義という3段階に分け、最後の段階で歴史は完成すると考えている。
ここで、歴史をそれぞれ特徴のある3段階に分け、しかも段階ごとに歴史が進歩して最後の段階で完成するという見方を近代的な歴史観とするなら、このような歴史観はけっして近代に発明されたものではないといえる。
12世紀の終わり頃に、イタリア半島先端のフィオーレの修道院長を務めていたヨアキム(1135-1202)こそ、このような体系的歴史観を最初に創始した人物なのである。
もちろん、歴史が最終的に完成するとする考えは、それだけでも十分に終末論的(千年王国的)なものであり、紀元前後のユダヤ教やキリスト教に登場していたことは確かである。しかし、古代や中世の大部分の時期においては、このような考え方は、始まりから終わりまでを見通すような体系的な歴史観として語られたことはなかった。とりわけ中世においては、歴史が完成することで地上において理想的な国が実現されるという千年王国的思想は、教会によって遠ざけられた。こうした時代に、歴史が地上において完成され、歴史の内部において千年王国が樹立されるという思想を復活させ、さらには始まりから終末までに至る全歴史を詳細に段階づけて、巨大な体系的歴史観として完成したのがヨアキムだったのである。
■数の象徴が歴史の進行を解明する
自分のことを重要なキリスト教歴史神学者の1人だと主張したフィオーレ修道院長ヨアキムは、聖書を霊的に解釈することで、この世の全歴史の進行は過去・現在・未来のすべての事柄に関して理解可能であると考えていた。霊的解釈の意味は必ずしも明確ではないが、ヨアキムにとっては予型論(旧約聖書の記述が新約の内容を予示しているとする考え)と寓意によって聖書を読むことが大事だとされた。
これに加えて、ヨアキムは数による象徴を重要視した。中でもとりわけ重要とされたのは、1、3、4、5、7、12だった。ヨアキムは終末までの全歴史を3つの部分、5つの部分、7つの部分などに分けて説明するが、それは現実に根拠を持つというよりは、その数自体が重要だったからである。このように数の象徴性を重要視する考えは、古代の宇宙論や占星術と関係するものだが、古代や中世の人々にとって、それだけで重要なことだったといわれている。したがって、ヨアキムの終末論的歴史観に数多くの数が登場するのは、現実に根拠があるというよりは、その数自体に根拠があるのであって、それを用いることによって歴史が解明できるとヨアキムが考えていたからだということに注意してほしい。
■聖三位一体こそ真理
歴史を解釈するためにヨアキムが用いた象徴的な数の中でも、最も重要視されたのは1と3だった。これらの数は、キリスト教神学の中でも基本的な要件である三位一体論(注1)
にも用いられているが、1180年以降にヨアキムは2度の霊感を受け、三位一体論こそが真理を手に入れる方法だと悟ったといわれる。
そこで、ヨアキムの歴史理解は神が3つの位格を持っているように、歴史もまた3段階を持っているということから始まる。3段階はそれぞれ〈父の時代〉〈子の時代〉〈聖霊の時代〉とされる。〈父の時代〉は父が支配する時代であり、過酷な律法の時代である。〈子の時代〉は子の支配する福音の時代だとされる。したがって、この時代が成就するとき、人々は過酷な律法から解放されるのである。〈聖霊の時代〉は聖霊が支配する時代であり、より完全な自由が実現する時代である。3段階にはそれぞれ余人を導くような代表的な人々がいるが、それは第1段階においては夫婦者(父は子をもうけるから)、第2段階では聖職者(イエスは神の言葉だから)、第3段階では修道士(聖霊のたまものを受ける特権者だから)とされる。
こうして、時代は霊的な意味で完成に向かい、最後の段階で千年王国的世界が実現するとされたのである。〈聖霊の時代〉において歴史が完成するのは、旧約の文字は父に帰し、新約の文字は子に帰し、父とこの双方から発する霊的理解は聖霊に帰すると、ヨアキムが考えたからである。時代が霊的に完成に向かうとする考えは、この世の歴史は〈旧約時代〉と〈新約時代〉の2つの時代があり、その間に霊的進歩が存在しているというキリスト教の基本的な考えに基づいている。このため、象徴的にはとくに重要な数ではない2という数も、ヨアキムは重要なものだと考える。さらに、歴史を3段階に分けることの利点として、ヨアキムはこの3段階の前に律法以前の時代を、後に世界終末以降の永遠の国を想定することで、歴史を5段階に分けることも可能だからだと考える。
しかし、千年王国が実現するのは歴史の第3の段階が始まったときではない。ヨアキムの考えでは歴史の3段階は互いに重なり合った部分を持っている。(図1参照)これは、それぞれの段階は前の段階において準備されるからだとヨアキムは考える。こうして、歴史はさらに細分化され、4つに分けることが可能になるが、このうち歴史の第3段階が完全に成就される第4時代が、千年王国に相当する時代とされるのである。
(注1)新約聖書のマタイの福音書などで語られている「父なる神、子なるキリスト、聖霊」の3者は、3つの異なる神なのではなく、唯一の神の3つの位格だとする論理。
図1 重なり合った3段階の歴史 |
■西暦1200年に歴史が完成する
ヨアキムは歴史の全体を3段階から4時代へと細分化したが、このうちでヨアキム自身が存在しているのは当然、人々が福音の下に生きている第3の時代である。これだけでも、歴史全体から見れば千年王国が近づいていることはわかるが、どれほど近いかはわからない。そこで、ヨアキムは全歴史をさらに7つの世に細分化していく。(図2参照)7という数は象徴的に重要なだけでなく、神が6日間で世界を創造し、7日目に休息したという創世記の記述にも用いられている数である。
7つの世のそれぞれには聖書や教会史に基づいて人間の21世代が存在するとされ、歴史の3段階のそれぞれに61世代が存在する。これら世代を用いることで、ヨアキムは歴史の3段階をさらに詳しく説明している。つまり、第1段階はアダムに始まり、アブラハムによって実を結び、キリストで終焉する。第2段階はウジヤに始まり、洗礼者ヨハネの父ザカリアにおいて実を結び、42世代目に終焉する。第3段階は聖ベネディクトゥスに始まり、彼から22世代目に実を結び、世界の終焉において終焉するのである。
さらに、ヨアキムは歴史の第2段階に所属する世代は正確に一世代30年と計算するので、ヨアキム自身は第2段階の40世代目に位置することになる。したがって、歴史が完成し、千年王国が到来するのももう間もなくだと考えられたのである。計算上、それは1260年に到来することになるはずだが、ヨアキムは、それは数年後、つまり1200年頃に訪れるだろうと予言している。
図2 細分化された7つの世 |
■ヨハネの黙示録の予言の意味
千年王国が西暦1200年頃から始まるという考えを、ヨアキムはヨハネの黙示録から手に入れている。
ヨアキムによれば、ヨハネの黙示録は全体で第8部に分けられる。(注2) そして、この8部分は、この世に教会が誕生して以降の教会史の7つの時期と、それに続いて8番目にやってくる永遠の至福の時期を予告しているとされる。
これらの8時期のうち、第5時期まではすでに終わっており、ヨアキムは第6時期にいる。第7時期は千年王国の時代である。
したがって、第6の時期まではこの世にはキリスト教徒に対するさまざまな迫害があり、義人たちの最大の敵である反キリストが存在することになるが、ヨアキムは黙示録を霊的に読み解くことで、各時期の代表的対立関係と反キリストを次のように指摘している。
〈第1の時期〉 |
聖職者 VS シナゴーグ |
(反キリスト:ヘロデ) |
〈第2の時期〉 |
殉教者 VS 異教徒 |
(反キリスト:ネロ) |
〈第3の時期〉 |
博士 VS 異端 |
(反キリスト:コンスタンティウス) |
〈第4の時期〉 |
処女 VS イスラム教徒 |
(反キリスト:ムハンマド) |
〈第5の時期) |
ローマ教会 VS バビロン |
(反キリスト:ハインリヒ4世) |
〈第6の時期〉 |
霊的な人々 VS 竜・海からの獣・陸からの獣 |
(反キリスト:サラディン)(最大の反キリスト) |
第6の時代に2人の反キリストが登場するのは、それがまさに千年王国直前の時期だからであり、それだけ大きな迫害が起こるのである。その迫害はすでに数年後に迫っており、最後の2人の反キリストが登場したときには、彼らは3年半にわたって地上を支配し、教会を荒廃させるだろうといっている。
また、ヨアキムはこの時代に反キリストと連携してキリスト教徒を迫害する勢力として、イスラム勢力と西欧の異端を上げている。
(注2)第1部(1:1-3:22)7つの教会に当てた手紙の部分。第2部(4:1-8:1)天上世界において7つの巻物の封印のうち第6の封印が開かれるまでの部分。第3部(8:2-11:18)第7の封印が開かれ、7人の天使がラッパを吹く部分。第4部(11:19-14:20)サタンである竜が天界から投げ落とされ、地上の女を喰おうとする部分。第5部(15:1-16:17)最後の7つの災いの部分。第6部(16:18-19:21)この世の終わりに大バビロンが滅亡する部分。第7部(20:1-20:10)メシアであるイエスが地上を千年間支配する部分およびこの時代の終わり。第8部(20:11-22:21)この世は完全に消滅し、彼岸において新しいエルサレムが誕生する部分。
■ヨアキムの語る千年王国とその終わり
さて、反キリストの支配の時代が終わることでついに千年王国がやってくるわけだが、それはただ待っていればやって来るという種類のものではない。当然、そこには闘争がある。
この闘争を指導するのは、この時代に出現した〈新しい導師〉であり、彼と共に〈霊的な人々〉も戦いに加わるとヨアキムはいっている。古い時代のキリスト教黙示論と同じく、この戦いが勝利のうちに終わることで、千年王国が到来するのである。戦いの勝利は、キリストが悪の勢力を掃討し、獣を火の湖に投げ込み、サタンを冥府につないだときにもたらされるという。ただし、ヨアキムにとっては、この王国は単純にキリストの再臨に結びつくのではなく、あくまでも聖霊の業だと考えられている。
千年王国それ自体については、ヨアキムは選民による修道共同体のようなものだと考えている。歴史の第3段階の始まりに、西欧修道制の父といわれる聖ベネディクトゥスが置かれているのもそのためである。この世界は当然、平和で調和のとれた理想郷であって、選ばれた選民たちが修道院の中で外部から離れて修道士らしい生活をするのに都合よくなっている。修道院の周りには、農業・工業・商業に携わる人々も暮らしているが、これらの人々も平和な暮らしを享受し、選民たちの生活を支えているのである。
こうして、地上の千年王国は長期間にわたって続くが、ヨハネの黙示録が語るのと同じように、やがてそれにも終わりが来る。このときに当たって、かつての戦いで敗北して逃げ出していた反キリストが、ゴグとその軍隊と一緒に再び出現してくる。この大決戦が、歴史の第3段階の終わりを印すのである。
このとき、死者たちの復活と最後の審判があり、これによって地上の歴史はすべて終了する。この世は完全に破滅し、以降は彼岸の世界において、文字どおり永遠に続く王国が打ち立てられるのである。 |
世界の終わりの話目次 |
第1部 世紀末と終末論
世紀末と終末論の基礎知識
歴史観と終末論の種類
世界の紀年法と暦法
第2部 神話・終末文書に描かれた終末
第1章 円環的な歴史の中の終末
概説
洪水神話
北欧神話の終末(ラグナレク)
ヒンズー教の終末(永劫回帰)
第2章 直線的歴史と終末
概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書
ダニエル書の描く終末
ヨハネの黙示録の描く終末
死海文書が描く終末
エチオピア語エノク書に描かれた終末
シリア語バルク書が描く終末
シビュラの託宣が描く終末
エズラ記(ラテン語)に描かれた終末
マラキ書が描く終末
コーランに描かれた終末
第3章 異教の終末文書
概説
ゾロアスター教の終末
仏教と末法思想の終末
マヤ・アステカ神話の終末
グノーシス主義が描く終末
パウロの黙示録に描かれた終末
第4章 千年王国思想
概説
『神の国』の千年王国
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
カンパネッラの語る『太陽の都』
第三部 19世紀の世紀末と終末観
近代にも生きている終末思想
進化の果てに訪れる絶望的世界―H.G.ウエルズ『タイム・マシン』―1895
世紀末の人工ユートピアを求めて―J.K.ユイスマンス『さかしま』―1884
あとがき―未来が終末を迎えた |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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