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フランボワイヤン・ワールド
新撰組と剣豪の話
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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原田左之助(はらださのすけ)

●原田左之助のプロフィール
新撰組副長助勤、十番組組頭など。靖共隊副長。彰義隊。 
種田流槍術 
天保11年(1840)~明治元年(1868) 
新撰組のほとんどの戦闘に参加した苛烈なファイターである。若いころからわが道を行く性格で、新撰組でも近藤派におもねることなくわが道をすすんだ。若いころ、つまらぬ短気で切腹したことがあり、酔うとその腹を叩いてみなに自慢するような豪傑肌の男だ。殿様志向で増長癖のあった近藤を批判したこともある。甲陽鎮撫隊の後に永倉とともに新撰組を脱走、靖共隊を組織したが、最後は彰義隊に参加し、銃弾を受けて死亡した。 
●原田左之助の略年表
天保11年(1840)  伊予松前藩の中間・原田長次の子として生まれる。 
安政五年(1858)ころ  松前藩から逃げ出す。このころ、つまらぬことで、一度切腹する。 
文久三年(1863)  これまでの数年間、武者修行で過ごし、谷三十郎から種田流槍術を学び、近藤の試衛館に出入りするようになる。2月、近藤らと浪士組として上洛、壬生浪士組に加わる。 
元治元年(1864)  6月、池田屋事件で討ち死にしたと噂されるほど活躍する。 
慶応二年(1866)  9月、三条制札事件で活躍。 
慶応四年(1868)  3月、永倉新八とともに新撰組を脱走、靖共隊を結成する。直後に永倉とも別れて彰義隊に参加。5月、官軍による上野総攻撃で銃弾を受け、二日後に死亡。 

■憤懣やるかたない最下級の武士出身

 原田左之助は武士の中では最下級の中間の出身である。普段は刀を一本しかさせず、力仕事が専門だった。
 こうした境遇に原田は我慢できなかったようだ。若いころから目上の人間に口答えしたり、逆らってばかりいたといわれる。
 原田は美男で、頭も切れたので、そんな自分が最下級の武士であることが、どうしても納得できなかったのではないだろうか。
 安政二年(1855)、16才の原田は江戸詰を命じられ、三田の松山藩中屋敷の中間部屋に入った。
 ここでも原田は万事につけて先輩の言うことなど聞かず、目をつけられた。
 そんなある日、原田は酒に酔って帰り、仲間の制止も聞かずに中間部屋で暴れまくった。
 普段から原田を憎んでいた先輩たちは、ここぞとばかり原田に襲い掛かった。
 原田は裸にされ、後ろ手に縛られ、猿轡をはめられて、土間で水責めにされたのである。
 それでも原田の生意気は治らなかった。
 やがて故郷に戻った原田は、安政五年ころ、ついに松山から逃げ出した。
 それから原田は各地で武者修行に励んだ。後に新撰組に入る谷三十郎に槍術を学んだのはこのころのことだ。その腕前は名人級になったという。
 次いで原田は江戸に出て、試衛館に出入りするようになり、近藤勇との親交を深めた。
 そして、文久三年(1863)、試衛館一門とともに浪士組に加わり、京都で新撰組を結成することになったのである。

■新撰組の戦闘にほとんど参加

 新撰組隊士となった原田は新撰組の戦闘のほとんどに参加した苛烈な戦士だった。
 短気で、かんしゃく持ちだった原田は何かことあるごとに、二言目には「斬れ! 斬れ!」といった。そして、「長剣を抜きかざし、曲者めがけて切ってかかる」(西村兼文記録)と記されるような戦い方をした。
 元治元年(1864)6月の池田屋事件では、原田は土方隊に属して鴨川東岸を探索、近藤たちが斬り込んで乱闘中の池田屋に駆けつけた。
 つまり、途中からの参戦である。だが、原田の活躍はすさまじかったようで、「壬生浪士の原田とかいう者は、勇戦討ち死にした」という噂が流れたほどだった。
 慶応二年(1866)9月、三条大橋西詰に立てられた制札を、土佐系浪士八名が引き倒し、鴨川へ投げ込む事件がおきた。
警戒に当たっていた原田はすぐにも七番隊を率いて現場に急行、剣を引き抜いて斬り込んだ。多くの浪士は逃げたものの、原田は平隊士伊木八郎とともに、事件の首領と見られる藤崎吉五郎を斬り伏せたのだ。
 慶応三年(1867)11月15日、坂本龍馬暗殺事件が起こると、伊東甲子太郎の証言によって原田が実行犯ではないかと疑われたこともあった。

■切腹の傷跡が何よりも自慢

 戦闘場面で苛烈に戦う原田は、普段の生活でもそれ相応に苛烈だったようだ。
 実は原田の腹には切腹の傷跡があった。
 安政五年ころ、つまり原田が松山藩を逃げ出したころだが、原田はつまらぬことで人と争い、短気だったので、たいした思慮もなく切腹に及んでしまったのである。
 京都で新撰組隊士となった原田は、酔っ払うと着物の前を広げてその腹を出して、ぺたぺたと叩きながら、「俺はそこらの、金物(真剣)の味を知らねえ奴なんぞとは違うんだ。この切腹の傷跡を見てみろ」と自慢したという。
 その傷跡は左から真一文字に腹を半分ばかり切った傷跡で、ぶつぶつとした縫い目の痕もはっきり見て取ることができたという。
 このため、原田には「死に損ねの左之助」というあだ名があったともいわれる。
 こんな男だから、きらめく敵刃の下に平然と飛び込んで、かつ生き抜くことができたのかもしれない。

■正々堂々と殿様志向の近藤を内部批判

 まさに豪傑といえる原田なので、局長近藤勇に対しても、おもねるようなことはなく、必要ならば正々堂々と批判することがあった。
 近藤勇は豪傑には違いないが、極端な増長癖があり、かつ殿様志向の強い男だったので、新撰組においてもそのわがままが目に余ることがあった。
 池田屋事件、禁門の変と新撰組の見せ場が続くと、近藤のわがままも絶頂に達した。
 こんな近藤に対し、新撰組隊士の中には武田観流斎のように、「新撰組は近藤さんのものだ、われわれは臣下として仕える」などといっておべっかを使う者もいた。だが、短気でかんしゃく持ちの原田にそんなことはできなかった。
 このとき原田は永倉新八、斉藤一らとともに近藤勇を批判する書面を会津藩に提出したのである。
 その内容は、芹沢暗殺以来の近藤が増長し、新撰組で専制をふるい、他の同志を家来のように扱ったりするため、今や新撰組は崩壊寸前の状態にあるというものだった。
 びっくりした会津藩はすぐにも近藤とその批判派を呼び寄せて話し合いで和解させたものの、原田はその後も完全な近藤派とは一線を画して行動したといっていい。
 近藤勇ら試衛館の仲間として新撰組入りしたとはいえ、原田は常に自分の道をすすんだのである。

■永倉とともに新撰組と別れ靖共隊を結成

 原田が新撰組隊士の中で最も親しく付き合ったのは永倉新八だった。
 永倉もまた試衛館の仲間といってよかったが、原田と一緒に会津藩に近藤批判の書面を提出したことからわかるように、近藤勇とは一歩離れたところにいた。
 こうした点で、二人の間には強いシンパシーがあったのだろう。
 やがて、原田は永倉とともに新撰組と袂を分かつことになった。
 慶応四年(1868)、新撰組が甲陽鎮撫隊として甲府で官軍に惨敗した直後のことだ。
 原田と永倉は近藤の命令で隊士たちの取りまとめ役となっていたが、この段階で隊士たちの考えは近藤の考えとずれ始めていた。
隊士たちの考えは「近藤が会津に行くなら従うが、それ以外では従えない」というものだった。ところが、原田が永倉と一緒に近藤に面会すると、近藤はそれに同意しないばかりか、「隊士たちが拙者の家臣となるというなら同意しよう」といったという。
 このあたりの事情は、永倉新八自身の記録によるものなので、確実な事実というわけではないが、原田や永倉がもはや近藤には従えないと考えていたことは確かだろう。
 このような事情で、原田と永倉は仲間を連れて新撰組から脱走し、約50名ほどのメンバーを集めて「靖共隊」を結成したのである。
 隊長は永倉の幼なじみで旧旗本の芳賀宜道、原田と永倉は副長に就任した。
 ところが、この靖共隊が北関東に出発した直後、原田はここからも逃げ出すことになる。
 靖共隊では隊長の芳賀と永倉が親密な関係だったため、原田はいずらくなったのだろうと想像する専門家もいる。
 とにかく、戦いが嫌になったのでないことは確かだ。
 その後、江戸に潜伏した原田はつてを頼って彰義隊に参加。5月15日の官軍による上野総攻撃の際に銃弾を受け、その二日後に死亡したのである。

■京の町娘との結婚と別れ

 新撰組から靖共隊、そして彰義隊へと戦いの場を移しながらも、徹頭徹尾戦い続けて死んだ原田だが、その人生はただ戦うだけで終わったのではなかった。
 元治2年(1865)3月、新撰組の屯所が西本願寺にあったころ、原田は京の町娘まさと結婚していた。その年の暮れには子供も生まれ、「茂」と名づけられた。
 当時新撰組では月々十両以上の生活費が出されたので、暮らしは楽だったという。
 だが、幸せは長く続かなかった。
 慶応三年(1867)12月、幕藩体制の崩壊を意味する王政復古の大号令が発せられると、新政府と旧幕府の衝突が避けられなくなった。
 いよいよ明日は妻子と離れ離れにならなければならないという日、原田は支給された200両を抱えて大急ぎで家に帰った。
「この分では今にも戦争が始まる。俺に万一のことがあっても息子の茂は立派な武士に育ててくれよ。お前は身体に気をつけろよ」
 こういって、当座の暮らしのために200両を妻のまさに渡したという。そして、これが最後の別れになったのである。
 新撰組と剣豪の話 目次
新撰組隊士

新撰組と時代背景
近藤勇
土方歳三
沖田総司
永倉新八
斎藤一
原田左之助
藤堂平助
島田魁
林信太郎
山野八十八
大石鍬次郎
尾形俊太郎
山南敬助
山崎烝
芹沢鴨
新見錦
平山五郎
武田観柳斎
谷三十郎
伊東甲子太郎
篠原泰之助

志士たち

坂本龍馬
中岡慎太郎
岡田以蔵
桂小五郎
河上彦斎
西郷隆盛
大久保利通
中村半次郎

剣豪

吉岡直綱
上泉伊勢守信綱
念阿弥慈音
斎藤歓之助
逸見宗助
小野忠常
加藤久
仏生寺弥助虎正
荒木又右衛門
堀部安兵衛
佐々木小次郎
高柳又四郎
千葉周作
柳生十兵衛
柳生兵庫助
宮本武蔵
大石進
半沢成恒
小野忠明
古藤田俊直
樋口定次
師岡一羽
辻月丹
斎藤弥九郎
東郷重位
剣豪学

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